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雨の音がする。
ぱらぱらという雨粒の音が、意識の奥でこだました。
まぶたを開けると、濡れた木々の影が揺れている。
クレインは仰向けのまましばらく動けず、ただ空から落ちてくる冷たい滴を受け続けた。
(……ここは……)
ゆっくりと起き上がると、体のあちこちが重い。
服は土で汚れ、髪は雨に濡れ貼りついている。
だが怪我らしい怪我はないようだ。
ただ――胸の奥に、何とも言えない虚無があった。
――クレイン。
自分の名前だけが、ぽつんと取り残されたように思い出せる。
(それ以外は……何も……?)
家族、故郷、仲間、日々の営み――すべてが白紙。
何をして生きてきたのかも、なぜ森の奥で倒れていたのかも思い出せない。
手をついた大地が、不自然に焦げていた。
円形状に黒く焼け焦げていて、雨が降っても消えないほど深い。
胸の奥がざわめく。
しかし、その理由はわからない。
霧のような不安が背筋をなぞったとき、茂みが揺れた。
「おい! 誰かいるのか!」
弓を背負った青年が駆け寄ってきた。
まだ二十代前半ほどの、逞しく日焼けした狩人のような男。
「大丈夫か!? こんな森の奥で……」
彼はクレインの状態を一目見て、顔をしかめた。
「怪我は?」
「……ありません。でも、何も思い出せなくて……」
「思い出せない?」
クレインがうまく説明できずにいると、青年は息を呑むように眉を寄せた。
「まさか……ひとりで森に? アンタ、自分の名前は覚えてるか?」
「クレイン、です」
青年は深呼吸し、優しく肩を貸してくれた。
「俺はルークっていう。とにかく村に行こう。ここは魔物の領域が近い。
夜になる前に抜けないと危険だ。」
クレインは頷く。
自分の足が震えていることに、その時ようやく気づいた。
胸のざわつきが、森の冷気とともに深く刻まれた。




