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【08】別れ

 

「クラウス! 元気にしてた?」

「ああ、おかげさまで。そっちはどうだ?」


 夜。待ち合わせに指定した店で、向かい合って座った二人は、久しぶりの再会を喜び合っていた。


「超元気! クラウスのお陰でうちはまた稼がせてもらってるから。本当にありがとう! 実は……父さんが『俺も魔道具を作るんだ!』って、研究を初めてたんだけど、失敗続きでうち、やばかったの……」


 そういえば、なぜ彼女が兄の代わりに討伐に出ていなかったのか聞いていなかった。

 まさかそんな事情があったとは。事業自体は順調だったファーガスト家が、そんな苦境に立たされていたとは、思いもよらなかった。


「……なら、エマがお兄さんの代わりに討伐に出たのって……」

「そう。討伐給を目当てにしてたの。うちにはたまたま、攻撃性能を持った魔道具が残ってたから、それを持って……。今思えば無謀だったって思うけど、家がなくなるよりはって……。馬鹿よね」


 肩を落とすエマの姿に、クラウスは目を細めた。彼女が士官学校に戻ってきたときの順位は、クラウスとほとんど変わらなかった。それだけで、並々ならぬ努力をしてきたのだとすぐにわかった。


「……いや、大切なものを守りたかったんだろう。すごいよ。でも、なんで北部の士官学校に?」

「兄の代わりに討伐に出てよく分かったわ。魔法使いが、隊の人たちがどんなに過酷な状況で討伐に出ているか。だから、私もちゃんと強くなって、手助けしたいと思って、北部が一番って聞いたら」


