【夏の愚者】-11 嘘つきと愚者
花祭の終わりの日に、俺はフレイアを正式に王城へ迎え入れた。王を慰める楽師としてだ。
白亜の王城にも、厳しい顔をした大臣にも、困惑したような高官にも、好奇心に満ちた侍女達にも―――――そして、俺にも、惜しみない笑顔を振りまいたフレイア。
俺は、その時確かに幸せだった。
愛しく想う少女の笑顔がそこにある、惜しみない笑顔を俺に向けてくれる、そしてこれからは俺の為だけに歌ってくれる。
俺は幸せな愚者だった。幸せな道化だった。
あるいは、あの花祭の道化のままでいられたら、俺は今も幸せだったのだろうか。
だが、一日目にして俺は悟ってしまった。
――――――国王として正式な目通りを許した時、俺は歓待の言葉を述べた後真っ先にイルヴァをフレイアに紹介した。
『イルヴァ。私と王城を守る近衛の長を務める者だ。
私が最も信頼する側仕え。そなたと顔を合わせる機会も多いだろう。』
実際、その時俺はイルヴァをフレイアの護衛として付けるつもりだった。
俺が唯一信頼する右腕。王国一の剣士。そして、近衛隊唯一の女騎士。
『――――ノルヴィーク近衛隊隊長イルヴァと申します。
以後、お見知りおきを。フレイア殿。』
どの貴婦人が纏うドレスよりも優美な藍色の鎧、どの騎士よりも凛々しい礼の所作。
腰には氷の精を模った銀の剣。
『初めまして、イルヴァ様!お会いできて嬉しく思います。』
答えたフレイアの声には、溢れるほどの慕わしさがこもっていた。薄紅色に上気する頬、潤んだような瞳。
それは―――――紛れもない、恋する乙女の貌だった。
『なんて、綺麗な藍色でしょう…!髪も、瞳も。
わたしは、これまでこれほど美しいものを見たことがありません!!』
白くたおやかな手が、藍色の手甲に覆われた手へ伸びる。
一瞬、イルヴァはぎくりと身を震わせたが、結局突然のフレイアの成し様を咎めることはなかった。
冷たく鎧われた手を、柔らかな生花でも抱くように愛しげに白い両の手が抱く。
そして零れた微笑みに、俺はついにはっきりと悟ったのだ。
あの日の歌は、あの微笑みは、フレイアの愛は――――――ただ、この藍色の少女にこそ注がれていたものだったのだと。
――――――――…
結論から言えば、フレイアは実に見事な嘘吐きだった。
それからも、楽師達に、侍女達に、俺に向けるその笑顔には、一点の曇りも見受けられなかった。
俺とても、あのフレイアの、イルヴァを前にした“心からの微笑み”を見なければ、その笑みが偽りであるなど気付かなかったかもしれない。
その微笑は、困惑ぎみの重臣や貴族主義に凝り固まった高官達の心をも徐々に溶かしていった。
愛される嘘吐き、フレイア。
――――――――実際、真実を知った俺でさえ彼女を嫌うことはできなかった。
心地良い声、可憐な容姿、偽りでさえその微笑みは麗しい。
花のように、その場にあるだけで愛される存在。
俺は、彼女を守りたいと思った。
大切なものを、今度こそ。あわよくば、いつか彼女の愛が自分に注がれるようになる日も来るのではないか、そう思ったのも嘘ではない。
彼女のための装束、彼女の為の位、彼女の為の離宮を作ると共に、彼女の護衛には武門の名門、フォルクング家の若者を付けた。
数多の兵達の中でも腕利きの、そして忠誠に溢れる者を。
最もその条件に当てはまるのはイルヴァであったが、まさか、愛しい相手の傍にイルヴァを――――唯一の恋敵を、置くわけにもいかない。
近衛隊を取り仕切るイルヴァに尋ねたところ、もっとも信頼できる相手だと答えたのが、その近衛隊副隊長であるヴィクトール=フォルクングだったのだ。
それには、フレイアの心を奪うイルヴァから、腹心の部下を奪うという陰険な心づもりも多分にあった。
フレイアが城に上がるに際し、“娘を溺愛している父母”とやらには莫大な金を支払いもした。愛しいフレイアが血族を思って涙にくれるのを防ぐためならば、屋敷の二つや三つ立つ程度の金など惜しくはないものだ。
もっとも、それが単なる下衆な強請り屋だと判明した時には、命ごと倍にして返してもらったが。
美しいフレイアの傍に、穢れた者共などもう二度と近づけるつもりはない。
「歌ってくれ、フレイア。お前の声をきくことが、私の一番の安らぎだ。」
娼館の老人の裁判の結果と資産の目録を確認し、書類仕事で疲れた身体に、フレイアの優しい声はまるで染み入るようだった。