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紗雪の自宅を出発して1時間ほど経過したところで、紗雪は驚きと緊張の連続で疲労していたのか眠ってしまった。
葛木はあどけない顔で眠る紗雪が冷えないようハーフケットをかけてから、スマホを取り出す。
「首尾は?」
部下からの報告で水卜家の周りには一時的に低級の鬼が増えたが殲滅済み、結界は以前のものより強化なものを設置したと聞き、1つ仕事は終わった。
本番はこれから移送され、徹底的に尋問される予定の紗雪の叔母、水卜奈美だ。
護りては各国の秘匿された武力であり、権力であり、文字通りの護りだ。
その力は特殊で血族により継承される事がほとんどのため、血族の能力維持は必須事項だ。昔の王侯貴族などよりもよっぽどその責任は重い。
まして血が濃いほど能力が強い傾向のある護りての直系を攫ったのだから、ただで済む訳がない。最終的には高レベルの鬼討伐時の肉の盾か撒き餌にされるだろうな、と表情のない冷たい目で葛木は冷静に状況判断していた。
目下の目的は無事紗雪を卜部本家の強固な結界内へと連れ、封印されている能力の解放だ。
有希姫が紗雪は「同じ時間を繰り返している」と言っていたのだ、能力が解放されれば前の記憶が多少なりとも戻るかもしれない。
何はともあれ、まだ19歳の紗雪の前途は困難なのが予想出来て、可哀そうに……と葛木は同情してしまう。
なまじ普通の家庭で普通に育ってしまったのだから、まずは生活のギャップから慣れなければいけないだろうし、卜部の者たちに馴染めるかも心配だ。
最悪は有希姫も気に入っていたのだから、葛木で保護をする事も想定している。
何はともあれ今は平和に眠って休んで欲しい、と葛木は紗雪を起こさないように静かにノートPCを開いて報告や連絡を始めた。
◇◆◇◆◇
紗雪はまどろみの中、不可思議な夢を見ていた。
銀髪の長い髪をハーフアップで複雑に結い上げ、藤の簪で飾っている女性が袖で顔を隠しながら泣いていた。押し殺した嗚咽が辛そうで、見ている方まで胸が締め付けられる。
紗雪が一歩踏み出すと、かさりと足元の枯れ葉が音を立てたのに気づき女性が顔を上げた。美しい薄紫の瞳は藤の花のようで、下ろした髪が揺れるのに合わせサラサラと鳴る簪、彼女を彩る全てが彼女を藤の精たらしめていた。
「綺麗」素直にそう思った紗雪の足元を幼い少女が駆け抜けていった。
「かかさま!!」
「みゆき……?妾のみゆきなのですか?」
「はい!かかさまの、みゆきです!」
驚きに涙が止まる女性に、恐らく少女は微笑んだのだろう。少女は後ろ姿しか見えないが、声は嬉しげだった。
その声に、女性は微笑みながらまた涙が溢れていく。
「み、ゆき……かかさまは、ずっと会いたかった……
大事な、なによりも大事なそなたを守れなかったかかさまを、許さないでおくれ……」
「かかさま、かかさまは守ってくれました!ほら!」
みゆきと呼ばれる少女が小さな手を女性、母の前に出し、手の中に持っていたモノを見せると女性は奇麗に微笑んだ。
「良かった、そう…… それがそなたを守ってくれたのですね。」
「はい!」
紗雪はそれが何だったのか見たいと思ったが、そのまま景色は霧に包まれるように消えていった。
でも、最後の女性の笑顔にどこかホッとした自分が居た。
『きっと、近いうちに』
意識が遠のく中、先ほどの女性の、鈴の鳴るような可憐な声が最後に聞こえたような気がした。
◇◆◇◆◇
僅かな振動とエンジン音にまどろんでた紗雪の意識が浮上していく。
「ん……」
「あら、目が覚めた?」
ハスキーな聞き覚えのある声に一気に覚醒して体を起こすと葛木の姿を認識して紗雪は焦った。
「えっ…… ここは?」
「ふふ、寝ぼけているのね。お家をアタシと一緒に後にしたのは覚えてて?」
そう言われて一気に夕食の後の一幕の記憶が戻って来る。
叔母の異常な反応、そして自分が両親の子供出ないこと……。感情が溢れ制御できなくなり、自然と涙が溢れてくる。
「紗雪ちゃん……」
名前を呼ばれた次の瞬間、紗雪は葛木に子供のように抱きしめられていた。頭を撫でてくれる手が温かくて、益々涙が溢れて止まらなくなる。
「うぅ……」
「泣いていいのよ、我慢しないで泣いた方がいい」
そこからしばらく紗雪は泣いていたが、葛木は何も言わず頭を撫でて、いつの間にかタオルで紗雪の涙を拭ってくれていた。
こんなに泣くのはいつぶりだろうか、と考えられる位に紗雪が落ち着いた頃、水のペットボトルを渡してくれる葛木はどこまでも面倒見が良かった。
「あ、あの……」
「うん?どうしたの?」
「ありがとうございました」
「どういたしまして。色々一気に起こり過ぎたもの、溜めない方がいいわ。
少しはスッキリして?」
「はい!」
「目が少し赤いけど、すぐ戻るわ。もう少しで今日の宿に着くからもう少しゆっくりして頂戴ね?」
「はい、今どのあたりなんですか?」
「さっき長野に入ったあたりかしら?
