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【09】終話


 一人の青年が、教会の関係者用の静かな休憩室で、黙って窓の外を見つめていた。

 青年の向かいには、北部教会を束ねる神官長・エミールが座り、その隣にはリリアの姿もある。


「……これで、すべての計画が終わりましたね。クラウス……いえ、シャーロット嬢」

「はい……」


 青年――クラウスは、首元のチョーカーにそっと手を伸ばす。

 長年身に着けていたそれを外し、次に耳元のピアスを外すと……その体の輪郭は、静かに、しかし確かに変わり始めた。


(もう隠れなくていい。誰の声にも、視線にも、怯えなくていい――)


 骨ばった顎のラインは柔らかくなり、喉仏はすっと消え、鋭かった瞳は丸みを帯びた金色の瞳に変わっていく。低く落ち着いた男の声は、自然と女性らしい柔らかな声へと戻っていった。


「これで……ようやく、自由です。ふふ……」


 まるで長い夢から覚めたかのように微笑むその姿は、正真正銘の“シャーロット”だった。


「……初めてライラから相談を受けたときは、私も驚きましたよ。“娘を男にしたい”だなんて」

「本当です……。私が初めてお会いした時には、すでにクラウス様のお姿でしたから。まさかご令嬢だとは、夢にも思いませんでしたよ。……エミール様に聞かされたときは、膝が抜けそうでした」


 リリアと初めて出会ったのはシャーロットが十二歳を迎えた年。最寄の教会に派遣されて来たのがきっかけだった。


「私も、よ。……あの時、まだ五つくらいだったかしら。お母様が泣きながら理由を話してくれたけれど、私は何も分かってなかった……」


 ――ラングレー家で生まれた彼女に待っていたのは過酷な運命だった。

 家に必要なのは、“魔法の才を持つ男児”のみ。

 女児であるシャーロットは、母親ともども切り捨てられる運命にあった。だが、それを覆したのが、母ライラの“啖呵”だった。


『どうにかして、この子を男にしてみせます! ――だから、どうか、殺さないでください。お願いします……。この子には、魔法の素質があります。神官長様が……そう仰ってくださったんです!』


 床に額を擦りつけ懇願するライラの瞳は怒りに燃えていたという。

 そしてまた、その啖呵に、ラングレーは珍しく高らかに笑ったらしい。そして、「どうにもならなければ、命はないと思え」と猶予を与えたのだった。

 そこからのライラは鬼気迫る勢いだった。実家やエミールの力を頼り、あらゆる伝手を使って“姿と声を変える魔道具”を探し、ついに遠くの地でファーガスト家がその品を持っていることを突き止めた。


 ――変声機能付きのチョーカーと、異性へ体を変えるピアス。


 それを手に入れると、次は「養子縁組が可能な貴族の戸籍」を探した。幸いにも、没落寸前の貴族にシャーロットと同い年で、かつ生後間もなく亡くなった男児がいたと知り、多額の金を支払った。その子を「生きていたこと」にして養子手続きを進めたのだ。もはや、法を踏み越えた詐称だった。


(お母様のそれは、愛だったのか。狂気だったのか。――でも私は、それに救われた)


 令嬢としての作法と、クラウスとしての剣と魔法を教え込む日々。それはまるで、子供のおままごとのようだった。


 今日はシャーロットの日、明日はクラウスの日――そう言いながら、交互に「生きるべき役割」を演じさせられたシャーロットは、上手くできないと悲しむ母を見たくない一心で”ごっこ”を本格的に演じ始めた。

 貴族出の男性使用人の立ち居振る舞いを見ては真似をして。雑談を壁の奥で聞き耳を立てては、男性の話題がなにかを調査し、参考にしていった。


 期限の日、ライラはすっかりクラウスとして成長した娘を、ラングレーの前に連れて行った。

 ラングレーは、その完璧なまでの“息子”を見て、また、犯罪まで犯したライラを豪快に笑い飛ばし、こう言ったという。


 ――見事だ。約束通り、生かしてやる。


 そうして二人は生き残れたのだ。


「ギド隊長も、いい方で良かったです」

「彼は父との仲も良好でしたし、何よりラングレー伯爵とも旧知の仲ですからね。最初は驚かれていましたが、快く協力をいただけたのは強かったですね。そうじゃないと、クラウスの死の偽装は骨が折れたことでしょう」


 その言葉に、シャーロットは力強く頷いた。


 シャーロットの境遇を嘆いてくれたギドは、クラウスが討伐で行方不明を装うための準備をノリノリで手伝ってくれた。

 だが、それも魔弾銃が完成していなければ、断られていたに違いない。

 それに、向かいで無邪気に笑う、この神官長の決断にもシャーロットは驚いていた。愛するライラのために、死人を生き返らせ、生者を二人も表舞台から屠った。およそ神官長がする判断ではなかった。


