【06】無垢な少女
ミレイユは焦っていた。運良く伯爵家に拾われ当主は不在。予算は決められていたが、ある程度自由に扱うことが許されていた。それに北部での生活には慣れている為、生活面で苦労することはなかった。
もちろん、出来ればラングレーとの間に子供を儲けたかった。貧相な前妻よりも、断然自分は魅力的だ。流石のラングレーも放っておかないだろうと思っていたが、待てど暮らせど彼が帰ってくる気配はなかった。
手紙を何度か書いたが、セバスチャンから言伝で、「そんな事で取らせるな」と断られる始末。
いつか来るかもしれないと思っていた当主の死が、こんなに早く来るなんて予想もしていなかった。戦闘狂という名に信頼をおくべきではなかったと頭を抱えた。
肖像画でしか顔を見たことのないラングレー伯爵の葬儀を終え、ミレイユは応接室で、これまた会ったことのないシャーロットを待っていた。
目の前には、見目麗しい北部の教会を取りまとめる神官長が穏やかな笑顔で紅茶を嗜んでいる。
本当にシャーロットが現れるのか、ミレイユは半信半疑でその場にいた。
控えめなノック音に返事をすれば、扉が静かに開く。
年老いた執事長に案内されてやってきたのは、青白い顔色をした令嬢――シャーロットだった。
黒い髪をまとめ、金色の瞳をした令嬢には、肖像画で見たラングレー伯爵の面影が重なって見える。
全体的に線が細いのだろうが、スノーウルフの毛皮で作られたロングコートにより、よくは分からなかった。だが、その危うい足取りを補助するかのように、彼女は杖をついている。
「ラングレー伯爵家の一人娘、シャーロット・ラングレーです。この度は父の葬儀を無事に執り行って頂けましたこと、神官長様、執事長にもご尽力いただき、誠に感謝しております。到着が遅れたこと、ご挨拶が遅くなりましたこと、申し訳ございません」
背筋を伸ばし、淡々と告げるシャーロットに、ミレイユはすぐさま深く頭を下げた。
「お初にお目にかかります、シャーロット様。ミレイユと申します。先代――ご主人様には、あまりに多くのご恩をいただきました。……ご挨拶がこのような形になってしまいましたこと、どうかお許しくださいませ」
物腰はやわらかく、けれど過剰にならない節度を保った。ミレイユの運命は、今この少女に握られている。表情にも声にも、作った礼儀と本音の緊張が混ざった。
「お気になさらないで下さい、ミレイユ様。それで、……今日、お時間をいただいたのは、今後の屋敷と家のことについて、必要な確認をするため……でしたよね? 神官長様……」
シャーロットは椅子に腰を下ろしながら、神官長に視線を送りうなずきを受け取っている。
(緊張しているのかしら……?)
彼女はずっと療養して、引きこもっていたと聞く令嬢。
(この娘、世間知らずかもしれない――)
ミレイユは心の中でそう呟きながら、内心に小さな希望の芽を感じた。
「あの……ミレイユ様は屋敷の管理をしっかりなさっているように、久しぶりに屋敷を訪れて、そう思いました」
突然なんの話かとミレイユは内心驚いていた。
こんな小娘に言われてもちっとも嬉しくないが、内装にも金を掛けて自分好みにしたのも事実。向けられる眼差しはどこか尊敬の念が込められている様にも感じた。それは、勘違いではない気がした。
「……そう言っていただけて嬉しいですわ。ラングレー伯爵家の屋敷は歴史あるものですから、きちんと管理をと思っておりましたの」
「そう言っていただけて嬉しいです。ミレイユ様がこんなに素敵な方だとは……。私は、今後もこの屋敷で過ごすことは難しいと考えています。
今は、体調がたまたま安定しているだけで、北部での暮らしは到底耐えられそうにありませんから」
「まぁ……。そうでしたか」
「なので……といいますか……。私はこの伯爵家にふさわしくはないように思います。これ以上迷惑をかけない為にも……これを機に除籍をしようかと思うんです。
初対面でこのような事を聞くのはどうかと……自分でもわかっているのですが。ミレイユ様は、どう思われますか……?」
まさかの内容だった。そんな事を神官長ではなく、ミレイユに聞いてくるなんて。
(どういうつもり……? 本気なの? それとも……試している?)
