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【02】偽装

※1−4話は改稿版です。過去の読了済みの方も楽しんでいただけたら幸いです。


「お帰りなさいませ、クラウス様。ようこそグラン夫人。お待ちしておりました」


 あの日教会から帰ったクラウスは、執事長のセバスチャンに、後日遠方から母の古い友人が見舞いに来ると伝えていた。

 ちなみに「グラン夫人」は実在しており、エミールの友人の夫人の名前だ。ライラが嫁いでからも、エミールは頻繁に彼女の名を借りてライラと文通をしていたと、エミールが教えてくれた。

 セバスチャンの丁寧な歓迎に、エミールは慣れた様子で淑女の礼で応じる。


(……慣れてる)


 普段から、こういった事をやっているのではと疑念を抱いたが、確かめる勇気はなかった。

 

「あとで部屋にお茶をご用意致します」

「ありがとう。頼むよ」


 執事長はもちろん父側の人間ではあるが、ここでは比較的中立的な立場を保っている。母には誠実に仕えてくれているようだが、父に何を報告しているかは不明だった。

 

 ライラの部屋の前で軽くノックし、少しだけドアを開けて声をかける。弱々しい返事を聞くと、クラウスがそっと部屋へ入り、ベッドの横へ椅子置くと母の手を握った。久しぶりに面会できた母の手は痩せ細り、細い指先に思わず手の力を緩めた。

 

「母上、グラン夫人をお連れ致しました」

「……ライラ。久しぶりね」


 クラウスは椅子から立ち上がり、代わりにエミールが腰掛け、ライラへと声をかけた。初めて聞くはずの声だろうが、「グラン夫人」という名と化粧をしたエミールの顔を見て、彼女はすぐに気づいたらしい。

 

「まぁ、久しぶりね。……わざわざ……来てくれたのね」


 ライラの声は少し掠れていた。少し咳をすると、乱れる息を整えている。

 

「最近は忙しくて手紙を送れてなかったから、ごめんなさい。まさかこんな状況になっていたなんて……」

「ふふ。全然構わないわ。来てくれたただけで元気になったもの。私の方こそこんな姿で……恥ずかしいわ」

「まさか。貴女はどんな姿でも美しいわ」


 漂う空気が、どこか甘く感じられた。――勘違いではない、たぶん。

 エミールがライラの手を取ると、部屋に一瞬眩い光が走る。

 わずかに肌色が良くなり、息苦しそうな感じも少し和らいだように見えた。クラウスはほっと胸を撫で下ろす。


「今はまだ全快させてはあげられない……。すまないが、もう少しだけ辛抱してくれ」

「ふふ。相変わらず、あなたは男らしいくて素敵ね。頼り甲斐があるわ」

 

 夫人の真似は終わったらしいが、声は女性のままだ。珍しく真剣な表情のエミールは眉根を寄せ、どこか悲しげにみえた。

 

「ずいぶん楽になったわ。ありがとう」

「ライラ、クラウスが女神様の天啓を受けたんだ。その事で相談したい」


 エミールの真剣な落ち着いた声音に、ライラは良くない話だと察したらしい。

 少しだけよくなった顔色が陰りをみせていた。

 

「……聞かせてちょうだい」


 クラウスはエミールから聞いた内容をライラに伝えた。話が進むにつれてライラの表情は徐々に固くなり、最後には涙をこぼした。


「あぁ……なんて事。そんな未来が待っていただなんて……。先にお教え下さった女神様には、感謝してもしきれないわ」


 クラウスが差し出したハンカチで涙を拭うライラ。その顔を伏せると、公爵夫人とは思えない短く整えられた黒髪がはらりと顔にかかった。その涙に、胸が締めつけられる。

 ライラは両手を胸元に重ね、感謝の言葉を口にすると、最後に胸元で十字を切っていた。

 

(救うために話したのに、母上を泣かせてしまった――)

 

 そんな罪悪感が、静かに胸を侵食していく。それにクラウスは自分自身を許せる気がしなかった。

 天啓がなければ、クラウスはエミールに相談することも、こうして彼を、ライラの前に連れてくることもなかっただろう。

 

「泣かないで。未来を変えに、ここへ来たんだから」


 クラウスの目の前で、エミールはライラの頬に手を添え、そっと落ちた髪を耳にかけた。二人だけの世界のようで、なんだか居心地の悪さがこみ上げてくる。

 

「……エミール、ありがとう」


 クラウスは「自分はお邪魔虫なのでは」と気まずさを感じながら、二人のやり取りを薄目で見守る。そこへタイミング良く、セバスチャンがお茶を運んできた。


(グットタイミングだ、セバスチャン。流石執事長)


 紅茶の香りが湯気に乗って広がると、緊張していた空気が少しだけ和らいだ気がした。

 エミールはクラウスと練った計画を語り出した。

 

 もし父が啓示通りに殉職するのならば、ラングレー家は将来的に没落させること。

 そして、スコルド領からも出て、自由気ままに暮らすこと。

 

 それがクラウスがエミールに相談して立てた計画。内容は、まだない。


 父の態度には辟易しており、散々な扱いを受けてきたクラウス。義息としてどうかとは思うものの、彼の死を回避したいとは到底思えなかった。

 

「私は元々よそ者だからいいけど、クラウスは本当にそれでいいの?」

「はい。南部に渡って自由に暮らせたら──それが間際の願いだったようなので、願ったり叶ったりです。ただ気がかりなのが……魔物の討伐の件ですね」

 

 クラウスが暮らすこの国では、定期的に各地にある「瘴気の穴」から魔獣が湧き出し、人々を脅かしている。そのため、貴族の長子には士官学校の修了と従軍が義務づけられており、討伐隊の一員として戦地に赴くのが通例だ。


