【夏の愚者】-16 大戦~憤怒~
―――――その日から俺は変わった。
「次の冬は、越せないでしょう。」、怯えた藪医者の言葉など知らぬ。
フレイアが諦めない限り、俺は諦めない。
治療の術を探し魔術師、魔女、異教徒をかり集め、一方で歌姫を呪詛したと囁かれた異民族の集落を滅ぼし。
遠く異国にまで兵を遣わし、医師達をさらった。ノルヴィークにないなら他の地に求めれば良い。求めても応じない可能性があるのなら早々に自分のものにしてしまえば良い。謀略を張り巡らせ、隙を探り、挑発し、引きずり込む。
見かねてようやく訪れた南の国の使者を、俺は斬り捨てさせた。
斬ったのは、俺の忠実な刃―――――イルヴァ。
俺の為に寸秒の躊躇いなく人を斬ったイルヴァとは裏腹に、色めきたった重臣たちに、俺は肩を竦め「騒ぐな」と言い捨てた。
愚か者は嫌いだ。俺が愚かであるが故に。
「向こうから仕掛けてくるなら好都合だろう?」
続けたそんな一言を皮切りに、あっさりエルスとの戦端は開かれた。
堅固で閉ざされたこの国とは裏腹に、温暖で平野が続く穀倉地帯。それを手に入れることは先王の代からの密かな悲願。
―――――直系の正統派と有能と名高かった傍系との争いの末、“何よりも尊く正しい血を引く者”が王位を得た南の国。血統至上、純血の王国。
温帯の豊富な薬種、そしてエルス王家に伝わるという、全ての病を治癒するという真珠の伝説。
春も終わらぬうちに、エルスは落ちた。
平穏と柔らかな日和に馴れた人々が、厳寒に鍛えられ狂王が策を弄し戦乙女が率いる軍勢に抗えるものか。
血に縛られた国は頭を潰すのが容易い。王の血族、嫡子の王子を筆頭に、その双子の妹王女を含めた全てを皆殺しに。
監理官を派遣しエルスの全てを支配下におき、されど城代の座はいささかの権限を付け無能と噂のエルスの新興貴族にくれてやった。恨みを買う役は、その国の人間にやらせれば良い。わざわざ自分たちが矢面に立つなど愚の骨頂だ。
“我らが賢王よ!!”と。
そんな礼賛と共に戦勝の酒に酔い痴れる者共。血の味も知らぬ者達が叫ぶ歓呼。
けれど、血を流して得た土地、財宝、勝利など何の意味ももたない。
フレイアの病を癒す術、それ以外の物に価値などない。
まだ終わらない。
祝宴に浮かれ酔い痴れる重臣たちに、俺は顔色一つ変えず告げる。
「次は西だ。」
望むのは、教会総本山に収められているという聖杯、聖布、秘跡の品々。歌姫の病を癒す奇蹟。
聖都ラヴェスタ。かつてノルヴィークの王を、破門を盾に跪かせた仇敵。
私生児を悪魔の落とし子と呼び、不義を働いた女達や異民族を魔女と呼び火刑に処す、教会の総本山を戴く国。
「教皇冠を手に入れれば、数百年ぶりに我らが正統の座を名乗ることができますな!!」
そんな愚にもつかないことを捲し立てる大臣。この城にはこんなに愚者が多かっただろうか?だが、まあ都合がいい。
教皇派と旧教皇派、貴族連合を仲違いさせる策はすでに南を落とす前から弄していた。
イルヴァを、西へ向かわせる。
俺に忠実なる刃は、神や天使だとて俺の命令とあらば斬り捨てるだろう。信仰を盾に肥え太った、ただ人たる教皇ならばなおさらだ。
そして実際、イルヴァは教皇を捕らえ、“神の地上代理人”とまで呼ばれた男を跪かせて見せた。
苦し紛れの背教者の烙印、背神王の忌名。そんなものは笑いを誘うだけだった。
お前らがその名で俺を呼ぶずっと前から、私生児は、誰が知らずともお前らに存在を根本から否定され貶められ続けてきたのだ。
そして、堕落しきった聖都は火刑に処される。
