第1章
ここから始まる
─ヴァルキュリアの日常─
涼は静かに息を吐き、机の前に座った。
外の光はまだ柔らかく、午前の時間を告げている。だが、自室の中は彼にとって別世界だった。ディスプレイに映るのは、煌びやかな街並みと、行き交うアバターたち。彼が今日も戦う舞台だ。
「よし、ログイン……」
クリック音と共に、ロード画面が消え、広大なオンライン世界が目の前に広がった。アバターの髪は銀色に光り、鎧は蒼く輝く。画面右下のチャット欄には、すでに仲間たちのメッセージが流れ始めている。
大河内翔:おはよう、木村。今日もクエスト行くぞ。
涼:了解。魔獣討伐コースで。
斎藤ケン:俺も行くぜ。気合い入れて!
画面の中では、彼は「木村涼」という名前を背負った勇者であり、ギルド「ヴァルキュリア」のサブリーダーだった。現実の学校では目立たない、平凡な高校生。しかし、この世界では彼の指示一つで仲間が動き、敵が沈む。
「リアルでは小心者だけど、ゲームの中では……」
と心の中でつぶやきながら、涼は街の広場を駆け抜けた。NPC商人の屋台をかすめ、仲間の待つクエスト地点へ向かう。
その瞬間、チャットに新規プレイヤーの入場通知が表示された。
桜井美咲 がログインしました。
美咲。彼女は涼の学校では一度も話したことのないクラスメイトだった。だが、ゲーム内では別格の存在感を放っている。数々のランキング戦で名を馳せ、ソロでもギルドに匹敵する戦果を上げるという噂のプレイヤーだ。
「……また強敵か」
涼は少しだけ身を引き締めた。美咲のアバターは白銀の長衣に身を包み、まるで風のように軽やかに立っていた。
そのとき、大河内から指示が飛ぶ。
「涼、魔獣討伐は俺とケンで前衛だ。お前は後方支援で回復と魔法を頼む」
「了解です!」
涼はすぐにコマンドを選択し、スキル欄から回復魔法をセットした。戦闘が始まる前の静寂は、どこか緊張感を孕んでいる。
魔獣の巣に足を踏み入れると、重低音の咆哮が響いた。
巨大な爪と牙を持つ魔獣が姿を現す。ギルドメンバーたちは一斉に攻撃を開始し、魔獣もまた鋭い反撃を繰り出す。
「涼、回復!」「了解!」
キーボードを叩く指が震える。リアルでも心拍が上がり、額に汗が滲む。だが、ゲーム内では冷静に、仲間のHPを確認し、魔法を使う。
戦闘が終わると、チャットに戦果のメッセージが流れる。
大河内翔:完璧だった、涼。さすがだ。
涼:ありがとうございます……!
達成感と少しの誇らしさが、胸の中にじわりと広がる。
しかし、その安堵も束の間、再び通知が鳴った。
桜井美咲:ギルド「ヴァルキュリア」に挑戦状を送ります。
画面を見つめる涼の背筋が一瞬凍った。
現実では同じ高校のクラスメイト、ゲーム内では最強のライバル。今、この瞬間から、日常と非日常の境界が曖昧になる。
外では母の声が部屋に響く。
「涼、朝ごはんよ!」
現実とゲームが、微妙に交差する瞬間だった。
涼は息を整え、キーボードに手を置いた。
今日も、ログイン・ライフは始まったばかりだ。
次回も楽しみに