表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/54

【春の女】-11 懇願

南、西、東。主だった国は全て滅びた。


どれほどの兵が、人々が死んだのかなど知らない。流石に兵達も疲弊しきっているようだ、と難しい顔のヴィートも知らない。不安しか囀らない侍女達など知らない。



南、西、東。主だった国は全て滅びた。

彼女は、やり遂げたのだ、王のために。けれど。



「っけふ…、か、は……ッ!!」



―――――けれど、結局この大陸のどこにもわたしの病を治す術はなく。


豊穣のエルス、聖都ラヴェスタ、豪放たるオースティン。

その全ての滅亡に、死んでいった人々に、結局意味はなかった。



「フレイア…!!」


血反吐のように赤い髪の男がわたしの名を呼ぶ。

北の大国の王、そして今やこの大陸全ての主、絶対の王、全能であるはずの王。


それでも、彼がわたしの名を呼ぶだけではわたしの病は止まらない。身体の肉は削げ落ち、熱はこもり、息をするのはとんでもない苦行になり果てた。


「フレイア…」


そして、アルヴィドの狂気も止まらない。嗚呼、思い出すのは歌声の代わりに鮮血を吐き出したあの日の、絶望に見開かれた瞳。相変わらずわたしに触れることはなく、それでも痛々しげにすがめる赤金の眼差し。



死にゆく身体で、それでもわたしが思うのは、ただ一人のことだった。




「……っ、

雪、は……まだでしょうか…?」


無様に掠れる声で、それでも久しぶりに発した言葉らしい言葉に、アルヴィドは目を見開いた。


「いや。―――いや、だが、すぐだ。

大気が冷たい。今日か明日には、必ず雪は降るだろう。

……雪が、好きなのか?」


必死に言葉を継ぐ王に、わたしは瞼を半ば閉じて答える。


「ええ……とても、綺麗ですもの。」


清冽な冷たさも、世界の全てを染め上げる純潔の色も。

手のひらに落ちれば萎れる花弁とは裏腹の、落ちれば透明に溶け消える潔さも。

あの人の眼差しにも似た静謐な大気も、とても綺麗。




「雪が…見たいな…。」

ぽつり、零れただけの言葉に応えが返る。



「見れるさ、すぐにでも。

その先、春の花が咲き乱れるのだって、すぐだ。」


強烈な願望をはらんだ声に、わたしはゆっくりと首を横に振った。



「いいえ、春は見れなくて良いのです。

…ただ、雪が見れれば良い。」


忌まわしい春など見たくない。何より、それまで身体がもつはずがないことを、自分が一番よく知っている。



「フレイア……」


何度目か、わたしの名を呼んだ男は、数秒の沈黙の後――――ふと、唇を引き結ぶと穏やかな声で言った。




「――――――お前が“一番欲しいモノ”は、その手に掴めたか?」



いつかの日の言葉。熱に魘された頭では、それがいつの日の事であったかまでは思いだせないが。

……いいや。そう、そうだ、あの日は、イルヴァ様もいて。けれど、ヴィートと共に控えの間にいってしまって。


――――…そうだ。



「―――――――いいえ。

けれど、ひとつ、お願いがあります…陛下。」


「叶えよう。言うがいい。」


即答する声に微笑をもらし、わたしは鈍痛を抱える頭で必死に続けた。




「わたしに…付けてくださった、白銀の鎧の、兵士……

彼は、わたしに、本当によくしてくれました…

これ以上、こんな病身の元に引きとめておくのは、忍びないのです。」


ヴィート。白銀の兵士。

最後まで、彼はわたしの外見や声に惑うことはなく、故にわたしが彼に嫌悪感を催すことはなかった。

常にわたしの傍にあった、白。



「彼は、ただ臥せる事しかできないわたしとは違います。」



懇願を込めて見つめれば、アルヴィドは確かに首を縦に振った。


「叶えよう、フレイア。お前の望みは、私が叶えうる限り全て――――…」


「ありがとう、ございます…」


ほぅ、とわたしは吐息を吐きだした。

たった数片の会話。けれど、こんなにも声を出すのは―――こんなにも声が続くのは久方ぶりだ。

珍しく発作が起こる様子がないことに、アルヴィドも気付いたのだろう。


それまでひたすらわたしに向けていた眼差しを、ふと、硝子一枚へだてた庭園へと移した。


遠い眼差し。触れがたい横顔。

現世の苦悩から逃れるような眼差しで、かつて彼は続けたものだ。



『 歌ってくれ、フレイア 』



と。



「………。」


―――――わたしは細く息を吸った。喉に手をやる。意味ある詩など紡ぎきれないことは分かり切っている。だから、わたしが発したのはただ“La”の一音だけだった。


響いた高音に、瞬時にアルヴィドの眼がわたしに引き戻される。

咎めるように開いた口は、しかし言葉を発することはなく。

わたしは、ただ旋律を紡ぐ。言葉などなくとも、声と意志があれば歌は成立する。



歌。歌。歌。

カティアがくれたわたしの慰め。

わたしの選んだわたしの寄る辺。

“歌姫”フレイア、それが彼女の知るわたしの全て。

小鳥の歌も、旅の歌も、別れの歌も、とっくに歌えなくなっていた。


ただ、この胸を占めるのは愛の歌。




(――――――会いたい。)


あの藍色の姿を一目見たい。

あの藍色の眼差しに見つめられたい。

一言、あの透明な声がわたしの名を呼ぶのを聴きたい。


正反対の赤金の色を眼前に、わたしはただ思っていた。



一目。一目。

それまでは死ねない、なんとしてでも。


「……ッ!!」


喉の奥が焼ける。血の匂いが肺にわだかまる。それでも。



この鼓動を止めてなるものか!!




…――――――歌が掠れ、止まる。

心臓をきつく握りしめ、耐える。瞑目し、荒れる吐息と不規則な鼓動を宥めすかし、どれくらいたっただろう。わたしが再び眼を開けると、そこにはもう赤い男の姿はなかった。



代わりに、いつの間にか佇んでいたのは白銀の兵士。

王宮内の儀礼用ではない長刀を刷き、近衛隊の徽章をマント留めに刻んだその姿。


別れの言葉などありはしなかった。

最後にヴィートが告げたのは、ただ一言。




「明日、凱旋将軍としてイルヴァ様が王都に帰還する。」



それで、十分。


(―――――嗚呼。)


弱々しかったはずの鼓動が、どくん、と一際強く脈打った。

唇が笑みの形を刻むのがわかる。死にぞこないの身体に灯る恋情の熱。


きん、と澄んだ冬の気配を引き連れて。



愛しい藍色がついに、帰ってくる。




それぞれの懇願。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