【春の女】-7 拒絶の花
それでも、わたしは王に招かれる時を日々心待ちにした。
歌えることが嬉しいからではない。勿論王に会えるのが嬉しいのでもない。
わたしが思い焦がれるのはただ一人、赤い男の斜め後ろ、静かに控える藍色の鎧姿。
わたしは歌う。
そよ風の歌、糸紡ぎの歌、若葉の歌、小鳥の歌――――――愛の歌。
ただ一人のために。たった一人に伝わるように。たった一人が安らいでくれるように。
それでも、その憂いを帯びた藍色の眼差しは、ただ赤い姿にのみそそがれていたけれど。
国王アルヴィドはわたしに何でも与えようとした。
宝石、精緻なレース飾り、異国の絹織物、季節外れの果物、蜜の酒、愛らしい菓子。そして庭園を臨む美しいわたしのためだけの離宮。
彼の庇護は絶対であり、わたしの寝台はこの上なく心地よかった。
けれど、それだけ。
それはわたしに必要なものであって、わたしの“欲しいもの”ではない。
彼はわたしの欲しい唯一を持っている。
けれど、彼がわたしの欲しいものを与えることは絶対に不可能なのだ。
――――――ある日、彼がわたしに捧げたのは一輪の薄紅色の花だった。
「お前に、よく似ていると思った。」
と。柔らかい日差しの中で微笑む様に、わたしは目を見開いた。
「ありがとうございます、陛下。」
なるべく違和感がないように微笑み、けれどわたしはその差し出された手と花をそっと押し戻した。
「けれど、わたしには勿体ないものです。」
そっと、眼を伏せ首を振る。幾度も繰り返した言葉。それでも、王から差し出されたものをあえて拒むのは、これが初めてだったはずだ。
「フレイア?」
赤金色の瞳が微かに揺れる。その様に、わたしはすぅっと一つ息を吸い込み、続けた。
「花は、いずれ枯れ朽ちるもの。
――――それでも、ひとつの命をわたしなどのために手折り散らせることを、わたしは望みません。」
心優しい歌姫の言葉。
それを吐きながら、わたしは苦々しい嘲笑が胸の奥に渦巻くのを感じていた。
ねえ、お優しい王様、絶対の王様。
あなたがわたしに似ていると言ったその薄紅の花。それをわたしの傍に置くと言う事がどういうことか、あなたにはお分かりにならない。
あなたはわたしに見ろというのだ。自分に似た花が、水差しの中で日々咲き、萎れ、最後には枯れ捨てられる様を!!
( 枯れた花がどうなるかなんて、あなたは考えない。 )
そもそも知りもしないのかもしれない。彼の傍に飾られる花は、少しでも萎れる前に侍女達に捨てられるだろう。
彼は王家の正統な血筋であり、男であり、絶対の力を持っている。
飽きれば捨てられる花とは違う。
「フレイア―――――本当に、お前は……
姿や声だけでなく、心まで麗しいのだな。」
花を引きもどした男は、吐息と共に言った。
眩しいものを見るような眼差しに、わたしは憐れみを覚える。ああ、いくら乞おうとも彼がわたしを手に入れる日は来ないだろうと。
「わかった。だが、私の中では真実お前に勝るものなどないのだ。
何か、欲しいものはないのか?」
欲しいもの。
いっそ、彼女に似た銀の剣でも贈ってもらおうかと思ったが、わたしはすぐに考え直した。
「ならば……その。
わたし、イルヴァ様と、もっとお話ししてみたいです。」
剣などより、彼女本人の方が良いに決まっている。
「イルヴァ……か。」
ふと、赤金の双眸を伏せた男に
「駄目、ですか?陛下…。」
今まで何一つねだらなかったわたしの、唯一の願いに、彼はそれほどしないうちに首を縦に振った。
「わかった、フレイア。
お前の望みに応えよう。」
「ありがとうございます、陛下…!!」
微笑みが零れる。
思えば、わたしが彼に心から感謝したのは、この時が初めてだった。
順調に薄暗くなってまいりました。