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人の記憶を喰った魚の話

お盆、それは帰省の季節だ。


そしてそれは『僕』が苦手なイベントでもある。


土地柄、お盆には親戚筋が集まって毎年のように大宴会を開くのだ。

一昨年と去年は何かしら理由をつけて断れたが、今年はそうも行かなかった。



始まった途端に酒席に飛び交う杯とつまみ。

酔っ払いの笑い声、下世話な話。


そこから逃げるように飛び出してきた『僕』は――


 小学生のころ通っていた通学路を二十年ぶりに歩いた。

 

 お盆で実家に帰省した僕は、酒に酔った親戚連中のめんどくさい絡みから少しの間だけでも抜けたかったのだ。

 無理やり付き合わされた酒を抜きたかったというのもある。

 

「こうして歩くと、意外と変わってるもんだな」

 土が剥き出しだった道路は舗装され、用水路には蓋が掛かっている。

 友達と登校中にカエルを捕まえた田んぼは、今は誰かの家に変わっていた。


 

 子供の足で四十分ほどかかっていた通学路は、二十分で小学校まで着いた。

 「小学校は変わらない……わけじゃないな」

 昔より少し小さく見える小学校の校舎は、木々が大きく育っている気がした。

 それに記憶にあるより、少し壁面の塗装も剥げている気がする。

 あの当時からボロかった体育館は建て替えたのだろう。体育館だけが場違いに綺麗だ。


「ええっと、確かあのあたりの壁にようちゃんがサッカーボールで傷つけた跡が……流石にないか」

 僕が懐かしさを覚えつつ校舎を見上げていると、スマホから通知音。

 母からだ。


『いつ戻ってくるの?』

 二度目の催促のメッセージにゲンナリしつつ『今帰ります』のスタンプで返す。

 すぐに既読がついたメッセージの下に、『早く帰って父さん達の相手をしてちょうだい』と文字が送られてきた。


 

「めんどくさいな」

 嘆息しつつ家へ帰ろうとしてふと思いついた。

 どうせなら小学生の時に使っていた秘密の下校路で帰ってみようと。

 どうせ早く帰っても遅く帰っても面倒な酔っ払い達の相手をさせられるのには変わらない。

 どうせなら、少しだけでも気分晴れやかに帰りたいのだ。




 

 もちろん秘密の下校路を全部使って帰るのは無理だろう。

 住宅地に変わってしまった田んぼも多い上、用水路はコンクリートで舗装され、昔みたいに簡単に降りたり登ったりできるようになっているわけじゃない。

 だけど、昔ようちゃんと探検と称して走り回った思い出深い秘密の下校路だ。

 今はどうなっているか、二人で隠した宝物は残っているのか? 興味は尽きない。

 

 せっかく帰ってきた実家での面倒な行事にささくれていた僕の心に、子供のような冒険心が湧き上がってきた。





 



 ――――

 

「よっと……ホントよくこんな所を通っていたな……」

 一メートルほどの用水路を飛び越え、土塀と土塀の細い隙間を通り抜ける。

 苔むして、じめっとした通路には二十年ものの錆びた空き缶が転がっていた。


「ええっと、ここを抜けたら田んぼの畦を渡って、神社の裏手の椿を潜り抜ける。その後は用水路に降りたんだっけ?」

 懐かしい記憶と照らし合わせながら歩きにくい道とも呼べぬ道を歩いていく。

 無茶、無鉄砲が常の小学生とはいえ、よくこんな道を通ったものだ。


 

 幾つかは変わってしまった景色を嘆きつつ、宝物を隠した神社を通り過ぎたところで僕は足を止めた。

「あー、ここも。……まぁ、そうだよねぇ」

 ここの用水路も記憶にあるような、昔ながらの壁面を石積みされた用水路ではなくなっていた。

 しっかりと壁面をコンクリートで埋め固められ、降りたら二度と登ってこれなさそうだ。


「仕方ない……道なりに歩くか」

 夏の日差しの中を用水路に沿って歩く。

 時折、ぱしゃんと大きく水が跳ねる音がするから今でもこの用水路には大魚が住んでいるのだろう。

 コイかフナか、はたまたライギョか。


 そういえば小学生の頃、ようちゃんがここの用水路で捕まえたライギョに指を喰われたかけたな。

 と昔を懐かしみながら路地を曲がると、一軒の古い店に出くわした。


 


