【秋の子ら】 黄金色の髪の吟遊詩人は語った
歌い踊れ、杯を交わせ、産めよ増えよ実れよ笑え。
宴は刹那、生など寸隙、死した全ては我らが喜楽。
いざや語らむ、哀れで愛しい人の物語。
彼らの死は語り継がれる。我らの生が続く限り。
◆秋収:黄金色の髪の吟遊詩人は語った
『 語られるべき これは残酷な愛と哀の物語――――――… 』
余韻を引いて、物悲しい弦楽と朗々たる唄声が大気から消え去ると、吟遊詩人の青年はぺこりと一礼した。
からん、とつばひろの帽子に乗った鐘が鳴り、それが合図でもあったかのように人々は吐息を思い出し、広場には元のざわめきが満ちていった。
「いや、良い声だった!
陽気な歌も良いが、詩人の語る悲劇はまた格別だな。」
「まったく、歌ってる時のお前は別人だよ、詩人様。」
「良いものを聞かせてもらったよ。やっぱり祭にはあんたの歌がなくちゃな。」
「しじん、すごーい!」
やがて、ざわめきはやんややんやの大喝采へ。讃嘆の言葉と共に差し出される杯を、これ幸いと片端から干しながら、詩人の青年もまた笑った。
「哀しい話だったわねぇ…」
「うん。おひめさまを殺して国まで凍らせるなんて、魔女は悪い奴だね。」
「うん?一番悪いのは王様だろう?歌姫一人の為に、無関係の人間を大勢殺したんだから。」
「それを言うなら、その王様を止めなかった歌姫も悪いんじゃない?
というか、ある意味諸悪の根源はそれよ。」
「魔女は王様を好きだったのにね。」
「歌姫は最後に何故微笑んだのかしら?」
「結局この王様は賢くはいられなかったのね。」
「恋は人を愚かにするってね。
けど、狂うほどの愛かぁ。ちょっと、そこまで想われてみたい気もするけどね」
めいめい好き勝手に話し出す人々に楽しげに目を細めながら杯を傾ける詩人に、数人の子供がまとわりついた。
「すっげーじゃんしじん!!
とにかくなんかすげえ!!なあ、その王様の国ってどこにあんの?」
「凍ったお城って、ロートヴィークの雪山みたいな感じ?」
「ああ、確かにあそこは春でも夏でも雪が積もってるよな」
「魔女って、まだいるの?怖い…」
「ねぇねぇ、私も歌が上手ければお城に住めるかな!」
きゃいきゃいと無邪気に纏わり付く子供達に、零さないように杯を干した――――零さないよう卓に置く、という選択肢は青年にはない――――詩人は、もっともらしく腕を組んだ。
「いやぁ、私がこの歌を知ったのは、それはそれは厳しい旅の果てだったからねえ。
ああ、凍る草原を越え、厳しい霜の山脈を越え、雪と塩しかない呪われた地、北の果てへ!!
これはお話さ。遠い遠い国のお話さ。歌姫の歌も王様の軍も魔女の呪いも、ここには届かない。」
そして怖がる女の子の頭をひとつ撫で、歌が得意な女の子には
「ああ、セシリアぐらい可愛くて歌が上手なら、お城にだって住めるさ。
今度知り合いの王子様に紹介しておこう。」
そんなとぼけた事を言いながら微笑みかける。
「しじんが言うとうさんくせー。」
「うそくせー。」
「っていうか、存在自体がうさんくせー。」
「あ、それ同意。」
子供達の実に厳しい意見とからかいに、「これは手厳しい。」と詩人の青年は肩を竦めた。困りきったような顔がなんとも言えず愛嬌がある。
やがて、わいわいと主に詩人の青年の変人っぷりと胡散臭さっぷり、歌物語の国とお城について内輪で話し始めた子供達に、青年は空の杯を満たす為にこっそりと立ち上がった。
すっかり日も沈み、けれど今日ばかりは橙色のランプや篝火で照らされ続ける広場を、金の鐘を帽子に載せた青年が行く。
心地よいばかりの人々の声、芳醇な葡萄酒の香り。
うきうきと水差しの一つから己の杯に紅色の酒を注ごうとした青年の背後から、ふと硬質な声がかかった。
「おい。」
「おっとと…!!
