23
時間は少し戻る――。
葛木が木崎と共に結界に閉じ込められ、呪いのような「黒」に塗りつぶされ、それが斬られ崩れ落ちた一瞬に見えた。
オレンジのような朝焼けの輝き。
一瞬にして魅力されてしまうその光に紗雪は散々見た、あの人の色だ、と確信する。
と、同時にやはり葛木だったのだと、安堵と歓喜の気持ちが湧き上がるのが止められなかった。決して楽観できる状況では無いが、葛木なら大丈夫だと言う裏付けは無いけれども絶対的な信頼感があった。
「かかさま」
「どうしたのかえ、紗雪」
「かかさまは、気付いてたのね…」
それは直感であったが、何故か確信もあった。
「ほほほ、愛しい吾子が可愛らしくてのう。それに、紗雪自身が気付いてこそ意味があるものゆえ。のう?」
「そ、それは、そうなんですけど… もう!かかさまの意地悪!」
「ほほ、許してたもれ。可愛い吾子をいつまでも手元に置いておきたい母の我儘じゃ」
「怒ってはいないけど、紗雪はかかさまから離れたりもしませんよ?」
「ほんに優しい、愛い子じゃのう。さあ、そなたの魂の番とも言うべき男を見守ろうか」
「はいっ!」
祈るように、また小鬼で埋められようとしているドーム型の結界を見守る。音は聞こえないが、動きから葛木の余裕は伺える。
そこに新たな圧力を感じる鬼が顕現した。それまでの小物とは違い、明らかに強者。少なくとも自分は手も足も出ないだろうと思われる存在を前にしても悠然とした葛木の態度は変わらなかった。
反面、結界が崩壊しそうな激しい鬼と葛木の霊圧に紗雪は自然と体が震える。体が本能的に恐れる。
ただ冷静に、落ち着いて向き合えば、あの鬼の妖気は恐ろしいが前回の生で出会った例の鬼に比べれば、まだ怖くない。あの鬼は一見大柄の男性に見えるのに、人ではありえない空気を纏っていて何も知らない自分でも「マズイ」と即座に逃げた、が見つかった。
怖いのに視線が惹かれる、見てしまう、というものを身をもって体験した。そして、後悔する。
あの時の震えあがるような、どうあがいても何をしても無駄なのだと絶望しか覚えない恐怖と比べれば、目の前の鬼のプレッシャーは数段以上落ちる。ましてや葛木に常に守られている。
葛木は万が一、億が一さえも起こさせない、と常に敵の視線が自分以外に行かないよう、そして広範囲の攻撃の場合には私たちの方に来ないように気を配ってくれているのが視線で分かる。その上でまだ余裕が感じられる動きをしていた。
「……本当に、強い」
ぽつりと思わずこぼれていた。
そして、鬼はチリとなって消えて、ようやく結界は解除された。葛木の長い髪はズタズタにされていたが、本人は無傷なようでホッとしていると、なんと髪を外した?!
ウィグだとは思っていなかった紗雪は目を丸くしていたが、現れた艶やかな黒髪に更に目を見開いてしまう。
「ふふ、紗雪さん、瞳を落としてしまうわ」
「み、美幸さん… 私、いかないと!!」
長身で黒髪で、赤ともオレンジとも言えない暖かな朝日の色を纏う大太刀を持つ男性。今代最強の護りて。
そう、あの色を見て、あの人だと思った間違いないと。でも、本当に本当に葛木さんだった!!歓喜が全身を揺り動かし、紗雪は駆け出していた。全身が、魂が探していた、何度となく葛木さんでは?と思いつつもあの色だけが足りてなくて確信に至らなかった。