結局、聖遺物などと呼ばれる教会の至宝は、そのどれもがフレイアの病に効を為さなかった。ペテン師や魔術師の巣窟など、焼かれて当然だ。今まで彼らが主張してきた教義の通りに。
今まで無視し続けてきた自身の中で燻ぶる世界への憎悪、それを誤魔化す為に、俺は祈る様に呟くようになった。
「あるはずだ、必ずどこかにあるはずだ、万病の秘薬、生命の秘宝、彼女を永らえさせるための術が!!」
――――――――――…
「次は東だ。」
夏も過ぎ去り、矢継ぎ早に口にする。
その時になりようやく周囲は俺の抱える病的な焦燥に気付いたようだったが、俺のその狂気の前に逆らえる者など、誰一人として存在しなかった。
東国オースティン。ノルヴィークを始め、海の向こうの国とも交易を行う富に満ちた国。
勇猛な異民族を抱え込み外つ国からの武器を駆使し海を自在に駆け巡る船団を持つ。
王ではない王が治める地。
師とも父とも慕った――――こうなりたい、と憧憬を向けた男の治める地。
自分で言って、狂気の沙汰だと分かる。
内憂を抱えた二国とは違う。今までにない苦しい戦いになるだろう。もたもたしていては、南と西の残党にも付け入れられかねない。
何より、戦に勝てたとてその先の統治が何より難しい。王政に慣れ穏やかな気候の所為で農民商人に至るまで保守的なエルス。信仰という精神の支柱を破壊され骨抜きにされたラヴェスタ。
オースティンには、独立の気風を尊ぶ商人達がいる。飼い馴らせぬ異民族がいる。豪商が、宣教船司祭が、何より市民権を尊ぶ市井の人間が力を持っている。“これを壊せば”というものが存在しない。王殺しオストヴァルドの創りあげたそれは、“王国”とはあまりにも違いすぎた。この国の民の知る方法ではあの地は到底治めきれない。
冷え切った頭でそんな事を考えながら、そして俺は烈しい声で命じた。
「東の国を滅ぼせ!!
先陣を切るのはお前だ、私の戦乙女、私の剣―――――イルヴァ!!」
それが、なんなのか!!
後先の事など知らぬ。フレイアの命以外のものなど知らぬ。憧憬した師も、今は単なる邪魔者。
大事なことは、未だ彼女が生きているということ。俺は諦めない。
そして返る、澄みきった全肯定の言葉。
「――――畏まりました、我が王アルヴィド・マグヌス・ティセリウス陛下。
イルヴァの剣は貴方と貴方の王国にのみ捧げられております。」
血に塗れ、滅ぼした国の民から、傷つき死んでいった兵たちから、“雪の魔女”の忌名で呼ばれるようになった少女。
かつて幼い自分が手を引き、護ろうと誓った存在を、容赦なく赤い惨劇の場へと追いやる。
愚かだ。愚かだ。俺はどうしようもない愚か者だ。
愚かな俺にさえ分かるほど。
嗚呼、だが、それならば愚かな俺を戒めない人々は、なんなのか?
“賢王陛下万歳!!”
賢王などという似合いもしない仮面をかなぐり捨て、それでも湧き上がる礼賛の声。
渦巻く不満も不安も、俺の前に形を成さない。
何故だ。何故こんな愚か者に唯々諾々と従う。
教えてくれ、答えてくれ、正してくれ、世界よ!!
もし応えられないのなら、それは世界が俺以下の愚か者の寄せ集めということだ。
俺を裁く資格などあるものか!!
―――――そして、オースティン陥落間近、最後にオースティン王から贈られた玉鋼の剣。
かつて東方領伯が禁を侵してまでオースティンに打たせた剣。伯の死の遠因。
『 Arvid Magnus Tiseliu ―――北の果ての賢王――― 』
そう刻まれた銘の横には、幾度も書簡で見た癖のある書体で
『 ―――世の果ての狂王――― 』
と刻まれていた。
一振りの剣と、かつてオースティン王と呼ばれた男の首を前に、俺は哄笑した。