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旅立ちを決めた日の夜。

クレインはアストの家で、暖炉の火を眺めていた。


薪がはぜる音が、優しく響いている。


「明日、出発するのじゃな」


湯呑を置きながらアストが言う。


「はい。…不安がないわけではありませんが、迷ってばかりもいられないので」


「うむ、それでよい。わしらはいつでも戻ってきたおぬしを歓迎する」


アストの声は穏やかだった。

クレインはその言葉に胸が温かくなる。


「本当に、お世話になりました。何も分からなかった僕を……」


「礼などいらん。わしらは当然のことをしただけじゃ」


アストはふと目を細める。


「クレイン。

旅というのは道そのものが見えなくなることもある。

前に進んでいるのか、間違っているのか――

わからなくなる夜も来るじゃろう。


それでも無理に答えを出さなくていい。

立ち止まりたくなったら、戻ってくればいいんじゃ。

わしらはいつでもここでおぬしを歓迎する」


その言葉は、祝福のようにゆっくりと心に染みた。


「……行ってきます」


「うむ。気をつけての」


静かで、小さな家の中に、旅立ちを前にした青年の決意が確かに灯っていた。


早朝。

村の入口に、クレインは立っていた。


手には簡素な旅支度――水袋、保存食、護石、アストに渡された地図。

荷物は少ないが、彼にとって必要なものはすべてそこにある。

そこへルークがやってきた。


「おーい、クレイン。ついに行くのか!」


いつもの明るい声だ。


「はい。……お世話になりました、本当に」


「そんな真面目な顔すんなよ。

記憶取り戻したら、顔見せに戻ってこいよな」


 ルークは背中を軽く叩いた。


「お前は真面目で真っ直ぐだし、力もある。

どこに行ってもやっていけるさ」


「ありがとうございます」


他の村人たちも次々集まってきて、声をかけてくれた。


「クレイン、気をつけてねー!」

「道中は宿場町が続くから安心だよ」

「怪我したらすぐ治療所に行くんだよ!」

「また野菜持っていきな!」


手渡される干し肉や野菜に、クレインは思わず笑ってしまった。


(……こんなに優しくしてもらえるなんて)


胸の奥が熱くなる。

この村の記憶は、きっと一生忘れない。


「行ってきます!」


クレインは深く頭を下げ、ゆっくりと村を後にした。

ティルナ村の屋根が見えなくなるまで、何度も振り返った。




村を出ると、しばらく続く森の道に入る。


小鳥のさえずり、木漏れ日、湿った土の匂い。

ふと立ち止まると、足元の苔から小さな花が咲いている。


(世界って……綺麗なんだな)


そんな素直な感想が胸に浮かぶ。

道中、魔物の気配を感じることはなく、静かに歩を進める。

やがて森を抜けると、大きな街道が現れた。


荷馬車、旅人、商隊――人の往来が一気に増える。


(これが、外の世界……)


クレインの胸に、少し高揚が走る。


街道沿いには案内板があり、こう書かれていた。


「東方:バルスタ街 徒歩 半日」


アークハント連盟の支部もあるという中規模の街だ。

クレインは深く息を吸い、歩き出した。


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