「あれ? この店って……」

 確か子供達の間で妖怪ババアとか呼ばれていた老女が店主をしている魚屋だ。

 魚屋といっても食べる方の魚屋じゃない。

 観賞魚などを扱っている方の魚屋だ。

 


 木造民家と屋根続きの古い店構え。

 正面のくすんだ擦りガラスの扉に貼られた、いつのものかも分からない演劇のポスター。

 植えられた木々は好き放題に枝を伸ばして、看板を完全に覆い隠している。


 町はあちこち変わっているのに、この店だけは記憶の中の店構えと全く同じだ。

 僕は思わず笑いそうになった。

 今度、ようちゃんに会ったら話してやろう。妖怪ババアの店は昔と変わらず全く同じだったと。

 


 「流石に、店は閉まってるだろうな」

 そう言いつつ僕が磨りガラスの扉に手を掛けると、扉はカラカラと音を立ててすんなりと開いてしまった。


 店内の少し埃っぽい空気に混じり、ホームセンターの熱帯魚コーナーのような独特な匂い。

 色褪せた棚には水槽が並べられ、色とりどりの魚が泳いでいるのが見えた。

 ヴン、と濾過装置に取り付けられた小さなポンプの音に混じって水が落ちる音。


 そうだ。そういえばここはこんな店だった。

 ようちゃんと肝試し代わりに覗きにきた時を思い出して、僕はすごく懐かしい気持ちになった。



 

「いらっしゃい」

 誰も居ないと思っていたのに、すぐ横合いから声を掛けられて僕がバッと振り向くと、そこにはレジ台に座る女の人が一人。

 黒地に白で魚の鱗のような紋様が入った着物を着た女だ。

 手には文庫本。タイトルは分からないが古い小説だろう。ページの四隅が黄ばんでいる。


「入るなら入ってくれる? せっかく冷やした空気が逃げちゃうから」

「あ、すいません」

 慌ててガラス戸を閉める。

 外の茹だるような熱気がシャットアウトされ、かわりに冷房の効いた空気が肌をなでていく。

 その心地よさに僕は大きく息を吸って肺の中の空気を入れ替えると、パタパタとTシャツの裾をはためかせて服の中に風を取り入れる。


「帰省かい?」

「あ、はい。そうです」

 着物の店員はふうんと相槌を打つと、手元の本に視線を落とした。

 細く白い手がぱらりとページを捲る。

 その所作がすごく綺麗で、僕はドキリとした。



 



 


 ――――


 あの女の人は誰なのだろう。

 僕は適当な棚の間に入り、水槽の中の魚を見るふりをしながら考える。

 年齢的には僕よりも少し年下。

 妖怪ババアの孫あたりがこの店を継いだのだろうか。

  

 その辺りのことをちょっと聞いてみたい気もあるが、少し憚られる。

 僕はそう初対面の女性にガツガツいけるタイプじゃあない。


 


「それが気になるのかい?」

「うわっ」

 またしても唐突に横合いからかけられた声に、僕は飛び上がるようにして驚いた。

 今の今まで考えていた女の人がすぐ横にいたのだから、無理もない。


「ど、どうかしました?」

 僕が高鳴る心臓を押さえつつ聞き返すと、女の人は僕の目の前にある水槽を指差した。

 なみなみの縁がついた、昔からあるようなまあるいガラス鉢だ。中には小さな赤い魚が一匹。ゆっくりと鉢の中を泳ぎ回っている。


 

「それ。さっきからずっと見てるからね。気になるのかい?」

「そ、そうですね」

 咄嗟に思ってもいないことを口にする。

 すると女の人は口を吊り上げるようにして笑うと「そうかそうか」と言った。


「この魚は特別でね。どうだい? かわいいだろう?」

 ……かわいいのだろうか。

 僕は改めてまじまじとその魚を見るが、どこにでもいるような普通の魚にしか見えない。

 ましてや僕は魚なんて飼ったことがなく、今の今まで大半の魚を食用としか認識していなかったのだから、余計に可愛さのポイントが分からない。

 


「そ、そうですね……あ、特別って言ってましたけど。これ、珍しいとかですか?」

「ああ。世界で数匹といない」

「いっ!?」

 これは天然記念物とか、絶滅危惧種とかそういうのだったのか?

