【夏の愚者】-4 悔恨~剣と藍色~
――――――――…
根本的な過ちに気付いたのは、イルヴァが自主的に剣技を習い始めたと聞いた時。
武術の師よりその事を聞き及び、イルヴァを呼びだした時には、すでに少女の長い髪はばっさりと肩にもかからないほど切られてしまった後だった。
稀有な藍色、宵闇のように艶やかな、少女らしい華奢な肩にさらさらとかかっていた髪が。
その事を問い詰めた俺に、イルヴァはこともなげに答えた。
「貴方の傍にいるには、不要なものです。」
と。
―――――――――… 俺は、愚かに過ぎた。
守ると決めた少女。よかれと思って与えた第一王子の側近という座は、その実城内で最も過酷な座であった。
国を継ぐ者には文武を求められる。従者には、それを支えるだけのさらなる教養と武技が求められる。
血族の後ろ盾を持たず女であるイルヴァならば、なおさらのことだ。お飾りの女官にしようにも、俺が連れまわした所為ですでにそれもできない。
イルヴァの剣の筋は良い、あるいは百年に一人の逸材だと、そんな讃嘆の言葉を聞くたびに、俺は自身の愚かさを詰ってやまなかった。
剣を扱うということ。
それは傷つける術を持つという事、傷つけられる機会を持つということ。
幸せな姫や淑やかな令嬢が決して身につけるはずのない技。
戦場でしか役に立たない技術。
少女の華奢な腕に巻かれる包帯を、白皙に残る痣を眼にするたびに、俺はどうしようもない後悔にさいなまれ、悲嘆に暮れた。
――――――――それまでの俺だったなら、そこでお終いだっただろう。
あるいは、そこまでするイルヴァの献身を、その意も図らず鵜呑みにし、それをただ俺に対する愛故だと傲慢にも思い込んだかもしれない。
《 全てを疑え。 》
「……何故だ。」
実際、その言葉が出てきたのは、奇蹟に等しかった。
ふるえた、不完全な声に、俺よりもよほど聡い少女は俺すらわからぬその意図を全て汲み取って答えた。
「あなたが、私の手を引いてくれたたった一人の人だったから。」
花の蕾のような唇。澄み切った声は、記憶を簡単にあの雪の原に遡らせる。
「あなたは、触れてくれた。大きな温かい手で。
慈しまれた事などなく、ただ雪の中とり残された私の手を引いてくれた。
ひとりぼっちのあの雪の原から私を救いあげてくれた。
アル、私の王さま。あなたのためだったら何でも出来る。
…――――――大好き。」
ふわり、はにかむように微笑んだ少女の頬には、痛々しい青痣。
違う、違うんだイルヴァお前を独りにしたのは俺なんだ、俺は王様ではないんだ、俺はお前を救いあげたのではなくお前をあの孤独の雪原に突き落とした張本人なんだ!!頭に充満する喚き声とは裏腹に、すぅっ、と冷えてゆく脳の一部分が囁いた。
“ ならば、あの時、|手を引いたのが俺でなければ《・・・・・・・・・・・・・》――――…? ”
確かに、イルヴァは俺の事を慕ってくれているのだろう。
だが、それにしてもその忠誠と献身は盲目的にすぎた。俺の為と負った傷跡、切り捨てた髪。欠片ほどの疑いも持たず俺を見る藍色の眼差し。俺以外に向けるそれの凍てつく青さ。
脳裏に浮かんだのは、親鳥を食い殺した鷲を親と思いこむ、産まれたばかりの小鳥。
刷り込み。俺は愕然と思い当った。
あの極寒の地で、心身共に極限の状態で、目の前の少年一人しか縋るものがなかった少女。
もし、今俺が自身の出自やあの村の顛末を語っても、イルヴァは俺を責めはしないだろう。それはすでに確信だった。
イルヴァは俺を責めない。だから、俺の所為で滅びた村のことで、イルヴァに赦しを乞うこともできないだろう。断罪されることもない。だから赦されることもない。
藍色の双眸はあの日、全てが死と雪に支配された凍える世界で、唯一の温もりに縋りついた少女のまま。俺だけを見つめる、俺だけを信じる、俺だけしか存在できないそんな世界のまま。
ずっと二人でいた。誰も寄せ付けなかった。あの雪の原から手を引き続けた、その結果が―――――これだ。
「イルヴァ…」
「そんなに、お見苦しかったですか?この髪は。
すみません、なら、誰かに鬘を借りてでも…」
「いや。」
伸ばせ、と言えば伸ばすだろう。俺の為に。俺の言の通りに。
だが、それでは意味はないのだ。
「…いや、少し驚いただけだ。私は、お前の藍色を気に入っていたから。
だが、その髪型も似合っている。」
なんとか微笑むと、俺は梳くことすらできなくなった藍色の髪をせめて撫ぜた。
―――――それに心底嬉しそうに微笑む少女が、哀れでならなかった。
マダオ陛下ことアルヴィドから見たイルヴァ。
間違ってはいないのだけれど、とりあえずこれは愚者の視点です。