僅かに目を見開いたミレイユは、気まずそうに神官長を見るが、エミールは先ほどから変わらない表情で話を聞いている。
いや、むしろエミールの視線が、シャーロットの背をそっと押すように動いたような気がした。
神官長も執事長も何も口を挟まない。その沈黙が、不安を確信へと変えていく。となれば、どうやら本気らしい。
(シャーロットはバカね。のこのこと除籍だなんて言葉を口にして……)
残ったクラウスをすぐに娘と結婚させて取り込めばミレイユは安泰だ。だが、ここで露骨に除籍を喜ぶのはマズい。世間体が悪いし、神官長も同席している。
(“家のため”って顔して、あのバカ娘を息子に繋げれば……それはそれでありだわ)
ミレイユは、わざとらしく眉尻を下げ、作られた悲しみを顔に浮かべた。
「まあ……。今やラングレー家の正当な血筋はあなただけ。除籍なんて、そんな悲しいことをおっしゃらないで下さい……。そうだわ、伯爵家を守るためにも、ぜひ私の息子と顔を合わせてみてはどうかしら? あの子ならきっと、貴女をお支えできますわ」
さも親身そうに言えば、シャーロットは視線を落として俯いてしまった。
「……やはり、そうですよね。血筋のことはセバスチャンにも言われました。それに……こんなに素敵で、物腰も柔らかなミレイユ様のご子息様でしたら、きっと素晴らしいお方でしょう。素敵なご提案をいただきありがとうございます。……ただ、私側に問題が、ありまして……」
(あら、意外と素直な子ね……。バカで助かるわ)
息子のエドガーはどこに出しても恥ずかしくない。あんな愛想のないクラウスと比べたら、圧倒的にエドガーの方が上だ。
とはいえ、シャーロットは断りの理由をつけようとしている。ならば、このまま除籍の流れに持って行けそうだ。
「シャーロット様に……ですか?」
どこか神妙な面持ちになったシャーロットは、チラとエミールへと視線を向けた。今まで空気だったエミールは、どこか気まずそうに口を開く。
「シャーロット様は……長年の持病の悪化により、お子を身籠る事が……出来ないのです」
「代わりにありがとうございます、神官長様。……なので、除籍がいいかなって、思って」
無垢な少女のようにそう話すシャーロット。
子どもも産めないのなら、それこそ用はない。さっさと除籍して、療養先に引っ込んでくれればいい。
「……そうでしたか。それは、何と申しあげればいいか……。そういう事情があるのでしたら、私はシャーロット様のお気持ちを大切にしたいと思います」
「ありがとうございます。ではその様に手続きをさせて頂きますね。伯爵家とクラウスを、今後も宜しくお願いします。
それと、クラウスともすでに話はついております。ご面倒をお掛けしますが、今後のこの家のことは、ミレイユ様に全てお任せできたらと思いますが、いかがでしょうか」
ミレイユは勝利を確信した。
にやけそうになる口元と表情を引き締める。
「ええ、わかりました。しっかりと伯爵家を守れるように、取り組んで参ります」
「そのお言葉を聞けて本当によかったです。私はこのまま神官長様とお話がありますので、失礼ですが、ご退席をお願い出来ますか?」
「もちろんです。お身体の優れない中、ありがとうございました」
ミレイユは、立ち上がり一礼すると、応接室を出る。
扉を閉めてすぐ、思わず出た拳を強く握った。あとはあの無愛想なクラウスを籠絡するだけだ。
クラウスが父親と同じ様に殉職するリスクは高い。もしアビーとの間に子供が出来なければ、娘は自分と同じ未亡人になってしまう。
領地や財産は娘アビーが持てるが、伯爵家の断絶リスクがある。クラウスが父親同様に屋敷に帰って来ないことだけは阻止しなければならなかった。
(あの無愛想な坊やさえ、屋敷に戻ってくれば——こちらのものよ)
ミレイユは心の中でほくそ笑んだ。
娘のアビーは顔合わせをした時からクラウスを気に行っている。他の貴族家としても領民としても、二人が結ばれれば誰も文句は言えまい。
(討伐の間、屋敷のことは“妻”が取り仕切る。男は外、女は内。あの子はそれで満足するはず)
クラウスが再び屋敷へ戻れば後は簡単だ。夜に娘を部屋へ向かわせれば、流れは作れる。
男は単純だ。それにクラウスはまだ若い。討伐での過酷な日々の中で、女の甘い肌が目の前にあればすんなり縋るだろう。
(子を作ってしまえば、こっちの勝ちよ!)
たとえクラウスが父親のように殉職しても、
その時には“正妻”の座も、子もすべてアビーが手に入れている。口の中に広がる勝利の味は、甘く濃密だった。喉の奥に笑みが込み上げるのを、懸命に飲み込む。
(シャーロットの除籍も済んだ。次はクラウス――あなたの番よ。ふふ、すぐに喰らってあげるわ、坊や)
ミレイユはにこやかに笑みを浮かべながら、次の一手を考え始めた。
だが、シャーロットが除籍を決めた事で、屋敷の状況はガラリと変わった。葬儀が終わるや否や、屋敷の人間たちは蜘蛛の子を散らすように去っていった。
当主を失った屋敷など、彼らにはもう用無しなのだ。屋敷に勤めていた使用人は、数人を残して辞職してしまった。
「どういうことよ?! あのガキには人望かないってこと?! 使い物にならない奴ばかりだわ!」
ミレイユは愚痴りつつ、自分の実家の縁者やツテを頼りにどうにか人を雇い入れていく。だがセバスチャンが辞めたことは幸いだった。
(これで堂々と、あの人を帳簿係に据えられるわ)
長年仕えていた執事長が消えたことに世間は同情するだろうが、そんなことはどうでもいい。大事なのは、自分にとって都合の良い人間を、財政の中枢に置けることだ。
ガストンは、ミレイユがラングレー家に嫁ぐ前から囲っていた愛人。
屋敷に顔を出すようになってからは、ミレイユの寝室に通うのも周囲には知られていた。
だが、そんな夜伽の余韻に浸る間もなく、屋敷の門前に軍の使者が馬を止めた。