 また、貴族には魔法使いの素質を持つ者も多く、戦場では欠かせない存在とされている。貴族籍であれば、性別を問わず魔法の適性があれば同様に従軍が義務づけられている。


 魔力自体は誰にでも備わっている。だが、魔法を扱うには才能が必要で、その適性を持つ者はごくわずかだ。平民であっても魔法の才能があれば重用され、魔物討伐の主戦力として抜擢される。


 剣や銃による戦闘も行われてはいるが、大型の魔物には通じにくく、魔法使いの数は常に不足していた。

 

 スコルド領は、一年のほとんどが雪に閉ざされた寒冷地である。隣接する氷雪地帯からは、不定期に強力な魔物が出現し、その討伐は他の地域に比べてはるかに困難を極める。父のことはどうでもいいが、領民が被害を受けるのはさすがに心が痛んだ。


「クラウス殿は貴重な魔法使いですからね」

「魔物の発生自体が抑えられればいいのだけれど……」

「……そういえば」

 

 ふと、未来の啓示でみた記憶にあった情報をクラウスは思い出した。

 ライラック鉱山から魔石が発見され、研究の結果、魔石が魔法使いの不足を補える可能性がある。というものだ。それはまだ研究段階であった為、あくまで可能性の域を超えないが……。


 その話を伝えると、ライラは嬉しそうに手を合わせて顔を綻ばせた。


「まぁ! ライラック鉱山ならすぐに手が付けられそうね」


 その姿に、クラウスの頭に疑問が浮かぶ。

 

「ライラック鉱山は、私の父が所有者なのですよ」


 エミールがにこりと微笑む。

 やはりこの男が聖職者には見えなかった。

 

 ***

 

 女神の啓示から一か月が過ぎ、士官学校への出発を三日後に控えたある日。

 クラウスの母、ライラは──「息を引き取った」ということになっていた。


「……ライラ様のご冥福を、心よりお祈りいたします」


 訪れたのはあの化粧の達人、ミリアだった。桃色の髪はベールに隠され、普段の愛嬌ある表情は、今は凛としたものへと変わっている。


 春が近いとはいえ、スコルド領はまだ雪深い。その知らせは控えめに出され、儀式はひっそりと執り行われた。

 重りが入った棺は、人知れず教会の地下へと運ばれていく。別れの祈りが終わると、クラウスとライラはエミールに深く頭を下げた。

 

「貴族がそう簡単に頭を下げてはいけませんよ」

「ここには私達と神官長様(エミール)しかいませんわ」


 母の穏やかな笑みに、クラウスは喉の奥が熱くなるのを感じた。なぜ未来の自分は、父に従い、母を見殺しにしたのか──あの日、祈りに行っていなければ……その可能性を思うだけで背筋が凍った。


(神官長様が手助けしてくれる。もう父にも、誰にも屈しない)


 ぎゅっと強く握られた手。そこにある小さな温もりは、確かに生きている証だった。

 

「神官長様、これから母を宜しくお願いします」

「勿論ですよ。お任せ下さい」


 かつて、ライラとエミールは両思いだったという。

 しかし、身分差と政略結婚により、ライラはラングレー伯爵の元へ嫁ぐこととなった。


 ライラはエミールの肩にそっと寄り添い、少女のような笑みを浮かべている。その笑顔にクラウスの頬も自然と弛んだ。

 エミールの屋敷はスコルド領の隣の領にある。ライラはそこで新たな人生を歩むのだ。

 

 雪深く、閉鎖的で、母にとっては息の詰まるこの地から、ようやく解放される――クラウスの目尻には涙がにじんでいた。

 

「……元気でね。着いたら直ぐに手紙を書くわ」

「楽しみしてる。……落ち着いたら会いにいくよ」

「いつでも私はあなたの味方よ」

 

 その言葉が胸に染みる。クラウスは何かを振り払うように、ライラを強く抱きしめた。温もりが、胸の奥に沁みていく。雪が降り積もるように、静かな別れだった。

 

 もう二度と、自分の選択を後悔しない――そう心に誓いながら。

 

 葬儀が無事に終わったことを執事長に報告し、荷物を手に馬車へと向かった。結局この一ヶ月間、討伐に出ている父と顔を合わせることはなかった。

 

 荷台には既に荷物が積まれている。

 日が落ち始め、外は薄暗い。


「クラウス様、行ってらっしゃいませ。お帰りを心よりお待ちしております」

「ありがとう、セバスチャン」


 執事長が深々と頭を垂れる。クラウスはその姿に手を振った。馬車が見えなくなるまで、セバスチャンは頭を下げ続けていた。


 士官学校のあるモンストラまでは、馬車で一週間ほど。クラウスは深く息を吐き、目を閉じる。


 エミールは、啓示のあの日からすぐに鉱山の調査を父に依頼してくれた。もし啓示通りになるなら、これから約三年後に父は殉職する予定だ。

 その頃にはクラウスは士官学校を卒業しているかもしれない。

 

 それまでに魔石の研究が進み、武器転用の目処が立てば……。だが、採掘が順調に進む保証はないし、本当に魔法使いの代わりになるかも未知数だ。


(焦っても仕方ない)

 

 馬車の揺れが、心の中のざわつきを少しだけ落ち着けてくれる。未来はまだ霧の中だ。それでも、ようやく歩き出せた。クラウスは深く息を吐き、目を閉じた。


 まずは魔石の研究からだ。この研究が実現すれば、討伐の歴史が変わる。魔法使いの回復が優先され、助かるはずだった命が亡くなることも減るだろう。

 クラウスは毛布に手を伸ばし、肩から体をすっぽりと包み込んだ。

 

 雪の中、静かに始まった旅路。その先に待つ未来を、クラウスは静かに見据えていた。


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