表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

無能な私が転生したら有能喫茶メイドになっていた

作者: 月猫百歩

 いつものドジで会社の階段を踏み外した。

 視界が大きく回った後、頭にすごい衝撃があって、温かいものがじんわり頭から流れていくのが分かった時には、視界は暗転していた。


 ああ、私は死んでいくんだ。

 しかもいつものドジで。


 幼い頃から運動音痴で徒競走はいつもビリ。跳び箱は4段も飛べず縄跳びは10秒も持たない。

 リコーダーもろくに吹けず、国語算数理科社会ぜんぶ努力しましょうのマークばかりの成績表。忘れ物は毎日で同級生や先生に呆れられたり馬鹿にされるなんて当たり前。


 それは改善される事なく高校生になってまで続いて、呆れた親に働けといわれ、すぐに中小企業に勤めるもそこでもドジばかりだった。


 そんな底無しに無能な私が目を覚ますと、大きな鏡の前にいて。

 鏡に映っていたのは私の代わりに、気味が悪いくらい綺麗なビスクドールがレースのついた白黒のメイド服を着て澄まし顔で立っていた。


 これはなんなの? 私は階段から落ちたはず。

 という事は夢でも見ているのかしら。


 鏡に近づいてもビスクドールは動かない。それに妙なことに鏡に触れようと伸ばしたはずの腕が動かないし、視界の中に映らない。

 改めて自分の全身を見下ろすと何もなく、暗い闇が広がっていた。


「まあ一応すぐ直しますけどね、他のを買った方が良いと思いますよ」


 軋んだ音と共に突然光が広がった。辺りに伸びた影と浮かび上がった部屋の床が見えて、物置なんだと瞬時に悟る。そして光の元に二つの影が部屋へ伸びていた。


「今なら最新式の魔ドールがたったのこの金額! 時代遅れで古ぼけた魔ドールよりずっと役に立ちますよ?」


「……これをやる。早く直せ。でないと他の業者に任せる」


 媚びた声音に重いしゃがれた声が冷たく返す。直後にたじろいだ気配と複数のコインが重なる音がした。


「わ、分かりましたよ。ただ直しますけど古い機種なんで、多少のガタは覚悟して下さいね」


 声の主はブツブツ文句を言いながらビスクドールに近づいた。

 その姿は人間ではなかった。


 え!? なんなのこの、ひと? 仮装……してる? でもそれにしてはなんだか凄いリアル……


 大きなゴーグルみたいな両眼に黒い羽根がフードから溢れていて、鉄みたいな大きなクチバシを持っている上に体は細い。それに背中には黒い小さな翼が生えて、尾羽がコートの切り込みから見えている。


「これは古いからなあー。面倒なんだよなぁ。本体に異常は無いみたいだけど。なんだかなぁ」


 やる気のない声とは裏腹に、伸びた細長い指と爪はビスクドールを入念にチェックしていく。しゃがむとコートの裾からは骨の様に細い足と、骨ばって小さな鉤爪のついた足先が見えた。


 待ってどうなってるの? この人はなんなの?

 ていうか私はどこに来てしまったの? もしかして死んじゃって変な世界に魂だけ迷い込んだとか?


「新しいドールのほうが絶対に良いのに。この機種は誤作動が多いからそんなに多くないタイプだし……」


 それにやっぱりこの人、全然私の事気付いてない! こんなに近くにいるのに素通りして!

 しかもやっぱり私、体が無い! さっきの鏡にも映らなかったし! やっぱり私階段から落ちて死んじゃったんだわ! それで幽霊か何かになったんだわ!


