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父が母を殺した日、僕は外科医になった  作者: そっと外科医
白衣への憧れと、「呪い」
7/9

それでも誰かの光になりたくて

それから——


母が命を落とした事件をきっかけに、他人を信用する心は、消えかけの蝋燭のようになっていた。


そして僕は、徐々に今まで生きてきた自分を心の隅に追いやっていった。


温かい日々の記憶は、後悔と罪の想いとかたく結びついたからだ。


「立派な医者になる」


色々な感情は次第に削ぎ落とされ、その思いだけが支えとして残った。


何事もなかったように大学にも通い続けた。


何も返すことができなかった両親へのせめてもの償い。

そして、僕よりも深く傷ついているであろう弟にとって、防波堤であり、暗闇を照らす灯台のようでありたかった。


それは、医療には少し不純なものが混ざった動機だったと思う。


けれど、どんな形であれ誰かの役に立つことでしか、自分の存在に価値を見出せなかった。


勉強には一層集中し、成績はそれなりにいい方になっていった。

周囲からはますます順調な人生に見えていただろう。


それでも時折、どうしようもなく虚しくなることもあった。


教科書の上で病気の概念を学んでいるうちはまだ問題なかった。


医学部の5年生に進み、「ポリクリ」と呼ばれる実地学習が始まった時。

初めて、この道を進むことへの迷いと戸惑いが芽生えた。


様々な外科や内科で実習をこなす日々。

ようやく医師として働く未来に近づき、充実しているはずだった。


なのに、いつも頭の中では冷めた目で見下ろすもう一人の僕がいた。


「一番大切な人に何もできなかったのに」


気を抜くと頭の中はその言葉で支配されそうになった。


あろうことか、患者さんやその家族を、どこか羨ましく思うことさえあった。


大病であっても、治療の手立てがある。

これからもこの家族は続いていく。


たとえ手遅れな状態であったとしても、ある意味身体の病は自然の流れ。

それに、家族と残された時間を噛み締めることもできる。


僕が無くしたものを、この人たちはみんな…持っている。


そんな風に人を羨む醜い自分が顔を出しそうになっては、押し込んだ。


人の命に関わろうとする人間が、そんな思考回路でいることを許せるわけがない。


そして救急科での実習。

心臓マッサージが必要な場面に出会った時。

あの朝の母の姿が生々しくフラッシュバックした。


地面を踏み締める感覚は遠のきそうになり、全身に力を込めた。


「僕にはできません」


——そんな言葉を口に出せるわけがない。


今まさに消えゆく命を前に、そこにいる全ての人が全力を尽くしている。

沢山の「救えなかった姿」を抱えたまま、命と向き合い続けている。


僕は平気な顔をして、必死に役割を演じた。


精神病院での実習もまた、苦い記憶を呼び起こした。

そこには、あの頃の父と似た目をした人たちが、大勢いた。


この二つの領域にだけは今後近づきたくないと思ってしまった。


だけど医師になるためには、すべての診療科について勉強し、理解する必要がある。


病気でなく「人」を見るためには、将来の専門以外の知識が当然必要になる。

そうしなければいけないと国からも厳格に決められている。


こんな僕に、医者になる資格があるのか。

そして、この現場で一生生きていくことに耐えられるのか。


夢だったはずのものに一歩近づいては、希望よりも不安が大きくなっていた。


それでも、そんな日々を繰り返すうちに、僕は医療者としての自分と、僕という自我を切り離す方法を覚え始めた。


そこに違和感を覚えながらも、走り続けた。


母の亡き後、知人に聞かされた言葉を思い出しては何とか前を向き続けた。


「あの人、あなたが医者になるって言い始めて、とても嬉しそうにしてたのよ。

あんなに厳しくしてしまったのに、優しい息子に育った、なんて。」


——悩んだ末に、僕はあの日の出来事にはそっと蓋をすることに決めた。


両親へ向けるはずだった愛情を、これから医者として出会う人に全力で向けていこう。


ようやくたどり着いた結論は、シンプルだった。


それが母とつながる唯一の方法。

届くはずがないとわかっていても、信じることでしか前に進めなかった。


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