「それにしても、リリアの化粧の腕前はすごいでしょう」


 そんなこと微塵も気にもしていない彼は、得意げに鼻を鳴らしている。以前もそうだったが、なぜ本人ではなく彼が胸を張っているのか。

 だが、シャーロットはエミールのリリアへの可愛がりぶり微笑ましくも思えた。


「はい。さすがです。本当に助かりました」


 今回のシャーロットの身支度は全てリリアが行った。幼い頃に伸ばした髪で作った付け毛を足して髪を結い、病弱に見えるように白粉をたっぷりと振った。


「どうせなら普通のメイクがよかったですけど。お役に立てて何よりです! ……そういえば、伯爵家の方はどうなってるんですか?」


 にっこりと笑うリリアはやはり愛らしい。彼女の存在は、シャーロットの中での数少ない癒しだった。だが、続いたリリアの問いに、すぐに苦笑いする。


 あの日、無垢な少女シャーロットは、きちんと先手を打っていた。


 *


 それはミレイユとの初対面の日。


『そのお言葉を聞けて本当によかったです。私はこのまま神官長様とお話がありますので、失礼ですが、ご退席をお願い出来ますか?』

『もちろんです。お身体の優れない中、ありがとうございました』


 ミレイユは、立ち上がり一礼すると、応接室を出ていった。浅はかなあの女のことだ、今頃は扉の向こうで、したり顔で勝利を噛みしめている頃だろう。


 そうして、シャーロットはまず、父の殉職に伴い、伯爵家の人間が従軍できない期間、免除を受けられる特例は使わない事にした。

 代わりに、クラウスとして従軍するまでの間、通常の倍の寄付金をシャーロットの名前で支援することをエミールに伝えた。


 伯爵家において父は唯一の戦力であり、その喪失は小さくないはずだった。

 そこで手っ取り早いのが支援金だ。これで現場の士気が少しでも下がらないことを祈るしかなかったが。結果シャーロットの株は鰻登りのように上がった。


 そして、エミールに偽の診断書を用意してもらい、子が産めない。と除籍の際に口添えした。

 血筋と伝統を重んじる北部の貴族はいい顔をしないのは目に見えている。

 子を望めないと知るや否や、北部の石頭どもはあっさりと許可を出した。病弱な令嬢など北部にはふさわしくないと、嫌味を添えて。


 それから、おんぶに抱っこだった、魔石の採掘にかかった費用と、研究費も半分は出させもらった。今後の利益はもちろん不要だ。

 そして、販路はファーガスト家と契約をしてしまった事も伝えたが、やはりファーガストの名前は強く、エミールはそれも二つ返事で快諾してくれた。


 そうして、伯爵家の抱えていた事業も独立させ、使用人には一生遊んで暮らせるだけの退職金を前払いして渡した。

 これで伯爵家の資金源はほぼなくなる。嘘の帳簿までつくったが、伯爵家の経営状況を正確に把握している者が見れば、すぐに気づくだろう。

 それで、彼女が散財を踏みとどまればいいが。


(無理よね、きっと。……彼女が素晴らしい女性なら、こんな未来にはなっていないもの)


『……シャーロット様……本気、なのですね』


 そうして話し合いが終わるころに、セバスチャンが平坦な声でそう言った。

 ずっと父に支えてきた信頼のおける執事は、いつだって父親の指示を遂行してきた。なんて酷い人だろうとも思ったこともあったが、彼の雇い主は父だ。

 ある程度の年齢になった時には、それが彼の義務なのだと理解できた。彼は屋敷の中で唯一真実を知る人物。それほどまでに、ラングレー伯爵からの信頼を得ていた。


『代々、うちに勤めてくれていたあなたには申し訳ないけど……。知ってるでしょ? 私には伯爵家に居場所がなかったことを……。そんな私が、この家を守りたいだなんて、思えるはずもないわ』


 産声を上げた瞬間から、自分の人生は決まっていた。

 父に殺されるはずだった人生は、母のお陰でなんとか繋ぎ止められた。

 あの人の冷たい視線を見るたびに、なぜ自分は男ではなかったのかと自身を責めた時期もあったが、今ではもう何も感じない。


『セバスチャンには退職金をたんまり出すから、奥様と一緒に好きなことをして暮らしてほしいの』

『年齢的にも、隠居を考えておりましたので。この老いぼれにはありがたいお話です。それにしても、あなた様は本当に今までよく頑張られました』

『……ありがとう。セバスチャン。あなたも……これからは、自分の人生を生きて』


 そうして必要な手配の指示を終えると、シャーロットはミレイユの連れ子と顔を合わせる事なく、静かに屋敷を出ていったのだった。


 *


 シャーロットは屋敷に残ってもらった使用人達から聞いた話をリリアに伝えた。

 彼らには、シャーロットが追加で手当を出して、すでに退職してもらっている。


「案の定、散財に散財を重ね、ついには借金まで――。しかも、帳簿を管理してた愛人は、ちゃんと気がついていたみたいで、一部のお金を横領してたみたい。クラウスの栄誉もあるから、数日後には彼女の有責で伯爵家はなくなって、今後どうするかの会議が始まるでしょうね。クラウスの弔慰金は辞退してあるから、それも彼女は当てにはできないだろうし」