 泣きたい想いに駆られて辺りをふらふらと彷徨うけど、涙も出なければ顔を覆うことも出来ないし、そもそも今は覆う顔がない。


 ……はぁ。色んな人に迷惑をかけた人生だったな。

 それこそ生きてて意味なんて無い人生だった気がする。ドジだし取り柄なんてないし、迷惑掛けてばっかりだった。


 両親からも兄弟からも親戚の人からも。

 学校でも居場所なんてなかったし、私が班に入ると皆んなため息ついて嫌がっていた。私が班に入ると発表でも試合でも足引っ張って順位がさがるか、最悪ビリになっていた。

 テストがある時は必ずひどい点数をとって泣いて帰ってた。


 高校はお金を出せばどうにか入れてくれる私立学校の商業科に入ったけど、そこでも変わらず無能な私を、家族はいつの間にか見なくなっていた。


 高校卒業後、就職活動は何百社と落ちて、それでも人手不足だからとどうにかお情けで雇って貰えた会社に入社することができたけど、結局物覚えが悪く、どう頑張っても職場の人や取引先の人の名前と顔が覚えられない私は、直ぐに学校と同じく一人ぼっちになった。

 簡単なパソコンの入力ミスが多く書類整理も満足に出来なかったし、電話対応もうまく話せなかった。


 様々なことを何回練習しても上達することはなかったし、その内なにを練習すれば良いのか、なにを努力すれば良いのか分からなくなった。


 そんな無能な私があの日、会社の階段を踏み外してあんな高い所から落ちたのだ。

 会社からしたらさぞ迷惑な事だっただろう。後処理とか大変だろうし。


 今思い返しても、私……もうこんな人生、もう嫌。

 ……私の人生……終わるなら早く、終わって欲しい。こんな知らない所で彷徨っていないで早くあの世にでも——



「よし! 早いとこ終わらせよう!」


 驚いて意識を声の主に向けると、ずっとビスクドールを点検していた鳥の様な人が、魔法使いの杖みたいな長い棒をいつの間にか取り出し、地面に立たせていた。


「無いなら手頃な魂を入れますか!」


 ガツンと床を鳴らした途端、光の文字が杖の先から溢れ出て部屋中を埋め尽くした。

 星空の津波の様に辺りが暗く眩く輝いて視界を覆っていった。


「さあ来い、周囲に彷徨う魂よ。この魔導士のドールに入って生を抱け! でないと俺の今日の駄賃が貰えない! さぁ!」


 声高に聞こえた呪文の様な言葉を聞いて、あっという間に私の意識は消えてどこかに吸い込まれていった。




 視界が暗い。なんだか妙な感じがする。

 こう、なんだかぎこちないというか、関節が軋むというか。全身が硬い。


「ダンナぁ〜。直りましたよー。ほら動きますよ」


 パチリと瞬きした。視界は明るくなっていつもの自分の目線より若干高く感じる。

 もう一度瞬きすると、大きな鏡に映る先程のビスクドールが天井の照明に照らされ立っていた。


 本当に綺麗なお人形……


 さっきは暗くてよく見えなかったけれど、綺麗な瞳。青緑色の宝石みたいな眼をしている。

 それに褐色のふんわりとした光沢のあるロングヘアー。波打つそれはとても艶やかでまるで本物の髪みたい。

 あとこの透き通る肌。まさに陶器の様な肌で、シミも肌荒れもない綺麗な薄いクリーム色をしている。人形なんだから当たり前だけど、毛穴もないし産毛もない完璧な美肌。

 シンプルな白黒のメイド服を着ているけど、まったく見劣りしない。


 それにしてもなんで私ビスクドールと鏡の前にいるんだろう。さっきまでは部屋の端っこに居たのに。


「直ったのか?」


 聞こえた老人の声に思わず振り返った。

 途端に顔に掛かる褐色の艶髪。揺れる視界に軋む関節。動く指先の感触と床を踏む足先の感覚。


 あ、あれ? なんか変……


「はいご覧の通りです」

 

 視線の先には鳥の人と、扉に立つ深くフードを被った体格の良い人物が一人。真っ白な雲を連想させる髭を溢れさせ、古びた枯れ草の様な色をしたマントに身を包んでいた。


たま入れをしたんでしっかり動きますよ。働き具合はどうか分かりませんがね。なんせ古い機種ですから」


 え? ちょっと待って? これって何? どういうことなの?


