6話
Check guard
―ログアウト―
最後の戦場に、もう喧騒はなかった。
紅蓮の空も、轟音に満ちていた大地も、すべては夢の名残のように淡く揺らいでいる。さっきまで隣にいた仲間たちの姿はもう見えず、ただ風のような残響だけが残されていた。
「……これで、本当に終わりか」
彼――主人公は静かに呟いた。両手にはもう剣も盾もなく、ただ握りしめたのは、戦いの果てに得られた小さな欠片――仲間と過ごした日々の記憶だった。
システム画面が目の前に浮かび上がる。
透き通るような光の中に浮かぶ一文。
【ログアウトしますか?】
たったそれだけの言葉が、彼の胸を締めつけた。
何度も何度も見慣れた選択肢なのに、今日だけは違った。選択すれば、この世界から本当に離れてしまうのだ。二度と戻れないかもしれない。
耳の奥で、仲間の笑い声が蘇る。
酒場で交わした冗談。深夜のクエストで眠気に勝てず舟を漕いだ夜。敗北しても立ち上がり、肩を貸し合った戦場。
彼らはもういない。だが、あの記憶だけは消せない。
「ありがとう……」
誰にともなく、彼は言葉を落とした。
胸の奥に渦巻く後悔や未練は消えない。それでも、歩き出さなければならないと知っていた。現実の自分に戻るために。
ゆっくりと、彼は指を動かす。
――カチリ。
選択肢が光を放ち、視界全体が白く染まっていく。世界がほどけるように消えていく中で、彼は最後に目を閉じた。
耳に届いたのは、懐かしい仲間の声。
幻か、記憶か、それとも別れの贈り物か。
「お前と一緒に戦えて、楽しかった」
その声を胸に刻み、彼は静かにログアウトした。
――そして、物語は終わりを告げた。
―残された者―
世界が白い光にほどけていく――はずだった。
だが、主人公はすぐに異変に気づいた。
光に包まれて輪郭が消えていく仲間たちの中で、ひとり、またひとりと、その姿が途中で止まっていたのだ。
「……どういうことだ?」
システムウィンドウは確かに表示されていた。
【ログアウトしますか?】
彼らも確かに「はい」を選んだ。けれど、光は完全に包み込まず、まるで何かに引き戻されるように、身体がこの世界に縫い付けられてしまっていた。
「う、動けない……!」
「なんで!? 選んだはずなのに……!」
仲間たちの声が震える。
その顔に刻まれる恐怖は、今までどんな敵に囲まれた時よりも深刻だった。
主人公は彼らに駆け寄ろうとしたが、自分の身体もまた揺らぎはじめていた。半分が光に呑まれ、半分がまだこの仮想の大地に残されている。
ログアウトできる者と、できない者。
その境界が、仲間たちを容赦なく引き裂こうとしていた。
「嘘だろ……! みんな一緒に帰れるんじゃなかったのか!」
誰も答えられない。
システムも、運営も、この異常に沈黙していた。
主人公の視界が白く染まり切る直前、仲間のひとりが必死に叫んだ。
「戻れなかったら……この世界を頼む!」
次の瞬間、主人公は現実に引き戻された。
暗い部屋の中、無機質なログイン装置から外された自分の身体。
だが、そこにあるべき仲間の声はもうなかった。
彼の胸に残ったのは、ヘッドセットを外しても消えない震え。
あの世界に、仲間が囚われたままかもしれない。
物語は終わったはずだった。
だが、真の幕切れは、まだ訪れてはいなかった。
―虚ろなる創造主―
ログアウトできない恐怖の中で、仲間の一人が震える声で告げた。
「……もしかして、システムに異常があるんじゃなくて……」
その瞬間、主人公の脳裏にかすかな違和感が蘇る。
このゲーム《クロノス・オンライン》を生み出した天才開発者――向井山甲山。
常に画面越しに見守り、時にアップデートやイベントを通して姿を現すはずの彼が、この数週間、一度も姿を見せていなかった。
そして、現実世界のニュースの片隅に載っていた短い記事。
――「ゲーム開発者、急逝」