「それは、なんというか……ですね」


 リリアの気まずそうな声にまた苦笑した。

 だが、すぐにソファから立ち上がったシャーロットは、手を揃えて深々と頭を下げた。


「お二人とも、本当にありがとうございました」

「こちらこそ。あなたのおかげで、ライラとの穏やかな暮らしが手に入りました。本当に、感謝しています」

「私は……そんなに大したことはしてませんけど。――シャーロットさんの、これからの幸せを心からお祈りしています」


 二人の言葉に、シャーロットは頬を緩めて微笑んだ。

 そのまま深く息を吐き、小さなトランクを手に取って、馬車へと向かう。


 一通の手紙を大切な友人に宛てて送り――


 その行き先は、北部と東部の領境にある、小さな街だった。東部の初夏の風が、頬を撫でるように吹き抜け彼女の長い髪を攫っていく。


「今頃、クラウスの慰霊式が行われてる頃かしら」


 軍の技術貢献者叙勲式は、静かな慰霊式へと形を変えて開催されたという。

 だがシャーロットはそこには向かわなかった。

 代わりに訪れたのは、旧子爵邸の裏手――今はもう誰にも見向きされない、荒れた墓地のような場所だった。


 シャーロットの腕には、鮮やかな花々で束ねられた小さなブーケ。


「……はじめまして、クラウス。私はシャーロット。こんなに遅くなってしまって、ごめんなさい。でもどうしても、ちゃんと伝えたかったの。ありがとう。あなたが私に生きる意味をくれた。あなたの背中が、私の道しるべだったわ」


 自分のせいで墓標も立ててもらえなかった、彼の眠る土の上に、そっと花を手向ける。

 ライラもずっとそれを気にかけていたらしい。場所を知らないかときいたら、彼女はつい先日のことのように「ここよ」と教えてくれた。


「……せめてものお返しに、あなたの名前を北部で響かせたの。ほんの少しでも……あなたの存在が、誰かの記憶に残るように」


 スカートに土がつくことも気にせず、膝をつき、胸の前で手を組んで目を閉じる。

 静かな祈りの中で、シャーロットは、長い“クラウス”としての生を、本人へと報告した。


「さようなら、……私の相棒さん」


 ――さようなら、“父の望んだ私”


 *


 再び馬車に乗り込んだシャーロットが目指すのは、憧れ続けた南部。


 手紙は届いただろうか。彼女は涙に暮れてないだろうか。勝手に決めた待ち合わせの場所に、彼女は本当に来てくれるだろうか。


 期待と不安を胸に抱きながら、長い旅路の末――シャーロットは、南部の陽光に満ちた街に降り立った。


 南部の気候に合わせた軽やかなワンピースと、つばの広い帽子にサンダルを合わせて、足取り軽く歩いていく。


(ちゃんと、貸した借りは返して貰わないと、ね。)


 待ち合わせ場所に指定していたのは、彼女の実家。街並みに溶け込むように建つ、大きく立派な屋敷の前。


 そこに、いた。

 ――あの金髪碧眼の少女が。


 シャーロットは、頬を伝う汗も拭わぬまま、満面の笑みで少女に駆け寄り、――勢いよく抱きついた。少女は驚いたように目を見開き、少しだけ身を固くしている。


「もしかして……あなたが!?」

「そうよ! これからは、シャーロットって呼んでちょうだい。ねぇ、さっそく街を――ほら、ずっと案内してくれるって言ったじゃない!」


 パッと、回していた腕を離すと、シャーロットは帽子のつばから顔を覗かせて、少女の顔をしたから覗き込んだ。


「っ、その前に言うことがあるんじゃないの?!」


 たが、彼女は両手を腰に当てて柔らかいはずの目元を吊り上げて怒っている。


「ふふっ。私の秘密を知ってたんでしょ? ハッタリもかましてみるものね」

「っ〜〜! こっちがどんな思いだっか、知らないでしょ!?」


 パチンと頬を挟まれたが、すぐに離される。


「ちょ、ちょっと、汗だくじゃない、あなた!」

「ふふ、本当に南部って暑いのね! 心配かけてごめんなさい、エマ」


 再会の言葉もそこそこに、シャーロットはその温もりを確かめるように抱きしめた。

 ああ、ちゃんと――届いていたんだ。あの日のあの手紙が。会いたい気持ちが。


「もう! 聞きたいことが山ほどあるんだから。今日は寝かせてあげないからね!」

「ふふ。そんなこと言われたら、照れちゃうわ」


 大きな口を開けて笑うシャーロットはもう令息でも、令嬢でもない。

 空には大きな入道雲が浮かんでいた。


 ようやく私の物語が、私のものとして動き出す――シャーロットとして。


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