紗雪はまだ解けていない物部謙の結界をするりと通り抜けて走り去って行った。
「紗雪さん?!」
「まあまあ、我が吾子の力はほんに心に左右されるのじゃのう」
「白藤!笑い事じゃないぞ!!そもそも、何故この結界を抜けられる?!」
「ほほほ、徹、大人げない。考えれば簡単な事、我が一族は時の流れと同調して先を視る。紗雪は更に相手に同調、共鳴して強化ができる。
ならば、同調する事で結界を抜けられることも自明であろう?」
「しかし!!」
「本人は無意識だしの、意識したら中々難しかろう。それよりも紗雪は全ての枷を取り払った葛木が間違いなく探し求めていた魂の片割れ、番、連理の枝、そう呼ばれるものだと自覚したのじゃ。あの必死さ、嬉しさが溢れる愛しい吾子を止められる訳がない…。
徹、あの子はずっと心底で不安だったのじゃ、また殺されるかもしれない未来、妾を失うかもしれない未来を恐れつつずっと向き合っていたのじゃ。そこにやっと見つけた救いであり、最愛になるかもしれない男を見つけた。それが憎からず思っていた男じゃ。
もっとも、あの男が紗雪を捕えたと言う方が正しいかもしれぬがのう。ほほほ、有希姫の一族は一途じゃからのう」
眉間に皺を寄せながら渋い顔をする卜部徹の横で水卜夏樹もまた渋い顔をしていたが、どちらもあの男から妹(娘)を離すのは無理だろうとげんなりしつつも認めるしかなかった。
一方葛木はようやく目的を達成して、我慢に我慢を重ねていた最愛の姿に自然と笑みが零れた。
ずっと自分だけのものにしたかった。
でも、強制はしたくなくて、紗雪自身に選んで欲しくて、その目に映りたくて足掻いていた。紗雪の未来予知を聞いて、その相方は自分だとほぼ確信しつつも不安もあった。
だから、力を見せつけて外堀から埋めるのは大賛成だった。
そして今、紗雪は嬉しそうに、でも少し照れくさそうに自分に向かって駆けて来ている。
それが何よりも嬉しくて、愛しくて、葛木もまた破顔して迎えた。
走っている勢いのままに飛び込んだ紗雪をそのまま抱きとめ、抱き上げると、文字通り鬼神の恐ろしさで戦っていた男とは思えない蕩ける笑顔を紗雪に向け、紗雪もまた真っ赤になりつつ笑顔が弾けた。
「やっぱり、葛木さんだったんですね…」
「ああ、紗雪の話を聞いた時に自分だと思ったよ。でも確信が無かった。
だから、自分の手で紗雪の隣りを勝ち取ろうと思ったんだ。まあ、余計なものまで釣れたが」
「あっ、お怪我は?」
「大したものはないさ、強いて言えば、暫くは女装は出来ないかな?
紗雪は女装のオレに会えないのは嫌か?」
「うーん、そうでもないかも?」
「そう?」
「だって、あの……葛木さん素敵だから、男装でも女装でも眼福で。
あ、でも、男装の葛木さんカッコイイからモテそう…」
「それなら良かった。やっと正々堂々と紗雪の隣りに立つ権利を得たからな。
よろしく」
「は、はいっっ」
正統派美人が獰猛に笑む破壊力抜群の笑顔に、そうでなくとも面食いの紗雪は一撃だった。
『清一郎、そろそろ紗雪をト部と白藤に返してやれ』
「うーん、まだ足りないんだけど」
『これからいくらでも時間はあるじゃろう!!』
「え、有希姫様?…っっ!!!