 そんなのが店先に並んでいて良いのか? とか様々な考えがぐるりと頭よぎる。

 それを見透かしたように女の人は笑った。


「これは君が考えているような天然記念物や、絶滅危惧種とかではないよ。これは、そういう特別じゃない」

「そういう特別じゃない?」

 じゃあ何が特別なのだろうか。

 僕はガラス鉢に顔を近づけて、よくよく魚を観察してみた。


 


 まるで金魚のような魚だ。

 大きさは数センチ。夏祭りの金魚掬いで救ってくるような普通の金魚。

 ただ、その体の赤さは紅とでも表現すべき濃い赤だ。

 その上、鱗を縁取るように所々金色の筋の様な模様が入っている。

 

 そして尾鰭は金魚に比べてとても長い。体長のおよそ半分はあるかもしれない。

 魚の泳ぎに合わせてゆらめく度にキラキラと光っているような錯覚を受ける。

 この魚を一言で評するなら、とても綺麗な魚だ。

 


 

「……あ、あれだ。品評会みたいなので一位を取った魚ですか?」

「残念。ハズレ」

 思い至った答えを女の人に告げてみるもすぐさま否定された。

 結構自信があった答えだけに、こうもすぐ否定されるのは面白くない。


 僕は思いつく限りの答えを並べ立てた。

「いろいろ掛け合わせた結果生まれた、突然変異種」

「ハズレ」


「めっちゃ長生きしている、古代魚的な魚」

「ハズレ」


「オスでもメスでもない魚」

「ハズレ」


「……店員さんが名前をつけて大事に飼っている魚」

「大事にはしているけど、そういう特別とも違うねぇ」

 全てハズレ。僕が他に何があるかと悩んでいると、女の人がカラカラと笑った。

 


「これは、人の記憶を喰った魚だよ」

「え?」

「人の記憶を喰った魚、略して人魚だ」

「人魚?」

 僕の脳内を上半身が人形、下半身が魚のマーメイドが泳いでいく。すぐさまその妄想を頭を振って打ち消した。


 オカルト的なあれか? それとも女の人が妄想癖のやばい人だった? いや、もしかして普通に馬鹿にされている?

 僕が考え込んでいると、女の人は信じていないなと笑った。



 

「まぁ、百聞は一見にしかず、だ。ほら」

 そう言って女の人は紅い魚が入ったガラス鉢を棚から下ろしてくると、僕の方へ差し出した。


「え?」

 思わずそれを受け取った僕が困惑していると、女の人がガラス鉢の中に顔を突っ込むように言った。


「……マジですか?」

「マジだよ」

「……顔突っ込んで、何が分かるんですか?」

「それが特別で、人魚だと言うことが。ああ、顔を突っ込んでも目は閉じないでくれ」

 ……まさか顔を近づけたら頭を叩かれて水面にドボンみたいなドッキリをしかけるつもり、だったりするのだろうか?


 


 

 女の人に呆れた目で否定を食らった僕は、ちょっと躊躇いつつも顔をガラス鉢に近づけた。

 紅い魚は顔を近づける僕を知ってか知らずか呑気に泳ぎ回っている。

 

 ガラス鉢の中の水は清潔に保たれているのか、魚が入った水槽特有の生臭い匂いなどは一切無い。

 チラリと女の人を見上げると、ぐっと行け。とのありがたいお言葉。


 少しだけ迷った僕だったが、息を止めると一息にガラス鉢の中に顔を突っ込んだ。



 水中特有のぼやけた視界。鉢の底を通して見える朧げに歪んだ自分の足。

 何度か瞬きしていると、目の前をゆるりと紅い魚が横切った。


 ……何も起きない。

 しかしこれが人の記憶を喰った魚?

 

 やっぱり、僕は女の人に騙されたのだろう。

 彼女はまんまと騙されて鉢に顔を突っ込んだ間抜けな僕を笑っているに違いない。


 そう思った時だった。


 

 先程までゆったり泳いでいた紅い魚が急遽方向転換。

 凄まじい勢いで僕の目に向かって飛び込んできたのだ。


 驚いて思わず目を瞑った僕の顔面に、カッと焼けるような光が差した。





 

 

 

 ――――

 

「演奏者十二番。曲は、メロア・サリバンの王宮演舞曲第二集より第三曲、ワルツです」

 空間に響き渡るように聞こえる女性の声。

 僕が目を開けると、目の前の暗闇に動く人影と眩しく自分を照らすスポットライト。

 目を凝らして暗闇を見渡すと、その暗闇が照明の落とされたコンサートホールの観客席であることが分かる。



 客席には綺麗なドレスを着た女、少し堅苦しそうなスーツの男、老夫婦、しきりに顎を触る壮年の男、神経質そうに腕を組んだ年輩の女、様々な人がまばらに座っていた。

 時折カシャっと聞こえる方向に目を向けると、スーツにカメラを構えた人影、腕章から察するにおそらく記者だろう。


 

 さながら暑いと思えるようなスポットライトの中、二歩下がると僕はそこにあった椅子に腰掛ける。

 目の前にあるのは音楽室でしか見たことがないグランドピアノだ。

 天板が観客席に向かって開けられ、見たこともないグランドピアノの中身が開放されている。


 そのグランドピアノの鍵盤にゆっくりと置かれた華奢な自分の手を見て、僕は愕然とした。


 これは僕の手じゃあない。

 そもそもなぜ僕はコンサートホールにいるんだ?


