マッチョはモテないけど、腕まくりはモテる?
世間には、腕の太さや、胸の大きさなど、見てすぐ分かる男らしさ、女らしさでマウントを取ってくる人がたまにいます。「なろう」のエッセイにも、そんな人を扱ったものがいくつもあります。
それダサいよ、というセンスは主観ですし、知らないの?という教養知識では、いつか逆の立場になるかもしれません。だから、直接的な体型でのマウントになるのだと思います。ただ、いい大人になってまで、こんなことするのは、よほど自分が優れていると確認せずにはいられないということ。言い換えると、その人は別の部分で劣っているかもと感じているのでしょうから、反撃されない分野でマウントに来るわけですね。
そういうマウントは、羨ましいですー(棒、とでも言って適当にスルーすればいいと思います。でも、こんなふうにマウントの最終手段になってしまう、見た目の男らしさ、女らしさは、その人をわかりやすく表現するものにもなっていると思うんです。
で、ここでは、ジェンダー的な議論をしたいわけではないので、それはそういうものだという前提で話を進めます。キャラ付けとして重要な、男性あるいは女性としての視覚的な魅力、言うなればセクシーさを、小説でどう表現するかを考えたいと思います。
「なろう」では、こういった魅力を「イケメン」「美人」「かわいい」あるいは「エロい」という言葉で済ませてしまうことが多いようです。確かにそれも一つの手法ですが、やはり、もう一歩踏み込んで描写したいです。
まず主人公からの目線で見る場合です。男性目線の女性は書きやすいです。女性ならではの特徴、胸の谷間やミニスカートから伸びる脚をそのまま書いて、なんなら目のやり場に困るとか付け加えればいいです。貧乳好きも結構いますが、一般的には、胸を強調しておけばセクシーさを表現したことになります。
でも、女性目線の男性は難しいです。これを書いておけばいいというものがありません。男性らしい特徴として、高く盛り上がった腕の筋肉や濃いヒゲを書いても、特に魅力的とは感じられません。マッチョ好きの需要はともかくとして、一般的には「マッチョキャラ」として描かれていると認識されるだけでしょう。セクシーさを表現するなら、腕まくりしたときのちょっとした筋肉、ペンを持つ手に浮かぶ血管、ネクタイを緩めた時の首筋などを書くことになります。
女性は自身の魅力をある程度自覚していて、見られることも分かっていて、そこを男性が見ている。だからそのまま書ける。でも男性は自身の魅力を分かっていなくて、見られることも意識していないのに、女性がふとしたときに目に入れた、ということが読者に伝わらなければいけない。これが難しいところです。
一方で、同性から見た魅力も重要です。これも男女で描き方が違います。男性読者は男性キャラクターに憧れを感じ、女性読者は女性キャラクターに共感や羨望を抱く。わかりやすいのが主人公自身を書く場合ですね。男性主人公は男性読者、女性主人公は女性読者の共感を狙うことが多いと思いますが、男性主人公は能力の高さが強調されることはあっても、イケメンだと書かれることはあまりありません。
ところが、女性主人公には、容姿に関する描写があります。でもちょっと繊細な書き方になります。特に「なろう」では容姿が魅力的であることを匂わせてから、自身の美醜にあまり価値を置いてないように書かれることが多いです。見た目で寄ってくる男なんて興味ないわ、という感じになるわけですね。もうひとひねりして、万人受けする魅力はないけれど一部の人には高い需要があるとか、普段は手を抜いているけどガチれば変身できる、というような書き方もあります。主人公は魅力的であって欲しいけど、女を武器にしているような女は嫌だと。そりゃそうですね。
このように、男性キャラクターと女性キャラクターの魅力的な描写には、はっきりとした違いがあるようです。女性は見られる自覚があり、男性は見られる意識がない。その違いを活かした描写が、キャラクターの魅力を引き出すコツかもしれません。「なろう」の作品を含め、よくできた小説では、こうした工夫がされているな、と気づかされました。
自作品では、なかなか男性をそういう風に描けないです。それに、女性に男性を描く手法を使ってしまっていました。今の時代、女性キャラクターの魅力は堂々と描いていいはずなのに、さりげなく表現しようとしたんです。頑張って上品に書いたつもりだったのに、そこだけ大正や昭和のような古さを感じさせたりして。
……センスが古いだけじゃないかって?それはあなたの主観ですよ!