か、かつらぎさん、下ろしてくださぃ〜」
いつの間にか周りに大勢の人が集まっていたことにようやく気付いた紗雪は真っ赤になって抵抗するが、しっかりと抱きしめられてビクともしない葛木にバニックになるばかりだった。
もちろん、葛木は嬉しそうに「ええ〜」などとのたまいつつ、最終的に白藤が紗雪を回収するまで葛木は紗雪を堪能していた。
波乱万丈の武術大会から3日、紗雪は卜部の奥の社で禊をしていた。
身を清め、今日の正午ちょうどに葛木と魂の契りを交わすのだ。それは婚姻よりも深い繋がり、魂と魂を娶わせて絆を結ぶのだ。葛木もまた大会の直後から卜部本家の別の間にて同じく禊を行っていた。
お互いの魂が互いに混ざりやすいように、なるべく心身ともに平穏に、凪いだ状態を作り上げ、そして儀式に向かう。
卜部の奥の社の更に奥には、天然の湧き水によってできている小さな池がある。その池に葛木と紗雪は手を取り合って、そっと入る。池は冷たいものの、冷たすぎず仄かな温かみもある不思議な温度を感じつつ、紗雪の膝くらいまでの深さまで進んで行く。
2人の前には白藤が橋から見守っている。
紗雪はそっと葛木を見上げると、葛木は目元だけで微笑み、2人は重ねた手を差し出し白藤に向かい宣誓をした。
惶み惶みも白さく、
常磐に坐します天つ神 国つ神 八百万の神々の御前に、
謹み敬ひて申し上げ奉る。
僕 某、
今ここに、清き明き真心を以ちて、誓詞白さく、
我が魂、ただ一つの魂と結び固め、
相並びて歩まんことを願ひ奉る。
喜びも、憂ひも、光も、影も、
いかなる運命の流れにあふとも、
この絆、解かず、背かず、
久遠の時を共に越え行かんと、
真心を以ちて誓い申し上ぐ。
天つ御祖 国つ御祖の大前に、
この誓い、違ふことなからしめ給へと、
忌み慎みて、惶み惶みも白す。
紗雪と葛木に慈愛の満ちた目で見守りつつ、白藤は二人に盃を差し出す。葛木が盃を受け取ると、白藤はそっと透明な液体を盃の半分まで注ぐ。
「頂戴します」と言うと葛木は液体の1/3ほどを一気に飲み、紗雪に渡す。紗雪もまた「頂戴します」と言い飲むが、案の定度数の高い酒に喉が焼けるように熱い。それと共に何かが体を駆け抜ける衝撃に耐えつつ、盃を葛木に返し、葛木が飲み干した。
軽いめまいのような不安定さを感じつつも、不快ではないので紗雪はなんとか耐えて立っていた。
白藤は微笑むと儀式の終わり、2人の魂結びの寿ぎの祝詞を謡う。
惶み惶みも白さく、
天つ神 国つ神 八百万の神々の御前に、
謹みて申し上げ奉る。
今しも、清き明き御心のまにまに、
二つの魂、無事に結ばれ、
連理の枝のごとく相寄り、
比翼の鳥のごとく相添ひて、
久遠に栄えむ縁と成り給へり。
これ ひとへに、神々の広き御恵みと、
両御魂の真の結びの証なれば、
謹みて寿ぎ申し上げ奉る。
願わくは、この結び、末永く固まりて、
世々に平らけく、栄え給へと、
忌み慎みて、惶み惶みも白す。
文字通り歌のように、流れるように高く低く奏でる白藤の声がその場に響き渡る。
白藤の声と共に紗雪の中で暴れる何かは徐々に落ち着いて、葛木に支えられながら無事に儀式は終わった。ホッと息をつくと共に視線を上げると紗雪の視界は一変していた。
目の前の白藤から登る薄紫の淡いオーラとしか表現できないものがこの奥社全体を囲んで、文字通り母に守られていた。そして自分の身体からは白に薄っすら氷のような淡い蒼が混ざるオーラに、緋色よりも橙に近い「紅」が彩るように混ざっていて、それは紗雪と葛木を取り巻いていた。
「これが、魂結び」
「そうじゃ、おめでとう紗雪。愛しい愛しい吾子」
「かかさま…!」
「清一郎、この子を守っておくれ。その時が来たら妾の全てをそなたに渡そう」
「かかさまっ」
ぎょっとして焦る紗雪の手をそっと握って、葛木は強い目で白藤と向き合う。
「白藤の母上、そんなことをしなくても紗雪はオレの命だ。それよりも、永久にオレたちを見守って欲しい」
「そうかえ?妾はもう十分生きたのじゃが、吾子は泣き虫でのう。まだまだ手放せないのう」
「その通りです!かかさまにやっと会えたんですから、もっと一緒に居てください!」
そんな温かな一時、これが当面許される最後のゆったりとできる時間だと誰もが分かっていた。
ここからは時間の勝負、決戦の時までにどこまで準備が出来るか、だ。
そして、その時を今か今かと待ちかねている存在もまた、悲願を叶えるその時に向けて爪を研ぎ続けていた。
「……ふっ、ふふふふふ、長かった。だが…!」
不穏な哄笑が響き渡るが、応えるものはいない。
読んでいただきありがとうございます。
やっとここで1章完結です。
現在2章のプロットを練り直しているので、なるべく早くまた連載再開できるように準備します。