 魔弾銃のときにも感じたが、なんて真っ直ぐな人だろう。クラウスはエマの話を聞きながら、胸の奥に重くのしかかるものを感じていた。

 家族のため、仲間のために戦う彼女の強さに、改めて敬意を抱いた。


「エマは、すごいんだな。……尊敬するよ」

「へへ。クラウスに言われると嬉しい、ありがと」


 クラウスはエマの瞳を見つめ、言葉の裏に隠された覚悟を感じ取った。

 笑顔を浮かべたエマだったが、すぐにその表情は曇っていく。


「……私はあの日クラウスに出会って、チャンスだと思ったの。だから……ごめん。脅すような事を言って……。それに、本当はクラウスの秘密を、詳しく知らないの」

「……は?」


 その告白に、クラウスは間の抜けた声が出た。


「もちろん、何か秘密を抱えてることは分かってた。でも、確信はなかったわ。あなたの反応を見て、かかった! って思った。ふふ、……ハッタリも言ってみるものね」


 悪戯が成功したような、それでいてどこか罪悪感がにじむ表情で笑うエマに、クラウスは思わず椅子にもたれかかった。


「なんだよ、それ。まんまと引っかかってたのか……」


 あの時の緊張を返してほしいくらいだった。

 ただでさえ味方がいない環境で、クラウスからすればエマの存在は脅威だったのだ。

 魔法契約を結べたからよかったが、そうでなければ彼女を恐れて暮らしていただろう。


「ふふ。ごめんなさい。それがずっと引っかかってたの。今更だけど、許して?」


 ペロリと舌を出すエマは、どこか愛らしかった。

 クラウスは、もしエマが将来結婚するなら、相手は大変だろうけど、きっと楽しい家庭になるんだろうなと、なんとなく感じていた。


「貸しだからな」

「クラウスへの貸しなら喜んで! そういえば聞いた? 今度、軍技術貢献者叙勲式が取り行われるって」

「ああ。上官から聞いてる。でも、俺は参加は遠慮しとく」

「えー? なんでよ?」

「別にそういうつもりで作ったんじゃないんだ」


 ただ、自身と周りの人達の悲惨な未来を変えたかった。ただ、それだけたった。


「……そういえば、どうしてクラウスは魔弾銃を作ろうと思ったの?」


 聞かれて少し迷ったが、エマとはこれからも付き合いは続いていくだろう。クラウスは、自身にあったことをエマにも伝えた。


「……女神様から、啓示を受けたんだ。自分が討伐先で死ぬっていう悲惨な未来を教えてもらって。それを回避するために、作った」

「……そうだったの。なら、これからは……? まぁ、討伐の義務がクラウスにはあるけどさ……」

「いつか南部に行きたいと思ってる。だから、その時は案内してくれよ」

「もちろん! でも、私の故郷は暑いから、クラウスにはちょっと厳しいかもね。私、初めてこっちに来た時、寒すぎて死にそうだったもの」


 冗談ぽく笑ってはいるが、確かに。南部に行きたいとずっと思っていたが、クラウスは南部の気候を数字でしか知らない。


「幸い氷魔法が使えるから、それで耐えるよ」

「それはいい案だわ!」


 そうして、ささやかなひと時を過ごしたクラウスは、軍技術貢献者叙勲式を三日後に控えたその日、任務に赴いた先で――静かに命を散らした。


 ***


 ――シャーロット殿


 このたび、北部討伐任務に従事しておりました第七討伐隊・クラウス・ラングレー殿につきまして、討伐行動中の事故により、消息不明となりましたことを、ここに報告申し上げます。


