【冬の娘】-6 大戦~悲壮~
彼女が倒れたのは盛夏の折だった。
緑が生い茂り、天に君臨する太陽に向かい立ち昇る。
寒さの厳しいこの国において実りをもたらす太陽の恩恵は王の徳に喩えられる。
そんな季節にも関わらず、その悲報は王城を、王都を全て暗幕で覆ったような嘆きをもたらした。
“歌姫フレイアは病をえていた!!”
人々は沈痛な面持ちで囁き交わし、楽師たちの弦が鳴ることもなく、小鳥たちさえどこかへ姿を消したようだった。
ことに彼の嘆きようはすさまじく、国中から医師を集め薬師を募り、ついには流れの錬金術師や妖術師といった怪しい輩――――最も、魔女である私からすればそれはら全てただの詐欺師に過ぎなかったが――――すら片端から王城へ入れる始末。
何を言ったところで彼は聞き入れはしなかった。だから、私は王城の警備を念入りにし、不審な動きをした輩を捕らえ、飛び交う流言飛語に耳を澄ませた。彼の悲嘆に付け込んだ盗賊や間者共は、処刑した人数が両手両足の指を越える頃にはようやく収まったようだったが。
そうこうする間に秋が過ぎ、忌まわしい冬が来る。
身体の芯まで凍えさせるような厳しい冬。花祭の折には花では埋もれていた街が、冷たい白一色に染まる。
それは確実に花のような彼女の身を蝕んだ。
―――――見舞いの果実籠を持たされ、一度だけ病をえた彼女を見たことがある。
細い腕はさらに細くなり、頬は熱に上気し、可憐な歌の紡がれていた唇からは苦しげな呼気がもれていた。
温かい毛皮に埋もれながらも震える身体。それにも関わらず訪れた私に心底嬉しそうに微笑んだ、そんな様が何より痛々しい。
まさかあの花への言霊が聞こえたわけではあるまいが、彼女の病が私によるわけではあるまいが、それでも胸の奥が痛むのを覚えた。
もっとも、そんなものも私の目の前で恭しく彼女の手を取る、彼の姿を見るだけで嫉妬と悲憤という浅ましい思いに塗り替えられてしまうのだが。
そして、彼と私は沈痛な医師の言葉をきいた。
「次の冬は、越せないでしょう。」
と。
――――――その日から彼は変わった。
治療の術を探し魔術師、魔女、異教徒をかり集め、一方で歌姫を呪詛したと囁かれた異民族の集落を滅ぼし。
遠く異国にまで兵を遣わし、医師達をさらった。それを見かねた南の国の寄越した使者を、彼は顔色一つ変えず斬り捨てさせた。
勿論斬ったのは私の刃だ。
流石に色めきたった重臣たちに、彼は肩を竦め「騒ぐな」と言い捨てた。そしてそれだけでなく、こう続けたのだ。
「向こうから仕掛けてくるなら好都合だろう?」
と。
王位が変わったばかりの南の国。堅固で閉ざされたこの国とは裏腹に、温暖で平野が続く穀倉地帯。それを手に入れることは父王の代からの密かな悲願。
医師達を攫うために派遣した兵に、地形の調査を命じていたことを私は知っている。
そして――――南の王家に伝わるという、全ての病を治癒するという真珠の伝説も。
彼の真意も知らず、重臣たちはあっさり口車に乗った。
“我らが賢王よ!!”と。
その礼賛を浴びる彼の、凍えた微笑にも気付かずに。
平穏と柔らかな日和に馴れた人々が、厳寒に鍛えられ賢王が策を弄し戦乙女という名の魔女が率いる軍勢に抗えるものか。
春も終わらぬ間に南の国は落ちた。しかしそこに、真に国王の求めるものはなく。
祝宴に浮かれ酔い痴れる重臣たちに、彼は顔色一つ変えず告げる。
「次は西だ。」
教会の総本山を戴く国。かつて北の国の王を、破門を盾に跪かせた仇敵。
「教皇冠を手に入れれば、数百年ぶりに我らが正統の座を名乗ることができますな!!」
そんな愚にもつかないことを捲し立てる大臣。この城にはこんなに愚者が多かっただろうか?
彼が欲しているのはただ、教会総本山に収められているという聖杯、聖布、秘跡の品々。歌姫の病を癒す奇蹟だけだろう。
そして西の国へ。教皇派と旧教皇派、貴族連合を仲違いさせる策はすでに南を落とす前から弄していた。
『 動くな、教皇マルティヌス!! 』
神の信徒だろうがなんだろうが、私の言霊の前に抗える人間がいるものか。
教皇さえ人質にとれば後は利害だけで寄り集まっている小規模連合体、潰していくのは難しくなかった。
そして我が王を背教者よばわりした西の連合国は、教会を中心に盛大な篝火となることとなる。西を焼いた本当の理由が、聖遺物と呼ばれる教会の至宝のどれもが歌姫の病に効を為さなかったからだと私は知っている。
この頃から、彼は事あるごとに呟くようになった。
「あるはずだ、必ずどこかにあるはずだ、
万病の秘薬、生命の秘宝、彼女を永らえさせるための術が!!」
――――――――――…
「次は東だ。」
夏も過ぎ去り、矢継ぎ早に口にする。
その時になりようやく皆が彼の抱える焦燥に気付いたが、その狂気に燃える赤金の瞳に逆らえる者など、もはや誰一人としていなかった。
東国オースティン。この国をはじめ、海の向こうの国とも交易を行う富に満ちた国。
勇猛な異民族を抱え込み外つ国からの武器を駆使し海を自在に駆け巡る船団を持つ。
内憂を抱えた二国とは違う。今までにない苦しい戦いになるだろう。もたもたしていては、南と西の残党も蜂起しかねない。
けれど。
「東の国を滅ぼせ!!
先陣を切るのはお前だ、私の戦乙女、私の剣―――――イルヴァ!!」
誰がその言葉に逆らえるでしょうか。こんなに烈しく私の名を呼んでくれたことが、かつてあっただろうか。
だから、私は答えるのだ。
「――――畏まりました、我が王アルヴィド・マグヌス・ティセリウス陛下。
イルヴァの剣は貴方と貴方の王国にのみ捧げられております。」
例えどれほどの血を浴びることになっても。―――――滅ぼした国の民から、傷つき死んでいった兵たちから、“雪の魔女”の忌名で呼ばれようとも。
ただただ私は貴方のために。
………例え、貴方があの歌姫のためだけに動いていようとも。
今後の展開のためにスピーディーに三国ほど滅んでいただきましたが。
一応速攻陥落のために幾つかそれっぽい理由づけもいたしましたが、リアリティより物語重視ということで御容赦願いたい。