 ガバリと振り返って鏡に張り付く。

 鼻先に映るのはさっき見た青緑の宝石みたいな瞳に白い肌。小顔に掛かる栗色の髪にほんのり色付いたピンク色の口元。


 腕を動かして顔に触れると、鏡の中の人間も同じように顔に触れる。髪を触ってもそう、目元をなぞってもそう。これはやっぱり……


 間違いない。私、このビスクドールの中に入っちゃってるんだわー!?


「なんでか知りませんが最後の仕上げがされていなかったわけですよ。でも今きっちり仕上げたんで問題ないです」


「うむ。それなら構わん」


 嫌よちょっと待ってー! 話を勝手に進めないでー!


 振り返るも体は勝手にかしこまる姿勢をとり、これ以上動いてくれない。振り返るのは出来るのに、なんで他の動作はできないの!?

 しかも声出ない!


「それでは私はこれにて失礼します。今後もどうぞ御贔屓によろしくお願いします。ああそうそう、キッサテンとやらが上手くいくと良いですね」


 ではと言って鳥の人は部屋から出て行った。

 部屋で体格の良い大柄な老人と二人きり。緊張のあまり震えが止まらなくなり、カタカタ全身から音が鳴った。


「お前さんは先ほど動いたばかりだろうから分からんだろうが、ここは昔わしのばあさんが営んでいた店だったんだ。だがばあさんは今は行方不明でな。今は閉まっているが、お前と共に店を切り盛りして旅の飛空魔導士達からばあさんの手掛かりを集めるつもりだ」


「飛空魔導師?」


 思わず声で尋ねてしまったけど、声出るんだ。それなら他にも話をしないと! 

 そう思ってもう一度声を出そうとするけれどカクカクと小刻みに顎が動くだけで声は出なかった。


「飛空魔導師は先程の奴みたいな者だ。杖で自在に空中を飛び回り、得意な魔術を使って仕事をしている」


 淡々と告げた老人は近づくなりマントの下から何か古びた紙を取り出すと、私の目の前に差し出した。


「それではまず、これを作ってみろ」


 紙の中央にうっすらとなにかの絵が描かれている。

 これは……コーヒーとパンケーキ?


「店を始めるのに料理が作れなくては意味がない。わしは席にいる。今から調理して持ってこい。厨房の物は好きに使え」


 え!? 待ってー! 私料理出来ない! 目玉焼きだって焦がすくらいなのにパンケーキとか無理いぃ! 頑張って炊飯器で白米炊けるくらいなのにぃい!


「かしこまりました」


 私の口元から機械的な口調の声がした。

 ていうか喋れるの?! しかも勝手にかしこまらないでぇー!


「厨房はここを出て右だ。直ぐに取り掛かれ」


 私の絶叫とは裏腹にビスクドールは優雅なお辞儀をして老人の背中を見送った。



 しばらくして何かの縛りでも解けたかのように体が自由に動かせるようになった。

 ど、どうしよう。無能な私が料理なんて出来るわけがない。過去今まででまともに上手く出来たことなんて一度もないし、とてもじゃないけれど人様に食べてもらえるものなんて。

 でもここで立ってても仕方ないし……とにかく厨房に行けばいいのかしら。あの人が戻ってきて怒られたら嫌だもの。

 

 諦めて部屋を出て右へ真っ直ぐに進む。木枠で囲まれた入口に入るとそこはレンガ造りの厨房だった。

 壁に並んだフライパンに鍋、メジャーカップにお玉とフライ返し。そして不規則に並んだカラフルな調味料の列。

 部屋の中央には木で出来た細長いテーブルがあり、果物や野菜や卵が置かれていて、測量機やまな板包丁、ボウルにカップも綺麗に揃っていた。


 本格的な洋風な厨房だけど、私かまどなんて使い方分からないし、火は熱くて苦手だからコンロの弱火とかじゃないと使えない。私が使えそうなものなんて一つもない。


 何気なく窓を眺めると外は雪で覆われて真っ白く吹雪いている。かまどには火が入っていてオレンジ色の光が揺れていた。

 奥の方に扉があってそこを覗くと白いもやが足下を通り抜けて消えた。中はハムやバター、大小のミルク缶があり、部屋そのものが保冷する場所のようだった。


 えーっとまずはホットケーキのもとを探さないと。あとは卵とか牛乳で良いんだっけ。

 中に入って材料を探す。取り敢えず卵と牛乳。ホットケーキミックスはどこにあるんだろう。

 あれ? そもそもホットケーキとパンケーキってどう違うんだろう。それにコーヒーってお湯で溶かすタイプしか知らないけどそれで良いの?