 現地での捜索の結果、クラウス殿の所持品の一部――魔弾銃および衣服の一部が発見されております。

 しかしながら、遺体は確認されておらず、現時点では死亡を前提とした処理を行っております。


 つきましては、法規定に基づき、軍事戦死者としての手続きを進める所存です。

 詳細な経緯、および今後の対応につきましては、後日改めて書面にてご案内いたします。


 このたびの報せ、まことに痛惜の極みでございます。ご家族様におかれましては、何卒ご自愛くださいますようお願い申し上げます。


 北部第七討伐隊

 隊長 ギド・ヴァルター


 ――通達を読み終えるその彼女の顔には、晴れやかな笑顔が浮かんでいた。


 ***


 クラウスが殉職した。

 その報せは、エマの耳にも届いていた。そして、ミレイユの元にも。


 ――報せは、いつだって突然だった。


「……討伐先で、死去?」


 震える指先で、文書を掴む。公印は間違いない。


「北方第二討伐隊所属、クラウス・ラングレー、討伐中に殉職」


 淡々とした文面が、恐ろしい現実を突きつけてきた。


「嘘よ……そんな、だって……!」


 ――まだ娘はクラウスとの間に子どもをなしていないのに……。


 ミレイユは思わず椅子にしがみつく。けれど、足元から崩れていくような感覚は止められない。


 クラウスは――この家の、唯一の“希望”だった。

 いや、正確には“最後の盾”だった。


 だが、何度連絡を送っても、士官学校を卒業して以来クラウスは一度も帰ってこなかった。

 顔を出さず、文も寄越さない。まるで伯爵家を捨てたように。


 それでも、ミレイユは負けじと会いに行ったりもしたが取り継いでももらえなかった。

 それに、討伐給の額だってずっと気にしていた。


「おかしいのよ、どう考えても。あの子は優秀なんじゃないの?」


 毎月の、雀の涙ほどの討伐給。安定的に入ってくる税収はあったが到底足りなかった。

 後で気がついたことだが、ラングレー前当主の弔慰金をシャーロットが全て持っていっていた。

 領地の経営はとうに火の車。借金は膨らむばかり。それでも、伯爵家の威信を守るために、無理にでも貴婦人の仮面を被り続けた。


「それなのに……これで、どうしろっていうのよ……」


 クラウスは、死んだ。あの子が死んだなら、この家に残るのは負債と瓦礫だけ。ラングレー家の名を背負ってきたミレイユの肩に、すべてがのしかかる。

 すでに債権者は騒ぎ始めている。夫はとうに墓の中。義息は戦場で雪に還った。


「……ああ、なんてこと。なんてことなの」


 虚ろな瞳で、ふと窓の外を見る。

 屋敷の庭は、もう荒れ果てている。誰も手入れをしない花壇、壊れかけた噴水。まるで、この家そのもののようだ。


 ――あの子の子どもさえ、生まれていれば……。


 家名だけでも、まだどうにか繋ぎ止められたかもしれないのに。


 ――――


「……どういうこと!? 私に隠してたの!?」


 夜の書斎に響く、ミレイユの怒声。

 帳簿係であるかつての恋人――ガストンは机の向こうで肩をすくめる。


 初めて知った事実は耳を疑うものばかりだった。

 どうりで伯爵家にも関わらず収入が少ないはずだ。ずっと疑問だった問いの答えをようやくミレイユは知った。

 全てはあの、純粋無垢の世間知らずのはずだった、シャーロットにしてやられていたのだ。

 しかも、シャーロットは裏で伯爵家の財産を使い込み、嘘の帳簿まで作り上げていた。

 ミレイユは唖然とした。まるで、彼女は最初からラングレー家を捨てるつもりだったかのような手筈だった。


「隠すも何も、最初から無理だったんだよ。でも、お前に話してもどうせ理解もせずに、どうにかしろっていうだけだろ? だから黙ってたんだ。クラウス坊ちゃんが死んだなら、もうこの屋敷にも用はないな」

「は……? あなた、私を誰だと思ってるの?」

「今の“伯爵夫人”様に、何の価値があるっていうんだ。屋敷はボロボロ、土地は二束三文、家名は借金まみれ。で、お前は? ただの未亡人に逆戻りだ」


 ミレイユは目の前が暗くなるのを感じた。


「……じゃあ、あなたは今さら私を見捨てるっていうの?」


 ガストンは、かつては甘い言葉で彼女を巧みに操っていた。寝室を共にし、夜ごとに耳元で囁いた「あなたは伯爵家の宝だ」と。それなのに――今は、まるで別人だ。


「悪いが、俺も命は惜しいんでね。これ以上、沈む船には乗れない。そもそも、あんたが浪費をやめてりゃ、まだ立て直せたかもしれねぇんだぞ」


 ミレイユは、わなわなと震えた。


「……ふざけないで。全部、私のせいだとでも?」

「誰のせいかなんて、今さらどうでもいい。俺はもう荷物をまとめた。明日の朝には出る」

「逃げるの……?」

「当然だろ。こんな屋敷、あと数日で差し押さえられる。あんたはここで“伯爵夫人ごっこ”でもしてりゃいい」


 吐き捨てるような声だった。


「……あなた、私を愛してたんじゃなかったの?」


 ミレイユの声は、震えていた。

 男は、哀れむように笑っている。


「愛? ああ、愛してたさ。金と地位を持ってた“伯爵夫人”をな。だけど、今のあんたにゃ、愛も金も価値もない」


 ズキリ、と胸を抉られるような痛み。悔しいのでも、悲しいのでもない。ただ、惨めだった。


「……最低ね」

「お互い様さ。なぁミレイユ――現実を見ろ。お前は、もう何も持ってない女なんだよ。それにお前の子どもはどうだ?」


 ミレイユは、言葉を失った。

 アビーは……あの子は昔から、自由奔放で手を焼いた。けれど、夜遊びを重ね、不倫の果てに妊娠したと知ったとき――ミレイユの中で、何かが壊れた。

 エドガーはというと、かつては聡明な子だったはず。だが今ではドラッグに溺れ、廃人も同然の姿で、部屋に閉じこもる毎日を送っていた。


「それに、貴族籍にしがみつくなら、誰が従軍すんだ? 金もないなら神殿に勤めるか? お前が? ははっ! そうなったらお祈りにでもいってやるよ。哀れな女の末路にな」


 ガストンは言いたいことだけ吐き捨てると、こちらを振り返りもせず書斎を出ていった。扉が閉まる音は、妙に静かだ。


 ――残されたのは、ひとりの女だけ。


「……何も……ない……? どうしてよ?! 私が何をしたっていうの? ……ただ幸せに暮らすことを願ってなにが、なにが悪いのよ……!」


 ミレイユは、肩を抱き椅子に崩れ落ちた。虚ろな目で、机の上の帳簿を見つめる。数字がすべてを物語っている。もう終わりだと。


「……ガストン……あなたまでも……私を見捨てるのね……」


 声はかすれて、涙も出なかった。ただ、ひたすら静かに――ラングレー家という名の、長い夢は終わりを告げた。 


 こうして、ラングレー家最後の夜は更けていくのだった。



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