 

 疑問に答えてくれる人は誰もいない。

 狼狽している僕とは無関係に、僕の手が勝手に曲を奏で始めた。




 ……激しい曲だ。

 目まぐるしく右手が主旋律を叩き、力強く和音を奏でる左手が演奏に深みを添える。

 どういう曲なのか僕には分からないけれど、とても難しそうな曲であることは分かる。

 そして汗が浮かぶほどに大変な曲であることも。


 ふと、演奏の間にピアノの鍵盤蓋に映る自分の姿を見て、僕は確信した。

 

 これは誰かの記憶だ。

 青いドレスに身を包み、口元を引き結んで真剣な眼差しでピアノを弾く彼女の記憶だ。

 

 歳の頃は中学か高校か。

 若いながらも時に優しく滑らかに、時に激しく鮮やかにピアノを弾く彼女の演奏に僕は圧倒された。




 

 全身全霊を込めたと思われる彼女の演奏は、長かったのか短かったのか。

 彼女が跳ね上げた指をそのままに、ホールへ余韻が消えていく。

 

 沸き上がる観客たちの拍手の中、ゆっくりと壇上から一礼をした彼女はキリッとした足取りで舞台袖へと戻り、そこで大きく息を吐いた。

 彼女の刺々しい心情がなぜか僕にも分かる。

 やり切った。悔しい。思い通り弾けなかった。あそこでタッチをミスらなければ――

 


 

「良かったよ」

 彼女にそう声をかけてきたのは彼女のピアノの先生だろう。

「先生……」と小さく答えた彼女が、嵐のように波打つ内面を押し隠して何でもない顔を作り、小さく舌を出したのがわかった。

「失敗しちゃった」

 戯けたような仕草で笑う彼女に、先生が呆れたように息を吐く。

 

「全く。君はいつもそうだな……結果発表はすぐだ。早く観客席へ行きなさい」

「はーい」

 彼女はぐっと手のひらを強く握り込んだまま顔を伏せると、足早に先生の横を通り過ぎて舞台袖を後にした。

 


 

 

 舞台と観客席を繋ぐだけの誰もいない殺風景な廊下。

 ホールからの音も聞こえないシンとした空間で、コツコツと一定のリズムで歩んでいた彼女のヒールの音が止まった。

 その勢いで彼女の目に溜まった水膜が揺れて、溢れ出た幾つかが頬を伝い、床に溢れる。

 

 「ホント、マジ最悪……あんなとこでミスとか……うまくいってたのに、なんで今日に限って……マジ、ふざけんな……」

 ぐっと強く握った拳、小さく震える声。

 彼女は目元を拭うこともなく、ただ佇んでいる。

 

 彼女の心中に渦巻く、激情とも呼ぶべき彼女の感情が息苦しくて、僕は思わず水中で空気を求めるように喘いだ。


 





 

 ――――

 

「ッは! はぁ、はぁ」

 空気を求め、僕は口を開けて何度も呼吸を繰り返す。

 ポタポタと顔面から垂れるガラス鉢の水。

 寒いほど効いた空調、微かな濾過装置のポンプの音。

 ここはあの店内だ。


「戻ってきた、のか?」

 思わず自分の手を確認する。

 先程までの華奢な女の手では無い。見慣れた自分の手だ。

「やぁ、どうだったかい?」

 その声の方を見ると、黒い着物の女の人が三日月のような笑みを浮かべていた。


「どうって……さっきのはなんなんですか?」

「誰かの記憶だよ。どんなのが見えたのかい?」

「コンサート、いやコンクールでピアノを弾く女の子……あれが誰かの記憶?」

「そう。彼女の見たもの、音も感覚も感情も全て見ることができただろう?」

「ええ」

 

「それが、その魚が特別である証だね。その魚は、人の記憶を喰って他人に見せることができるのさ。ね、特別だろう?」

「……そうですね」

 そんなことができる魚など聞いたことがない。

 いや、魚どころかそんな事ができる生き物がいる事すら、聞いたことがない。



 もしかして、世紀の大発見だったりするのだろうか?

