7
陽が傾きはじめた頃、街道を歩くクレインの背に、
西の空が深い橙色の光を投げかけていた。
昼の熱気は和らぎ、涼しい風が森の匂いを運んでくる。
足元の土と小石がカサ、とかすかな音を立てるたびに、
旅を始めてまだ慣れない足取りの重さを感じた。
(……今日中に、街にたどり着けるだろうか)
そんな不安を抱いた瞬間だった。
道の先に、硬い直線が見えた。
樹木の間から伸びた灰色の影――石壁だ。
(あれは……)
胸の奥がじわりと熱くなる。
近づくほどに壁の輪郭がはっきりし、
塔のように立つ見張り台が夕暮れの空を切り取っている。
(あれが……街……)
ティルナ村にはなかった、巨大な人工物。
文明の匂い。
人が集まり、暮らし、そして守るために作られた壁。
その圧倒的な存在感が、クレインの歩を自然と速めさせた。
壁に近づくにつれ、街道の様子が変わってきた。
馬車の車輪がごとごとと音を立て、
荷物を満載した商人たちが何人も行き交っている。
「急げ! 日が暮れる前に入ってしまえ!」
「野営より街の宿のほうが百倍マシだ!」
活気ある声が飛び交い、
その合間を縫うように旅人たちが歩いていく。
背中に大きな荷物を背負ったハンターらしき人物もいた。
腰には護石を装備し、
鎧の隙間から淡い光がちらりと漏れている。
城壁がすぐそこに迫った頃、
クレインはあることに気づいた。
遠くから聞こえる鍛冶屋の槌音。
叫ぶような呼び声。
酒場のざわめき。
魔導灯が灯される「パチッ」という小さな点灯音。
音が増えている。
ティルナ村とはまるで違う、
人の密度そのものが生み出す生活の音だった。
(こんなに騒がしいんだ)
しかしその騒がしさは不快ではなく、
むしろクレインの胸を軽くするような温度を帯びていた。
自分が知らない世界。
けれど確かに生きている世界。
そんな感覚が体の奥でふつふつと湧いてくる。
気づけば、高さ四メートルほどの門が目前にあった。
夕暮れが門の金属を照らし、力強い影が大地に伸びている。
門の左右には兵士が立ち、槍を携え、鋭い目で旅人たちを見ていた。
ティルナ村を出て初めての大きな街。
胸がドクンと大きく脈打つ。
「次――そこの若いの、前へ」
呼ばれ、クレインは列から一歩進み出た。
夕方の光が城壁に反射し、門番の鎧の金具がじり、と光る。
門番の男は槍を手に、鋭い目をしていた。
そして、クレインの顔と装備をゆっくりと確認した。
「身分証、もしくは通行証を見せろ」
「すみません、どちらも持ってません…」
「そうか。では名前、出身地、この街に来た目的を答えろ」
「名前はクレインです。出身地は…覚えていなくて…」
門番の眉がわずかに動いた。
不審、ではなく警戒の色だ。
しかしすぐに職務的な表情へ戻った。
「どういうことだ?」
「僕、記憶がなくて…気がついたら森の中で倒れていたんです。
しばらくティルナ村でお世話になっていました。
今は旅をしながら、思い出せることを探しているんです」
門番は一呼吸置いてから、低い声で言う。
「ここバルスタは魔物の被害も多い。
そのせいで、街に入る者の素性確認が厳しくなっている。
……旅人であろうと、身元の分からぬ者は危険と見なされる場合がある」
「分かっています」
「ふむ。武器はその短杖だけか?」
「はい。護身用に……ティルナ村で教わっただけです」
「他におかしなものも持っていないようだな。
……よし、いいだろう」
槍の柄で地面を軽く叩き、門番は続けた。
「だが身分証がない以上、今のままでは長期滞在はできん。
入市自体は許可するが――
明日中に市庁舎で仮身分証の発行を受けろ。
街の決まりだ」
「分かりました。必ず行きます」
「それと……」
門番は少しだけ目を細めた。
「今の時期、魔物の動きがいつもより荒い。
もし外で何か見たなら、市庁舎か連盟に報告すること。
旅人の報告一つで街が救われることもある」
その言葉に、職務としての重みが感じられた。
「はい。気をつけます」
「……よし」
門番は軽く頷き、城門の内側を手で示した。
「ようこそ、バルスタへ。
夕暮れのうちに宿を取れ。初めての旅なら、無理をするなよ」
その声音は、最初の警戒とは違い、どこか親身だった。
クレインは深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
「次の者、前へ!」
兵士の声が響く中、
クレインは城壁の影をくぐった。