ああ、アルヴィン。どうしたんだい?」
振り返った青年の前には、橙色の光に照らされ、葡萄酒のような紅色の髪をした男の子が立っていた。
「さっきの、歌の話。
雪に覆われた北の国は、どこにある。」
どこかつっけんどんな物言い。やや鋭い目つき。だが、それは彼が詩人の青年を軽んじているからではなく、真剣に向き合っているが故だ。
だから、青年は逆に目元を柔らかくして、答えた。
「遠い、遠い国さ。言っただろう?北に真っ直ぐ、氷の森を抜けて、凍った川を登って――――」
「凍る草原、霜の山脈だった。」
「あれはまあ…道程をはしょったのさ。とにかく此処からずっとずっと北へ。
気が遠くなるくらい、遠くの話さ。」
「でも、お前は行って戻って来た。」
子供の純粋な瞳が、真っ向から掴み所のない詩人の瞳を見た。
「どこにある。」
問い詰めるような口調に、己の胸にも満たないほどの背丈の子供に眼を合わせたまま――――やはり、穏やかな風のような口調で、青年は逆に問うた。
「知って、どうするつもりだい?」
動揺の気配。少年の意志の強そうな瞳が、幾度かぱちぱちと見開かれ―――――それでも、逡巡したのは数秒のことだった。
「―――――――…
魔女は、まだ泣いている?」
返ったのは、答えでなく問いかけ。
それも気にせず、青年は微笑んだ。
「さて、私が見た城は未だに雪に閉ざされていた。
魔女の呪いは解けていない。ということは魔女の涙は溶けない。
彼女が泣いていたとしたら、君はどうする?」
やはり、末尾に付け加えられた疑問符。
それに、言葉を迷い選びながら、それでも少年ははっきり答えた。
「わからない―――――
ただ、可哀そうだ。」
雪の中に一人なんて、と。
その言葉に静かに微笑むと、青年はちょうどからっぽになった水差しを卓に置いた。
「北の国はどこにある。」
「ああ、ちょうどワインが切れてしまったな。
アルヴィン、悪いけどちょっとあの辺の樽から水差しに汲んで来てくれ。」
「おい!!」
「一番上等なワインを選んでくれたまえ。
ついでに、来年、君が本当に今日の歌を憶えていたら、北の国への行き方を教えてあげよう。」
おどけるように杯に口付けた青年の、その眼の真摯な光に、何事かいいかけた少年は口を噤まざるを得なかった。
そのまま、無言でからっぽになった水差しを取る。
「それにしても、しっかり者の君が私の歌を信じるなんてねぇ…。」
水差しを手に大股で去りかけた少年の背に、ぽろり、といった感じに零れた言葉に。
「歌っている時のお前は、信じている。
バルド。」
思いの他真剣な声を返され、それは光栄、と詩人の青年――――バルドは呟いた。
「しかしまったく、君ぐらいだよ私を名前で呼んでくれるのは。」
今度の言葉には応えは返らなかったが。
赤毛のアルが駆け去って行った先をなんとなく見つめていたバルドの視界に、ぬっと巨大な影が入り込んだ。
「人が悪いな。詩人様。」
酒場の主人だ。酒で赤くなった髭面をしかめる様は、まるで悪鬼か人食い熊のような凶悪さなのだが、バルドは特に怯えた様子も見せず暢気に微笑んだ。
「おや、なんのことかな御主人?」
「とぼけんなって。
大陸中に喧嘩売って戦争したあげく滅びた北の国――――――…
“此処”だろ?」
樽のような杯を持った酒場の主人が、彼方を振り仰ぐ。
満ちた月と散らばる星々に薄く光る、万年雪を戴いた山の姿。
「…元王都ロートヴィーク。万年雪の丘。
爺さんの、そのまた親父くらいの世代だったか?でっかい戦があったのは。
この村も、一応ノル…なんだったかな?とりあえず、北の国の地図の端っこにのってる村だったっていうけどな。」
遠い目をしながら葡萄酒を煽る男に、バルドは素直に頷いた。
「ああ、まあそのぐらいだね。
ちょうど、私の曾祖母が作った歌のようだから。」
「そうそうそれそれ。
俺もうっすらそんな昔話があったなー、とは思っていたが、そんな歌で残ってたんだな。
良い歌だった。楽しいとは言えないが、酒が深くなる。」
「それは有り難いお言葉だ。
そう、私の曾祖母は一族の中でも抜きんでて歌の上手い人でね―――――…」
眼を細め語ろうとした時、澄んだ子供の声がその続きを掻き消した。
「あー!こんなとこにいた、しじん!!」
「まったく、手間かけさせんなよなー。」
「ほら、あたしの言ったとおりでしょ、一番手近な酒のあるとこにいるって!!」
「しじんさんしじんさん、お願いがあるの。」
再びわらわらと集まって来た子供らに、バルドと酒場の主人は顔を見合わせた。
いかつい肩を器用に竦め、酒場の主人が一歩下がり子供らにスペースを明け渡してやる。
「そうそう、さっき話してて気づいてさ!!」
