ヒーローになりたかっただけの、僕
医者を志すよりもずっと前。
内気で人の目を気にしがちな少年時代の僕は、「かっこいい大人」になりたかった。
要領が良く誰からも愛される弟への、ちょっとした劣等感もあった。
「お兄ちゃんらしくしなさい」
そんな両親の声にこたえたかったのかもしれない。
一人と二匹の兄として一目置かれたかったし、僕だって一番になりたかった。
家では弟たちのリーダーを気取り、思い通りに動かない彼らとたびたび喧嘩した。
外に出れば昆虫や白球を夢中で追いかけ、小学校の卒業アルバムには「プロ野球選手」の文字。
どこにでもいる、普通の少年だった。
まだ「才能」という諦めのための言葉を知らなかった僕は、中学生になってもなお、プロになれると信じてただ野球に打ち込んでいた。
一言で言えば、年齢の割に少し幼く、単純な思考回路だったように思う。
そんな僕に、「現実的」な夢が出来たのは中学を卒業する頃。
これもまたありがちな話だけれど。
母方の祖母の大病をきっかけに、「外科医」という仕事を知り、強く心を惹かれた。
心臓、命の要にメスを入れ、元気になる祖母の姿。
その時の言葉にできない感動を、今も鮮明に覚えている。
正確には「現実的」と呼ぶには少し遠すぎる目標だったかもしれない。
野球漬けの日々を経て進学したのは、至って「平均的な」高校。
担任や友人には、無謀だと笑われることもあった。
けれど僕は生まれて初めて真剣に勉強した。
目標との距離に気が付き、迷った末に大好きな野球からは離れた。
周囲の言葉どおり、道のりは険しかった。
僕よりもずっと早く走り始めていた人や、勉強が得意な人たち。
彼らと戦うのだから当然だった。
それでも、医療をテーマにした漫画やドラマに、将来の自分の姿を重ねて、心を奮い立たせたりもした。
明るい未来だけを思い描いていた。
一度目の挑戦は失敗。
それでも諦められなかった僕を、両親は静かに見守ってくれた。
裕福ではない家計の中、頼み込み、浪人を許してもらった。
そして祖母の手術から5年が経つ頃。
僕は何とか、スタートラインにたどり着いた。
大学では、少年時代の夢を弔うように、野球部に入った。
縦社会の根強い医師の世界では、意外にも運動部に所属する仲間が多かった。
夢に近づきながら、好きなことも再開できている。
順調そのもののように思えた。
一方で、医師を目指し始めた頃から、医療過誤や「悪い医者」が糾弾されるニュースが気になるようになっていた。
世の中には、「良い医者」と「悪い医者」がいて、
どちらになるかは自分の覚悟と努力次第。
当時の僕は、そう単純に捉えていた。
「立派な医者。つまり常に正しく、優しく、絶対に折れない人になりたい」
かつて思い描いた「かっこいい大人」のイメージが、だんだん具体的な輪郭を持ちはじめた。
思春期らしく、まだ世間を知らない僕の無邪気な願望。
それは徐々に「こうあるべき」という思考に姿を変え、いつの間にか自分自身を締めつけていくことになった。
——予期しない母との別れが、その思考に拍車をかけた。
僕は、本当は自分の中にしかいない
「かっこいい大人」という幻想を、ただ、追いかけ続けた。