名前を確かめる前に、主人公は読み流してしまった。だが、今になって全身が冷たくなる。
「まさか……あの時の……」
声に出した瞬間、システムウィンドウが乱れるように点滅した。
エラーコードが画面いっぱいに流れ出し、その最後に浮かび上がったのは一行の文字。
《開発者プロセス、応答不能》
仲間たちの顔が凍りついた。
つまり、この世界の出口を設計した唯一の存在は、すでにこの世にいない。
誰も修正できず、誰も扉を開けられない。
「……じゃあ、俺たちは」
「このまま閉じ込められるってこと……?」
沈黙が降りる。
ただ、仮想都市クロノスの遠景に、永遠に沈まぬ赤い太陽が燃えているだけだった。
主人公は叫んだ。
「ふざけるなよ! 俺たちは……現実に戻らなきゃいけないんだ!」
だがその声を拾うはずのシステムは、もう主を失った廃墟に過ぎなかった。
ログアウトを試みる光は二度と訪れない。
開発者は死に、出口も共に消えた。
彼らは残された。
現実への帰還を夢見ながら、幻の都市で生き続けるしかない存在として――。
裂かれた旗の下で
朝靄が立ち込めるクロノスの中央広場。
巨大な噴水は青白く光を放っていたが、そこに集まった冒険者たちの表情は暗い。
昨日、ログアウトできないことが確定し、しかも“死”が本物の死と化していることが証明されたからだ。
「……じゃあ、どうするんだよ!」
粗野な斧戦士が怒鳴る。
「ここに閉じ込められて、外に戻れねえまま朽ちてくのか!?」
ざわめきが広がり、群衆は混乱し始める。
その中心に立ったのは、大河内翔だった。
黒の外套を翻し、鋭い眼差しで皆を見渡す。
「落ち着け。俺たちはもう、ひとつの“民族”だ。生きる道を作らなきゃならない」
その言葉に、一瞬ざわめきが止まる。翔はさらに続けた。
「俺はここに都市を作る。農地を開き、モンスターを狩り、秩序を整える。
クロノスを俺たちの国にする。それしか生き残る道はない」
拍手と怒号が同時に起こる。
⸻
群衆の後方で、木村涼は拳を握りしめていた。
「……国にする? 違うだろ。俺たちは囚われたんだ。ここは牢獄だ」
隣に立つ桜井美咲が、不安げに涼を見た。
「涼くん……」
彼は声を張る。
「俺は探す。向井山が死んだとしても、残した痕跡はあるはずだ。
プログラムの奥に、出口がある! 俺は帰る道を諦めない!」
群衆のざわめきが再び巻き起こり、広場は二つの意志に分かれていった。
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一つ目の旗 ― 安住の旗
翔の旗の下に集まったのは、生活の安定を望む者たちだ。
彼らは農具を持ち、森を切り開き、街を整備し始める。
「俺たちはここで新しい歴史を築く」と誓いを立てた。
二つ目の旗 ― 帰還の旗
涼の側に立ったのは、少数ながら勇敢な冒険者たちだった。
彼らは“外界探索隊”を組織し、危険なダンジョンへ挑む準備を進める。
黒豹を連れた美咲もそこに加わる。
「……怖いよ。でも、もし帰れる可能性があるなら、私はそっちに賭けたい」
涼は彼女の手を握った。
「ありがとう、美咲。……絶対に帰ろう」
⸻
裂かれた都市
日が落ち、冒険都市クロノスの空に二つの旗が翻った。
一つは翔が掲げた「安住の旗」。
一つは涼が掲げた「帰還の旗」。
都市は分裂した。
だが、どちらも“生きるため”の道。
夜風に揺れる旗を見上げながら、美咲は呟いた。
「ねえ……もし帰れなかったら、涼くんはどうする?」
彼は少し黙ってから答えた。
「その時は……ここで生きるよ。君と一緒に」
美咲の胸が熱くなる。
だがその瞬間、遠くの空が赤く染まった。
ドラゴンの群れが、都市に向かって飛来していた。
クロノスに安寧の時はなかった。
新たな戦いと選択が、彼らを待ち受けているのだった。
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