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卜部の当主の登場に葛木は立ち上がって右手を差し出す。
「ご無沙汰しています、徹さん。こちらが水卜紗雪さんです。」
「はじめまして、水卜、紗雪です……。」
卜部は緊張しながらそう挨拶する若い女性を目を細めて眺めると、困ったような笑顔になった。
「たしかに、美幸と私の面影があるね。紗雪さんと呼んでもいいかな?」
「は、はい!」
「いきなりの事で混乱していると思う。血の上では紛う方なく私の娘だと思うが、一旦私の事は親戚の叔父とでも思って欲しい。
今後あなたの能力次第ではこのままこの家に居てもらうことになるとは思うけれど、あなたの家族とも合流させたいと思っているから安心していい。」
「っありがとうございます!」
「そうね、そのためにもまずは紗雪ちゃんの能力を調べないとね。」
「はいっ!」
紗雪は何をするのかも分かっていないが、検査なのだから特に気にする事もなく紅茶を堪能していたが、卜部は困ったように眉を顰めていたいたことに気付かなかった。
卜部より、紗雪の能力を調べるためには卜部の姫巫女に見てもらう必要があり、その準備に時間がかかっていたがもう整う頃なので行こうと案内されたの屋敷の奥庭にある社の更に奥だった。
全体的に物々しい雰囲気があり、目に見えないオーラのような圧に紗雪は本能的に警戒していた。
「ここはね、最も守りの堅い卜部の中心なのよ。
これからお会いする方は、卜部の姫巫女と呼ばれるお方。有希姫とはまた別の世界からいらした、最古の神霊の一柱よ。」
「神様……?」
「そうね、神様とお呼びするに相応しいお方ね。」
九十九の鳥居をくぐり、しめ縄で厳重に守られた社の戸を開くと、奥に巨大な藤の木がある広間、その木の手前には神秘的な佇まいの女性が座っていた。
それは紗雪が夢の中で見た、長い銀髪に藤色の瞳の女性だった。
その女性がこちらに気付き、顔を傾けるとシャラリと髪飾りが鳴り、目も心もその女性しか見えなくなってしまう。
「待っておりました。妾の吾子……」
「……ぁっ」
細い、囁くような小さな声なのに、一言一句が正確に紗雪に届く。
紗雪は何かに導かれるように前へと進み、女性の前で力が抜け、ぺたんと座り込んでしまう。
「吾子、そなたの名はなんと言うのですが?」
「紗雪です」
「紗雪……深雪と言う名に聞き覚えは?」
「……夢で」
「ほんに、ほんに嬉しい事」
慈愛に溢れた眼差しで紗雪を見ていた女性ははらはらと涙を流しながら、紗雪の頭を撫でている。
少し冷たい、細いゆびの感覚に紗雪の心は震えるほどに歓喜していた。
「白藤……の、かかさま……」
「はい、おかえりなさい。愛しい愛しい我が吾子、紗雪」
帰った、そう実感した瞬間何かが弾けた。同時に圧倒的な力が紗雪の頭を、全身をかけめぐり、苛み痛みが全身を貫く。
「きゃああああああああ!!!」
繰り返しの人生の記憶が一気に戻り、紗雪は頭を抱え、悲鳴を上げて蹲り痛みに悶えた。悲鳴を上げている自覚がない程の痛みに体は勝手に暴れ出す。
葛木と卜部、使用人などで紗雪を抑えよう拘束するが、女性の力とは思えない強さに苦戦をしいられ、紗雪は意識を手放すまでのたうち回った。
◇◆◇◆◇
紗雪の繰り返しの記憶は全部で6回だった。
最初の人生は、鬼の声が聞こえるようになって、早々に終わった。
誰の声か、なにの声が聞こえているのか分からず、怯えていた紗雪は自分を守ろうとしているように聞こえる声に導かれるままに学校の裏にある林に入り、自分に憑りついた鬼に意識を侵食される恐怖から衝動的に自殺した。
死に間際、「肉体さえ手に入れば」と悔しがっていた声を聞いていた。
2度目は、声は聞こえたが自分に手出しは簡単にできないと、無意識に理解していたので平穏を装った。
