【春の女】-8 枯れない花
その後、「手折られる命が忍びないのなら」、と、王城の庭園が丸ごとわたしに捧げられた。
北の国にあって常に花の咲き乱れる王家自慢の庭園。
わたしはそこでただ一人のために歌う。
目の前の赤い男にでなく庭園の薄い扉越し、確かに存在する藍色の少女へ。
歌う時は言葉を交わせずとも姿を見ることはできたというのに、それ以来藍色の姿は遠ざけられ、王は約束をたがえたのかと憤慨しかけた時ようやくその機会はやってきた。
王は視察で王城を離れなければならなくなったのだ、と。
告げに来たのは、涼やかな少女の声。
聴きたがえることのないイルヴァ様の声!
「陛下が不在の間、私が貴女の身をお守りいたします。」
美しい礼の型。騎士が貴婦人にするようなその仕草に、わたしはまさしく有頂天になった。
それ以来、王が城を留守にする間は常に彼女が傍にいてくれるようになった。
部屋へ行ってみたいと言えば、戸惑いながらも、わたしを部屋に招いてくれさえした。
丈夫な卓と来客用の長椅子、本の詰まった書棚。
すっきりと簡潔な、その人柄を感じさせるような清々しい部屋には、明らかに不似合いな柔らかなクッションと茶会のセットが用意されるようになった。わたしのためのものが彼女の部屋にあるということが嬉しかった。
香茶を飲み、お菓子をつまみ、わたしの他愛のないおしゃべりに彼女が時折静かに相槌を打ち、歌に耳を傾けてくれる。まさしく至福の時。
春の気配が消え初夏の日差しが降り注ぎ、これから短い夏の盛りへ向かっていくという頃。
わたしは、ふと彼女の部屋にあるその花の存在に気付いた。
「この花は、随分と長い間活けられていますのね。」
視線の先には、薄紅色の花があった。
わたしの髪の色にそっくりな色の花。
「それは……」
すっかり嬉しくなったわたしは、零れるにまかせた笑顔で言った。
「あなたの傍ならば、花さえも永らえようとするのですね。イルヴァ様。」
ああ、嬉しい、嬉しい、そしてうらやましい。その薄紅の花が。
彼女の傍にいられる、いつ見ても枯れる気配もないその花が。
嗚呼。
「わたしもその花になりたい……」
花になどなりたくないと噛み締めた唇で、そんなことを呟く。
貴女の傍に枯れずにあるならどんなものでも良い。
「こんな……花などより、貴女のほうが美しく在るでしょう。」
微かに揺れる声。
氷よりも透き通った藍の双眸を覗き込んで、わたしは言った。
「わたしが美しいとしたら、それはわたしを映す貴女の瞳が、心根が美しいのですよ。」
本当に、綺麗な人。
憎い恋敵を前に、どうしてそんな痛々しく真っすぐな言葉を紡げるのですか?
――――――…
「また、来ても良いでしょうか。今度はこの様な理由もなしに。」
あの男の存在がなくても、わたしに会ってくれますか?
部屋を立ち去る間際、勇気を振り絞って言った言葉に、彼女は事務的に、それでも首を縦に振ってくれた。
ああ、今日はなんて素晴らしい日だろう。強すぎて鬱陶しい夏の日差しも、草の匂いも、何もかもが許せた。
次に訪れる時は、何を持っていこうか。どんな歌を歌おうか。あの花は、まだ在ってくれるだろうか。
大人しい侍女を連れ、軽やかな足取りでわたしのための鳥籠へと戻る。
…―――――けれど、私がイルヴァ様の元を訪れるのは、その日が最後になった。