紗雪ちゃんのお家を出て3時間ほどなんだけど、もう深夜になるので石川に行くのは明日にしましょう。」
30分後には森の中にある旅館に着き、気兼ねないようにと紗雪は一人部屋でゆっくり休ませて貰った。
翌日もゆっくり目に宿を出て、車で更に北上して2時間ほどで門構えからも立派な日本家屋のお屋敷に到着した。
「すごい!」
「卜部は歴史もあるものねぇ。庭園も玉砂利と池、四季折々のお花があって素敵なのよ。
後で見せていただきましょうね?」
「はいっ!」
紗雪には縁のない純和風な御屋敷に圧倒されっぱなしだった。
同時に正座なども苦手でお作法には一切自信もない上に、失礼をしてしまっては葛木にも実家にも迷惑をかけるのでは、と気が気ではなかった。
紗雪の不安とは裏腹に、応接室は洋風だった。案内をした女性が当主が遅れていることを詫びつつ、到着までくつろいで欲しいと紅茶と茶菓子を用意してくれたので紗雪はホッとしていた。
「あの、葛木さん……」
「どうしたの?」
「卜部のご当主に私は面識がなくて。どのような方なのでしょうか?」
「そうねぇ、紗雪ちゃんは卜部のお役目については知っていて?」
「いいえ、母から水卜や卜部について何か聞いた事はありません。本家のとても偉い方々としか……。」
「そうなのね、では護りての話しからしましょうね」
遥かな昔、隣接した世界は今よりももっと近く、今は鬼と呼んでいる存在との交流すらあった時期があった。
異界の人々は、この世界にはない超常の力を持ち、教育や施しを戯れに行っていた。
彼等にとってはこの世界の人間は何も持たない弱い存在だったので、上位者として振舞っていたのだ。
それがある日この世界と異界との間に隔たりができ、簡単に行き来は出来なくなるようになり、時期悪く異界での争いが起きていた。その諍い、つまりは戦争により異界は荒廃して行った……。
異界の住人たちは荒廃した世界を逃れるために、平穏なこの世界へ無理に渡ろうとしたが、隔たれてしまったためそれも中々敵わない。彼らは目の前に美味しそうな餌があるのに、手が出せない状況になり怒り狂ったのだ。
運良く辿り着いた異界の人間は荒み、暴れ、とてもこの世界の人間には止められなかった中、唯一現在護りてと呼ばれる存在だけが暴れる異界の者を抑え込めた。
彼らは、異界の人間とこの世界の人間とのハーフだったため、異界の力の一部を使えた。現在の護りてはその力を独自に発展させているのだと言う。
「葛木は純粋に戦う事に特化した一族なの。アタシはその当主、こう見えても強いのよ?」
「葛木さんが……きっと戦う姿も綺麗なんでしょうね。」
「まあ、どうかしら?ドン引きしてしまうかもしれないわ。」
くすくす笑う葛木に、紗雪はまだ戦い自体には想像が追い付かないでいた。
「卜部はどんな力を持つのでしょうか?」
「我等卜部は神降ろしによる予言ですよ」
紗雪の質問に答えたのは葛木ではなく、正面の扉から入って来た男性だった。
「えっ」
「お待たせしてすみません。私が卜部家の当主、卜部徹です。」
仕立ての良い着物をきっちり着て現れた男性は、紗雪が夢に見た女性にどこか似ていた。
烏の射干玉と呼ばれる艶やかな長い黒髪を緩く編んで流し、日本人には見ない、否普通では見ない紫に光る瞳をした長身の男性が卜部の当主だった。
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