だが、鬼たちは狡猾で友人やクラスメイトの声を偽り、紗雪にどの声が本当の友人の声なのか分からなくした結果、紗雪は学校を休みがちになった。そんなある日、叔母が元気を出せ、とお守りをくれた。
不思議とそれを持っていると鬼の声は小さくなり、あまり聞こえないようになった。
初めて叔母に感謝しつつ通学を再開したある日の夜、寝ている時に体が乗っ取られ、目が覚めた紗雪は外にいた。このままだと完全に主導権を取られると焦った紗雪は、そのまま走って来たトラックへと向かった。
3度目はお家が怖いのと上手く母を誘導して、叔母に自宅に結界を張ってもらったが通学途中で無理やり乗っ取られそうになり自殺。
4度目は自宅と合わせて、自分を守るためのものをより強固にしてもらった結果、数年は平穏に過ぎて行った。だが、3年目にお守りの効果が弱まったのを見計らって乗っ取られ、自殺。
5度目は今の年齢よりも長く生きていた。数年ごとにお守りのピアスを強化してもらい、大学を無事卒業。社会人になったのだったが、新歓コンパの帰り道に、実体化している鬼に襲われた。
どこをどう逃げたのかビルの屋上まで追い詰められ、自分の体は渡せない、と飛んだ。鬼は紗雪の事を【鍵】だと言っていた。
そして、今世は6回目。前回の実体化した鬼との遭遇のタイムリミットはあと2年半になっていた。
やり直す度に、何かを選択をする際に生き残れる道を無意識に選んできた。そして今回は、鬼に対抗できそうな人と出会えた。
思えば、大学の帰り道に遠回りして散歩していたのは全ての切っ掛けだった。
この先は未知数、ただし紗雪の繰り返しは終わった予感がある。理由は白藤の精のような、前世の母。
夢に見た幼い「みゆき」は、今ならわかる。自分だったのだと、見上げた淡い紫の母の瞳が好きだった。
父も母の瞳を愛し、母を白藤と【名付けた】。そして、母はこちらの世界に残った。
「みゆき」の記憶はたった1つだけ残っている。【かかさまの元へ、かえる】それだけだった。
あの藤色の瞳に逢えた、そして「おかえりなさい」を貰った時に分かった、私を縛る楔は解かれたのだと。
「みゆき」の心は浄化され、残ったのは「紗雪」だけになり、繰り返しはもうない。
◇◆◇◆◇
目覚めた時、紗雪は見覚えのない和室の布団で寝かされていた。
状況把握に少し時間がかかったが、障子越しに日差しを感じ今何時だろうかと考えていた時、良く見ると空気には小さな光が泡のように多く浮いていた。
指を伸ばすと指にじゃれるように光が寄ってくる。その内1つが紗雪の顔に近寄り小さく囁く。
【誰か来るよ】
それに合わせたかのように小さく足音が聞こえ、障子の前で止まった。
「紗雪様、起きていらっしゃいますでしょうか?」
「はい、起きています」
「お着替えをお持ちしたので、失礼します」
きっちりと着物を着こんだ水卜の母と同じくらいの女性が入室し、水差しと着替えを持ってきてくれた。
その女性から3日も寝込んでいたこと、まだ起きたばかりなので、と浴衣の上から寒くないように上着を着て、髪は緩く編みこみにしてくれた。その後久々の食事だからと部屋でおかゆをいただきながら、午後に葛木と卜部の当主と少しだけ会って欲しいと言われ紗雪は問題ないと返事をしてゆったりと過ごした。
紗雪の視界はそれまで見ていたものとは違っていた、そして不思議なことに意識を集中すれば視える範囲が広がった。自身の目はつぶったまま、意識を広げていくと大きな藤の木に辿り着いた。
藤の木のふもとには、やはり白藤が居て、紗雪が視えるのか手招きをしているので、近づくと優し気な笑顔で『そろそろ戻りなさい、また後で会いましょう』と言われた。
はっと気づくと紗雪の視界は目に見えているものに戻っていた。
そして、目の前には「あらあら」と苦笑する葛木と渋い顔をする卜部が揃っていた。
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