 あの怖そうなおじいさんから本格的なの要求されたらどうしよう。お店を切り盛りするって言っていたから家で作るような奴じゃなくてちゃんとした物じゃないといけなそうだし。 

 本格的なコーヒーとパンケーキって言ったらやっぱり、こう……


 なんかカフェのカウンターで渋いマスターが理科の実験で使う器具みたいなの使って高価そうなコーヒー豆を使ったホットコーヒーとか、可愛いメイドが持ってくる厚みのあるパンケーキに生クリームとかチョコレートソースとかでデコレーションした、果物をたっぷり使ってるふわふわのパンケーキとか。

 ……そ、そんな感じ?


 いやー! そんなの絶対に絶対に出来ない!

 だれか助けてー!


 そう思った時、体がガクッと動き突然私の意志とは関係なく素早く動き出した。

 卵とバターと牛乳を抱えて厨房に戻ると机の上に並べ、私が気づかなかった壁際の袋を抱えると机のそばに置き、厨房のあちこちから器具や材料を集め始めた。


 は、早い! でもまったく乱暴じゃなくて、卵も割れないしカップも欠けない。道具や材料の場所まで知ってるように動いているみたいだしどうなってるの? ていうか早すぎて目が回るー!


 中で悲鳴をあげている私をよそにビスクドールの身体はスピード、丁寧さを落とすことなく動き回りそのまま休まず調理に入った。


 長く白い手は測りを使うことなく各種の粉をカップですくい上げてふるいに掛けたり、ボウルにそのまま入れたりして、卵牛乳いつの間にか溶けていたバターを入れてカシャカシャとかき混ぜ、気付けばパンケーキのたねだと思うものを作り上げていた。

 それをかまどに持っていけばいつの間にかフラスコの様な物がお湯を沸かしており、フライパンも熱せられている。


 なにもかも手際が良すぎる! 私がとろいだけでこれが普通なの? いやそんな事ない、絶対この人形が異常なほど動作が早いんだ!


 知らない間にコーヒー豆までどこからか出して道具で粉にし、理科の実験器具の様なものに入れて混ぜると、かまどから外して湯煎しているチョコレートの傍へ置いた。

 その横でフライパンの中では厚みのある輪が三つ、パンケーキのたねが入っており膨らみ始めていた。


 それをじっくり確認する間もなくまた視界が目まぐるしく動くと、ビスクドールは保冷室で何か作業して厨房に戻り、苺やバナナに似たフルーツをものの数秒で切って焼き上がったパンケーキをお皿に積み重ねた。そしてまた保冷室に戻って何かを手にしてパンケーキの前に立つと、どんどん盛り付けていく。


 物凄い速さで出来上がっていくカラフルでとても甘そうなパンケーキ。とてもあの頑固そうなおじいさんが好むようには思えないけど、可愛い。

 コーヒーは器具からシンプルな青いカップへ注ぎ、白い手は角砂糖とミルク入れにミルクを移していく。

 本当に……この青いコーヒーカップとソーサーはどこから持ってきたの? 角砂糖やミルク入れもそうだし、チェック柄のテーブルナプキンまで用意している。


 この綺麗なビスクドールの身体は終始止まることなく、動画の倍速のような速さで動いている。しかも正確かつ丁寧に。最初の時に売れ残りだとか古いだとか聞こえたけれど、全然有能な人形じゃないの。何がいけないんだろう。無能な私に比べれば月とすっぽんどころか、月とミジンコくらいの違いだわ。


 コーヒーとパンケーキをトレーに乗せたところで人形の体の動きは止まった。

 しばらくポカンとしていたけど、私が腕を上げようとしたらきちんと腕は動き、指を曲げたり足も自分の意志で動いた。

 よく分からないけど人形の動きがないときは今度は私が動けると言うことなの?

