ネガティブモード
ピーッピーッピッピッピ。グラウンドで笛が鳴っている。決められた振りをこなす腕が重い。隣に立つ古森はまたテンポの遅れた動きをしていた。
「なんか間違えてるなあ俺」
重そうな瞼に表情の抜けた顔で古森が呟いた。「疲れた?」と理玖が声をかけると、古森は頷いて振りを終えた。
「うん。申し訳ないけどね……」
古森の視線の先では同じクラスの中でも鮮やかな緑色のハチマキを巻いた生徒がいた。応援の代表をしている人たちだ。
「俺、歌は上手なんだけどね……」
遠い目をする古森に理玖は「あぁ、そうなんだ」と返した。それから古森は黙って振付が描かれた紙とにらめっこを始めた。その背中を機械的にさすりながら、理玖の視線は少し離れた場所に集まる赤色の軍団に向かっていた。
「いいねー揃ってきてるッ!」
大きい声がこちらまで聞こえてきた。遠目にも分かる手振りをしている人だろうか。そこから二、三人離れたところには「応援団やるよ!」と言っていた玉乃の姿が見えた。雫もいるはずだが生徒たちに紛れて見つけられない。
ピッピッピ―とせかすような笛が聞こえた。単に練習を再開するという合図なので、座っていた古森は紙を畳んで立ち上がった。それでも動きはさほど変わらず、肩を落としたまま次の競技の練習時間になった。
応援練習の為に来ていた先輩たちは引き上げていき、一年生の数クラスが体育の授業としてグラウンドに残った。理玖が端に置かれた高いかごの周りに紅白玉を撒き散らしていると、古森が「お~い」と駆け寄ってきた。
「玉入れ順調?」
理玖がうんと頷くと、古森は手にした小さい紙を広げて見せてきた。網、と書かれている。
「そのかごの網って取れる? 予備とかないかな」
「取れるかは知らないけど、かごの予備はあるよ。担いでく?」
「うーんそうするかあ。ついでに一ふざけ付き合ってくれる?」
なに? と尋ねると「網村だから」と古森は言った。周りの生徒に「少し借りるね~」と声をかけた彼に理玖は連れていかれた。古森が戻った先は机の上に箱が置かれただけの場所だった。
「あ。俺が一番乗りだ」
借り物競争の練習場のはずだが、ストップウォッチは動いていなかった。お題の難易度調整を行っているらしい。
「俺の小ボケ……」
「人をボケの道具にしないでよ。俺戻るよ」
「ごめんごめん! 口頭でボケとくね」
はいはい、と返事をして理玖は玉入れのエリアへ戻った。肩慣らしに全員で一つのかごをめがけて玉を投げていたらしく、赤と白が混在していた。だいたいの玉が入るとかごをひっくり返して、グーを出した者が赤、パーを出した者が白の玉を集めた。そのまま二チームに分かれて競技を行い理玖のいた白チームは負けた。
作戦を立てる時間がとられたので近場の玉を積み上げながら古森の姿を探してみた。また机の近くで、今度は大きな帽子をかぶった古森が一人ぽつんと立っていた。足が速いのか見つけるのがうまいのか、借り物競争が得意そうだ。
「網村―」
近くで話し合っていたクラスメイトの声に顔を向ける。それ、と積んだ玉が指さされた。
「どうすんの?」
「あーなんか……プロみたいな人がこうやって投げてた気がする。から、やってみようかなって」
理玖が試しに塊を持ち上げる様に投げてみると、周りの四、五個は散っていったが残りはまとまって網の中に納まった。それを見た周りも真似をしだして二度目の試合は勝った。何度かチームの入れ替えが行われるうちにこのやり方が普及して、理玖はひたすら背の高い生徒の元へ玉を転がし続けた。
チャイムが鳴って「やっと終わった」と息をつく。早歩きで教室に戻る元気がある割には喉が渇いていた。水飲み場に寄り道をしていると古森がやって来る。
「お疲れー」
口を拭って「お疲れ」と返す。
「どうだった? 俺はね、つまんなくしちゃった」
詳しく聞くと、どのお題でも一番に帰ってくることが出来たようだ。結果、変わったお題は無くして会場に設置する予定の旗やパイロンだけになったらしい。