元気よく捲し立てる男の子の、その茶色の髪に挿された麦の穂が落ちそうなのに気付いて、中々の長身であるバルドは軽く身をかがめた。
篝火に、麦の穂色の髪と、帽子に載せられた鐘が黄金に光る。
「そう、その帽子!その鐘、きれいだねって!!」
男の子の髪に伸ばされた手にしがみついて、花冠の女の子が興奮気味に言った。
「ねー。」
「ねー。音も、なるよね。からん、ってきれいな音。」
「なにそれ?しじんだから?」
口々に言う子供らに、帽子に手をやり、ああ、とバルドは笑った。
「そう、今、ちょうどその話をしようとしていたんだよ。
これは、私の一族に代々伝わるお守りの一種でね。鈴とか、鐘とか、とにかく音のなるものさ。歌ったり踊ったりするために使うんだ。
私のものは、曾祖母――――おじいちゃんのお母さんのものをもらった。その歌声にあやかれるようにね。」
からん、古びれど錆びた様子を見せない鐘が、百数十年前と同じ音色で鳴る。
「カティア―――――器量はそこまで良いわけではないけれど、とにかく踊りと歌が上手な人だったと聞いているよ。」
へえ、と神妙な子供らの吐息。その好奇心に輝く瞳に、バルドは笑うと頭上の帽子を麦の穂の取れた少年の頭にかぶせてやった。
「うわ、意外とでっけー!!」
「しじんのあたまでっかちー!!」
「ばかね、あんたらがちびなのよ。」
きゃいきゃいと、時に怒り声まじりの、泣き声まじりの、それでもひたすらに楽しそうな光景。
その賑やかさにつられたか、どこからか声が上がった。
「やあ、詩人様!まだまだ祭は始まったばかりだぞ、もっと歌っておくれよ!!」
「さっきのあれはいーい歌だった。
もう一つ二つ、珍しい物語を聞きたいねえ。」
「その後は、今度はみんなで歌えるものもいい。」
「私は皆で踊れるような曲がいいわ!!」
笑いさんざめきながら、詩人バルドの歌を期待する人々。
それに、ひどく嬉しそうな笑みを浮かべて、バルドは一気に杯の中身を干した。
「やれやれ、詩人冥利に尽きると言うものだねえ。」
傍らには、明るい顔をした青年が詩人の弦楽器を手に捧げ持っていた。
それを恋人でも抱きあげるように受け取って、バルドは卓の上に腰かけた。
「はてさて、次は何を物語りましょう。
数奇な運命の双子の物語、奴隷から王に成り上がった男の物語、白銀の兵士の裏切りと忠誠の物語、火刑台の上で歌を歌った娘の物語―――――…
わたくしの楽と声に乗せまして、めでたき祝いの日の音の酒を、愉快な祭りと愛すべき皆々様に最高の余興を!
愛も過ちも哀しみも、全て今日の日の歓楽の為に!!」
朗々たる声を上げた青年は、一瞬ぱちり、と酒場の主人に向かって片目をつぶった。
全ては物語―――――そうでしょう?
と。
「まあ、違いねえ。
歌姫が現れようと魔女が呪おうと王が死のうと、俺らにゃ関係ないねぇ。」
苦笑しながらも杯を掲げた男に、集う人々に、青年はまさに歓楽を体現したかの如き微笑みで宣した。
「さあ、語ろう、私の声をもって古の詩を。
我らの生をもって彼らの死を!」
びぃん、弦が鳴く。
全てを非日常へ引きずり込む妙なる調べ。
吟遊詩人の青年の髪が、秋の実りとまったく同じ黄金色に輝く。
「全ては余興、全ては娯楽!
さあ、杯をかかげよう。
歌姫が魔女が現れようが、王が死のうが、他人事。
この麦の穂が実る限り、我らは生き続ける!!」
人々の歓声。突き出される杯、血の代わりに大地を濡らす葡萄酒、さざめく笑い声。
たった一日、刹那の祭は、それでもまだまだ終りそうにない―――――…
Next→『刻残りの季節』
ここまできたらもうほぼ無事完結いたしました、『Cruel garden~刻残りの季節~』。あとはもう短いエピローグとアホなネタを残すのみ。
ここまで長い話を書いたのは個人的に初めてです。まあ長いと言っても視点違いなだけですが。「他の人視点からだと後味がまったく変わる話って素敵じゃね?」というちょっとした気持ちから10万字オーバーの話ができるとは…人生何があるかわからない。
冒頭部分は秋の子らが一番気に入っています。
なんとなく、最後に微妙にフラグ立ってた気がする赤毛のアル(アルヴィン)が、数年後バルドと共に雪の王都を訪れて過去の色々、主にイルヴァを解放する⇒二人(+邪魔者)でとりあえず旅に出てツンツンデレな亡霊魔女イルヴァが徐々にアルにデレていくとかいう話が漠然とあるのですがちょっと書けそうにありません半年は。
ヴィート君他三国の外伝話とかも無駄にあるんですがちょっとこれからパソコン持ち込み不可の場所に飛ばされるので(刑務所とかではありません)
おのれ…!まあさほど需要はないでしょうが(苦笑)
とにもかくにも、次回で本編完結。