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父が母を殺した日、僕は外科医になった  作者: そっと外科医
白衣への憧れと、「呪い」
8/9

限界の足音

様々な迷いや後ろ向きな気持ち。

僕は生きていくために全てを封じ込めてきた。


そうして僕は大学を卒業し、母校で二年間の初期臨床研修が始まった。


研修医として過ごす日々は、忙しくも充実していた。


学生の頃に抱いた不安は、積み上がる業務と、早く一人前になりたい想いが忘れさせてくれていた。


その間に結婚し、子供も授かった。


結婚は同期と比べて早い方だった。

だけど迷っている時間はなかった。


学生時代からの彼女の母が、癌を患ったのだ。

余命いくばくもないと聞き、僕は迷わず結婚を申し入れた。


「最後に、安心させてあげたい」


そんな彼女の祈りは、僕には言葉以上に重く響いた。

理由なんてそれだけで充分だった。


けれど、義父母は僕の家族の背景を知っている。


加害者の子——


母を失ってからの日々が脳裏を駆け巡った。

また、「大人」に拒絶されるかもしれない。

誰だって、あえて複雑な家庭に大切な娘を任せたくないだろう。


極限の緊張に胃が痛くなりながら、報告をしにいった。


「キミ」なら僕は、大賛成だよ。


僕の心配をよそに、義父の言葉はそれだけだった。

真っ直ぐに目を見てそう伝えられた。


僕は…僕として生きていてもいいんだ。


ようやく過去と決別して新しい人生を歩みはじめたような気がした。


一方、家庭を持ったことで外科の道を選ぶことに多少の躊躇いが生まれた。


これまで見てきた先輩の背中が語るのは、誇りだけではなかったからだ。


常に身を粉にして働く姿は美しく、憧れはさらに強くなっていた。

けれど、そこには家族とのすれ違いや寂しさが透けて見えることがあった。


僕が自分で選んだ家族。何に替えても守りたいものだった。


「ほとんど家にいないかもしれないなんて、当然、ちょっとは複雑に思うよ」


妻はそう言って少し反対した。

けれど、最終的には

あなたの夢のためなら

と、そっと背中を押してくれた。


僕は、外科の道を選ぶ覚悟を決めた。


いよいよ外科医として歩み始めた僕は、

少年時代に思い描いた「かっこいい大人」の幻想を追った。


「医者として出会う全ての人々に、全力の愛情を注ぎたい」


亡き母との繋がりを感じられる想いを、白衣の裏にそっとしまいながら。


40時間以上の連続勤務も当然の世界。

どれだけ疲れた当直明けでも、患者さんの前に立てば常に完璧であろうと務めた。


「患者さんにとっては、今目の前にいる僕の姿が全てだ」


手術に入れば、一度見たものは全て自分のモノにしようと、必死だった。


「つまらないほど、真面目なやつ」


周囲の単純な評価は、僕に若いうちから多くの責任ある仕事を与えてくれた。


そのうち、大学では手術だけでは長く前線に立ち続けられないことを知り、つたないながらも研究活動にも勤しんだ。


外科医が減少し始めていた流れも相まって、指導の機会に恵まれた。


学会ではいくつかささやかな賞を受賞し、気付けば若手のトップランナーの背中を捉えていた。


それでも、どこか満たされない気持ちは常に頭の中でチラついていた。


人に認められたいわけじゃない。

こんな、偉い誰かが決めた賞は患者さんにはなんの意味もない。


「もっと上手く、もっと強く」


そう願う一方で、心の中の大切な何かが、すり減っていく予感もしていた。


「家では父、職場では医者として、理想の姿であり続けたい」


月に一度あるかないかの休みには、罪滅ぼしのように子供を連れて海や山に遠出した。

病院からの連絡で携帯が鳴らないか、常にそわそわしながら…


けれど僕という人間はそんなに強くできてはいなかった。


完璧を演じきれない自分に悩み苛立つ日々が、静かに始まった。


そして、まわりの医療従事者の振る舞いにも必要以上に敏感になっていた。


ちょっとした言葉や態度にも、全身の毛はふわっと逆立った。


いつしかイライラ、ピリピリした感情が、日常の多くを占めるようになっていった。


どこから湧いてくるのかわからない焦燥感。


心の中で「このままではダメかもしれない」と浮かびかけては、


「まだ努力と強さが足りないだけだ」


そう自分に言い聞かせていた。


——子どもの頃に思い描いた「かっこいい大人」は、怒りも弱さも見せず、常に誰かを守っていた。


近づこうとすればするほど、その背中はぼやけていった。


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