それでも誰かの光になりたくて
それから——
母が命を落とした事件をきっかけに、他人を信用する心は、消えかけの蝋燭のようになっていた。
そして僕は、徐々に今まで生きてきた自分を心の隅に追いやっていった。
温かい日々の記憶は、後悔と罪の想いとかたく結びついたからだ。
「立派な医者になる」
色々な感情は次第に削ぎ落とされ、その思いだけが支えとして残った。
何事もなかったように大学にも通い続けた。
何も返すことができなかった両親へのせめてもの償い。
そして、僕よりも深く傷ついているであろう弟にとって、防波堤であり、暗闇を照らす灯台のようでありたかった。
それは、医療には少し不純なものが混ざった動機だったと思う。
けれど、どんな形であれ誰かの役に立つことでしか、自分の存在に価値を見出せなかった。
勉強には一層集中し、成績はそれなりにいい方になっていった。
周囲からはますます順調な人生に見えていただろう。
それでも時折、どうしようもなく虚しくなることもあった。
教科書の上で病気の概念を学んでいるうちはまだ問題なかった。
医学部の5年生に進み、「ポリクリ」と呼ばれる実地学習が始まった時。
初めて、この道を進むことへの迷いと戸惑いが芽生えた。
様々な外科や内科で実習をこなす日々。
ようやく医師として働く未来に近づき、充実しているはずだった。
なのに、いつも頭の中では冷めた目で見下ろすもう一人の僕がいた。
「一番大切な人に何もできなかったのに」
気を抜くと頭の中はその言葉で支配されそうになった。
あろうことか、患者さんやその家族を、どこか羨ましく思うことさえあった。
大病であっても、治療の手立てがある。
これからもこの家族は続いていく。
たとえ手遅れな状態であったとしても、ある意味身体の病は自然の流れ。
それに、家族と残された時間を噛み締めることもできる。
僕が無くしたものを、この人たちはみんな…持っている。
そんな風に人を羨む醜い自分が顔を出しそうになっては、押し込んだ。
人の命に関わろうとする人間が、そんな思考回路でいることを許せるわけがない。
そして救急科での実習。
心臓マッサージが必要な場面に出会った時。
あの朝の母の姿が生々しくフラッシュバックした。
地面を踏み締める感覚は遠のきそうになり、全身に力を込めた。
「僕にはできません」
——そんな言葉を口に出せるわけがない。
今まさに消えゆく命を前に、そこにいる全ての人が全力を尽くしている。
沢山の「救えなかった姿」を抱えたまま、命と向き合い続けている。
僕は平気な顔をして、必死に役割を演じた。
精神病院での実習もまた、苦い記憶を呼び起こした。
そこには、あの頃の父と似た目をした人たちが、大勢いた。
この二つの領域にだけは今後近づきたくないと思ってしまった。
だけど医師になるためには、すべての診療科について勉強し、理解する必要がある。
病気でなく「人」を見るためには、将来の専門以外の知識が当然必要になる。
そうしなければいけないと国からも厳格に決められている。
こんな僕に、医者になる資格があるのか。
そして、この現場で一生生きていくことに耐えられるのか。
夢だったはずのものに一歩近づいては、希望よりも不安が大きくなっていた。
それでも、そんな日々を繰り返すうちに、僕は医療者としての自分と、僕という自我を切り離す方法を覚え始めた。
そこに違和感を覚えながらも、走り続けた。
母の亡き後、知人に聞かされた言葉を思い出しては何とか前を向き続けた。
「あの人、あなたが医者になるって言い始めて、とても嬉しそうにしてたのよ。
あんなに厳しくしてしまったのに、優しい息子に育った、なんて。」
——悩んだ末に、僕はあの日の出来事にはそっと蓋をすることに決めた。
両親へ向けるはずだった愛情を、これから医者として出会う人に全力で向けていこう。
ようやくたどり着いた結論は、シンプルだった。
それが母とつながる唯一の方法。
届くはずがないとわかっていても、信じることでしか前に進めなかった。