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【春の女】-9 花売り娘の病

わたしが倒れたのは、盛夏の折だった。

緑が生い茂り、ぎらつく太陽が地上を焼く。腐敗を孕むやかましい生命の季節。

王を象徴する色の季節。


“歌姫フレイアは病をえていた!!”


人々の囁きが鬱陶しい。幸い、国王アルヴィドは病をえた歌鳥を捨てることはせず、医師や薬師、果ては流れの錬金術師や妖術師までかき集め、わたしを癒そうとした。


必死の形相の彼らを見て、それでもわたしはこの病が治ることはないだろうと冷めた頭で考えていた。

産褥での事に耐えられなかった母。その前から身体を崩していたという母。

呼吸に耐えられない喉、胸を締め付けられるような鼓動、けだるい熱。微かに伝え聞いたその症状と今のわたしに宿るものはまったく同じだった。

――――これは、おそらく血族の病。流行り病ならまだしも、医師達に治せるものか。


まったく、花売りの娘は花売り、どころではない。


イルヴァ様はイルヴァ様で、王城に出入りする人々が急増した所為で王城警備の徹底に忙しいらしい。

厄介者め、と責めるようなヴィートの言葉に、わたしは苦笑を返すだけだった。

なんの偽りも遠慮も含まない言葉は心地よい。

それに、それだけでなく幾人もの盗賊や間者共を捕らえた彼女の活躍もまた、彼の口からきくことができたから。



そうこうする間に秋が過ぎ、心地よい冬が来る。

身体の芯まで清めてくれるような厳しい冬。花祭の折には花に埋もれていた街が、穢れなき白一色に染まる。

冷たい大気は肺を洗い、鼓動を沈め、鬱陶しい熱を拭い去ってくれるようだった。それでも、部屋の中では侍女が必死に薪を炊き薬を燻蒸し、その(すが)しさは朝の一時のみであったが。




そして―――――その心地よい冬の冷気と共に、彼女は現れた。実に半年以上ぶりのその姿。変わらぬ清冽な藍色。


「イルヴァ様……!」


目にした瞬間、病などどうでもよくなった。王や侍女達に向ける空疎な笑顔でなく、久方ぶりの本当の笑顔。

会いたかった、会いたかった、会いたくてたまりませんでした。一目御姿を拝見するだけでも満足だったのに、その手に持った果実籠はもしかしてわたしのためのものでしょうか。だとしたら、たとえ呼吸が苦しかろうが喀血しようが林檎の皮一枚残さず平らげるのに。


そして遅れて気づく。ああ、何故、わたしはこんなにも見苦しい格好なのだろうか。髪も結わず、紅の一つもささず、折れそうなくらい貧相になってしまった腕を隠すこともできない。頬も無駄に紅いだろう、喉にひっかかる呼吸が耳触りだろう。美しく在ること、それだけがわたしの価値だというのに!!


微かに震えた身体に、藍色の瞳が痛ましげに伏せられるのを見た。

ああ、悼んでくれるのですか、哀れんでくれるのですか。貴女の愛する人の寵愛を一身に受けるわたしの痛みを、不幸を、嘲笑することも歓喜することもなく。

綺麗な人。


彼女が目を向けてくれるならば、病になるのも良いかもしれない。


そんな暢気なことを思っていると、ふと、手を取られた。

沈痛な面持ちの、赤毛の王。一瞬その手を振り払いそうになったのをこらえて彼の背後を見やると、悲痛な藍色の双眸が伏せられるところだった。

澄み切った瞳の中に容易に見てとれる、嫉妬と哀しみの色。それをわたしに叩き付けるでもなく逆に己を恥じるように隠そうとするのだから、やはり彼女は綺麗な人間だ。



「具合はどうだ?フレイア。

寒くはないか?暑くはないか?喉が乾いてはいないか?苦しくは…ないか?」


赤金の双眸がゆらめく。その様に、同情できるくらいにはわたしはこの赤毛の王のことを受け入れていた。

けれど、触れられるのはやはり耐えられない。


「なりません、陛下。わたしは何によるものともつかぬ病を抱えた身。

 うかつに触れて、陛下の御身にもしものことがあっては、わたしは……!」


一回り以上大きい手のひらから手を引き抜くと、わたしは訴えた。

もっとも、血統の病であれば触れたところで病がうつることもないだろうが。



「フレイア……私は―――――…!!」


空になった手のひらをギリリと握りしめると、王は一つ苦しげな吐息をついた。

そして自身の後背に目をやる。それだけで、藍色の少女と、そして白銀の鎧姿も、微かな礼をして戸外へ去って行った。


此処には、本当に二人きり。




「私は……無力だ。苦しむお前の、手を取ることすらできないのだから。」


悄然とした姿は、多くの兵士たちや重臣たちの前にある時の堂々とした姿からは想像もできない。もしかしたら、藍色の彼女ならばこの北の大国の王のこんな姿も知っているのかもしれないが。


「いいえ、陛下。わたしは本当に陛下に良くしていただいています。

心地よい寝台も、よく仕えてくれる侍女達も、気分の良くなる薬草達も、みんなみんな陛下の慈悲によるもの。

あの、果物籠も――――本当に、嬉しゅうございます。」


何より嬉しいのは、彼女を伴って来てくれたことだけれど。

ふわりと微笑めば、微かに苦しそうに、それでも彼も笑った。


「お前は本当に欲がないからな。

果実ぐらい、いくらでも持って来てやる。遠国のものでも、時季外れの物でも。

なんでもいい。

なにか欲しいものはないか?フレイア。」


柔らかな台詞と共に、手を伸ばすことはない。触れようとすることはない。わたしが拒んだからだ。

その誠実な臆病さに、せめて偽りのない言葉を返そうという気にはなった。



「“一番欲しいもの”は、決して人から与えてもらう事はできない―――――…

わたしの、姉…のように思っていた娘が言っておりました。

それは、自身の手で掴まなければ意味がないから。」

自身の手で掴むことができなくても、他人から与えられたものでは意味がないから。




その言葉に、アルヴィドは眼を見開くと、その一瞬後に無邪気に微笑した。



「―――――ならば、私はいつかお前に、“お前が二番目に欲しいもの”を捧げよう。

愛しいフレイア。」


微かな衣擦れの音と共に立ち上がると、美しい蔦の彫り物の施された扉の向こうへ去ってゆく。

その赤い後ろ姿を、わたしは珍しくいつまでも眺めていた。


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