 ガラス鉢を棚に返して女の人から手渡されたタオルで顔を拭いた僕は、ふと気になったことを女の人に尋ねてみた。

「この魚、値段書いてませんけど、いくら位するんですか?」

「残念だけど、売り物じゃあないんだ」

「そうですか……」

 これだけすごい魚なら、値段をつければさぞ良いお値段になるのだろう。




 

 僕が顔を拭き終わると、タイミングよく僕のスマホがブルリと震えた。

 親父からメッセージだ。『なんか酒のつまみ買ってきてくれ』

 げ、めんどくさい。

 

 

『ついでに面白い話も考えとけ』

 続いて送られてきた意味の分からないメッセージに、素直に帰る気がかなり失せてしまった僕だが、親父からの怒涛のスタンプ連打に『分かった』とだけ返して通知を切る。


 帰りにコンビニでも寄って帰ろう。

 頼まれたツマミと、自分用にお菓子を幾つか。



 


「そろそろお暇します。早く帰ってこいって言われてるんで」

「ん、そうかい」

 しかし、意外な収穫はあった。

 人の記憶を喰った魚か。ようちゃんに話してあげようと思ったが、宴席にはもってこいの話だ。

 帰ったらコレを親父達に面白い話として聞かせてやろう。



 僕が女の人に礼を言って店を後にしようとした時、「あ、そうそう」と女の人に呼び止められた。

「なんです?」

「ちょっと、こっちを向いてしゃがんでくれないか?」

「こうですか?」


 女の人は何をするのだろうと訝しむ僕の頭に手を添えると、僕を見上げて目を合わせた。

 僕の心臓が高鳴る。キスでもされるのか?

 そう思った時、女の人の顔が急激に近づいてくるのが見えて、僕は思わず目を瞑った。






 


 ――――

 

「あっつ、溶ける……」

 焼けるような日差しの中、家に帰ってきた僕は酔っ払い達に盛大に出迎えられた。

 

「よ、待ってました!」となぜか囃し立てられる中、酔っ払った親戚連中にコンビニの袋をもぎ取られて、買ってきたお菓子が次々と封を切られていく。


 さ、さ、さ! と勢いのままに、なぜかお誕生日席に座らされてビールを持たされた僕は、すぐ近くに座る親父にこそっと尋ねた。

「みんな、なんでこんなに盛り上がってんの?」

「そりゃお前、面白い話をした奴には全員からご祝儀。滑った奴には罰ゲームが待ってるからな」

 親父は宴会が始まった当初から誰も食べたがらずに放置されていた激辛スナックを揺らして笑った。


「さ、最後はお前の番だぞ。ちゃんと面白い話を考えてきたか?」

「ええ……何それ。なんのことさ? ていうか、僕が後で食おうと思って買ってきたお菓子、勝手に開けられてるし……」

「ああ? 何をぶつくさと。ちゃあんと考えてこいってメッセージも送ったろ?

 さ! トリは俺の息子の絶対に滑らない面白い話だ! いよっ! 待ってました!」

 

 示し合わせたように拍手が始まり、やんややんやと囃し立てる酔っ払い連中に辟易しながら、僕はなんとかこの場を切り抜けられる面白い話はないかと、必死に頭を回し始めた。

 




 


 

 ――――

 

「お腹いっぱいかい?」

 かすかに濾過装置のポンプの音が鳴り響く店内で、黒地に白で魚の鱗のような紋様が入った着物を着た女は、先ほどより腹の膨れた紅色の魚に話しかけていた。


「へぇ、小学生の頃の下校の記憶か。それは珍しく楽しげな記憶を選んだね。

 え? そうでもないのかい。

 ハハ、大半が用水路に落ちて泣いてる記憶だって?


 そりゃ、随分酸っぱかっただろう。しかし、お前はそういうのばかり好むねぇ。


 

 うちも久しぶりに堪能したわ。

 帰省して懐かしの思い出に浸る記憶だ。まるで故郷の母親が作る苦味の強い和え物みたいな味だねぇ。


 ん? そりゃ美味いからに決まってる。この味は大人になったらわかる味さ。

 アンタも大人になったら探して食べてみると良い」


 

 女の着物の裾から覗く尾鰭が、ゆらりと揺れた。

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