「それが妥当なんじゃない。無いもの書いてあったら、かわいそうだし」
「ルールは整ったけどさー。先生とか友達の物借りてくるとか、やりたかったじゃん。多分みんなもね」
「じゃあ、仕込んどいたら? 先生とかに『借り物で使うので持っといてください』って渡しておく」
理玖の提案を聞くと、古森はイイネ! と手を叩いた。「あとで言っておく!」とニコニコになると廊下に向かって歩き出した。その様子に理玖は楽しそうだな、と思うと同時に自分の乗り切らない気持ちを感じていた。
教室に着くなり、古森はクラスの実行委員に駆け寄っていった。理玖は廊下の手洗い場で顔を洗っていると、少し離れたところから「お~い」と手を振られた。真っ赤なハチマキを揺らした玉乃とつられてこちらに振り向いた雫がいた。
「髪濡れてる」
近寄るなり雫に指摘され、ハンカチで前髪を拭った。「暑かったよね分かる。私も!」と玉乃が頷いた。
「何で呼ばれた?」理玖が尋ねる。
「え、いたから」玉乃が答えた。「今ね、応援練習の相談してたんだよね」
「俺に言われてもね、つってた」
「じゃあ俺もいたところでじゃん」
雫と二人して言うと、「ここで話して、まとめてから提案に行くの!」と玉乃の反論を受けた。端に寄って話を聞き流していると、教室からポツポツと制服に着替えた生徒が出てくる。
「俺着替えたいんだけど」
理玖が申し出ると、「えッ」と玉乃の声が漏れた。まだ話し足りないという様子だが、着替える必要があるのは全員一緒だ。
「そういうことなんで」
グイグイと雫に背を押されて理玖のクラスの教室へ歩かされた。強引に話を切ってしまった玉乃に視線を向けると、もう別の生徒と話しながらハチマキを外していた。
「つっかれた。ほんとに管轄外なんだよ」
教室に入り、雫が愚痴りながら運動着を脱いだ。理玖も汗を拭いながら着替えをすすめる。
「結構仲いいよな、二人」
理玖はただ気になったことを尋ねた。初めて二人の関わりを知った時と違って、まだ話していても良かったなと思えていた。タイミングが悪くて中断せざるを得なかったけれど、あの輪に残りたい気持ちがあった。
「仲いいってか」雫は淡々と答える。「中学でもこういう、仕事で一緒になること多くて。楽なんじゃね? やり方わかってるから」
思っていたより冷たい返事だった。理玖が「ふーん」と言いつつ思い浮かんだ疑問の尋ね方を考えていると、その顔を伺った雫が言った。
「別に嫌いじゃないよ」
「あぁ……ちょっと、心配した」
理玖はホッとした。自分が良いと思った場所が雫にとって嫌な場所なら振る舞いに気をつけようと思っていた。
「渡部さんがどうとかじゃなくて、彼氏がいる人とべたべたしてる感じに見えるのがな。……面倒だから」
「へぇ」
理玖に細かいところは伝わりきらなかったが、最後の一言で心の底からだるいのは分かった。「理玖も居んならいいんだけど」とこぼして、雫は制服を着終えた。
「ねー。昼、学食行こうぜ」
理玖は脱いだ服を片付けながら耳を傾ける。
「まだ話したそうだったら渡部さん連れてくから、理玖も古森くん誘ってさ」
「俺、弁当だけど。まあ分かった」
じゃ、と雫が教室を出ていったので理玖は古森の姿を探した。自身の席にはおらず、ハチマキやはっぴをいそいそと脱いでいる生徒の近くに制服で立っていた。近づいていくと古森は理玖に気が付いて、話していた生徒に「急いでるとこありがとね!」と言って離れた。
「競技の話?」理玖が尋ねた。
「そうそう、でもタイミング悪かったね」
廊下に出ると制服姿のクラスメイトがいじっていたスマホから顔をあげて「ね、まだ?」と聞いてきた。「ごめんまだ! あと二、三人待って」と古森が答える。理玖は横でロッカーから弁当の包みを取り出した。
「今日の昼なんだけど」
「あ! ハンバーグパン買いに行かないと」
「そっか、じゃあ丁度いいかも」
「なにが?」
首を傾げた古森に、雫とおそらく玉乃が学食で待っていると伝えた。古森は「いいね、久しぶりじゃん」と楽しげに了承して小銭を片手に歩き出した。