 それに人形の体に入っているなんて未だに信じられない。私は死んでこの人形に入って、また命を宿したということになっているのかしら。


「おい! 出来たのか?」


 厨房の外から大声が聞こえてきた。思わず条件反射で体が跳ねる。

 大きな声がどうしても苦手だ。会社でもきつく叱責されたり大声で呼ばれる時は体が萎縮して思考がそのうち停止してしまう。

 

 早く持っていかないと!


 トレーを持ち上げて小走りで厨房から出ようとした時、不意に足が絡まった。

 あっと思ったときには視界が揺れて下に下がった。

 

 またドジをした。せっかくコーヒーもパンケーキも失敗せず作れたのに。いつも私はドジを踏むんだ。どんなに有能な人形の体に入っても無意味なんだ。


 そう思った時、私の足は強く一歩踏み出して、両腕は並行を保ったまま微動だにせず何も零さずに止まっていた。

 呆気にとられている私をよそに体は静かに直立の姿勢に戻され、何事もなかったかのように佇んでいた。


 転んだかと思ったのに。体が勝手にバランスを取って姿勢を戻してくれた。私のドジを食い止めてくれた。料理も出来てドジもサポートしてくれるなんて! なんて有能なビスクドールなの!?

 私は感動しながら今度こそはドジをしまいと、慎重に足を進めて厨房を後にした。



 厨房を出て物置の前を横切り真っ直ぐ進むと、お店のカウンターの内側と思わしき所に出た。店内はお客さんが一人もおらず静まり返っていて、外の吹雪の音だけがお店を揺らし、複数の古ぼけたテーブルと椅子が両端に乱雑に置かれていた。

 カウンター席には先程のフードを被った白ひげをたっぷり蓄えた老人が一人いた。厳しい目つきと大柄な体格から滲み出る圧が凄い。悪役プロレスラーとサンタクロースが合わさったかのようだわ。


「出来たなら早く持って来い」


 言われてすぐにカウンターを回り、老人の傍らに立つとトレーを静かに置いた。妙な話だけれど今初めて出来上がったパンケーキの様子が落ち着いて見れた。


 パンケーキは三段層になっていて一枚一枚の間にバナナに似た果物の輪切り達と生クリームとチョコレートが塗られて溢れており、一番上にも生クリームが盛られていて、その上には細かく刻まれたチョコと苺みたいな赤い果物が散りばめられて輝いている。


 このおじいさんに食べてもらえるかしら。どちらかというと若い子向けの食べ物だと思うんだけど。それに最初見せてもらったパンケーキの絵と全然違うし。


「これは何だ?」


 低いしゃがれた声が老人の口から出た。

 内心心臓が飛び跳ねた。実際人形の体は微塵も動かなかったけれど、入っている私は実体がないとは言え心は冷や汗だらけだった。


「コーヒーとパンケーキです」


 凛とした声が整った口から告げられる。

 澄ました穏やかな声音は不穏な空気を醸し出す老人とは対極だ。


「……なんというコーヒーとパンケーキだ」


 なんという?


 このコーヒーとパンケーキに名前なんてあるの? あの絵と違ったものを出されたから、別の種類のものだと思われているのかしら。

 私がどうなんだろう、そしてどうしようと考えていると、またピンクに色付く唇が軽やかに声を零し出した。


「暗闇ダンディーストレートホットコーヒに、ふわもちクリーミーチョコベリーパンケーキです」


 ……へ? え? ええええええええええええええええ!?


「……何だと?」


「暗闇ダンディーストレートコーヒーに、ふわもちチョコベリークリーミーパンケーキでございます」


 ほ、本当にその名前なの!? なんかメルヘンとかファンシーっぽくない? 大丈夫なのその無駄に長いネーミングで?

 

 老人は黙って丸く大きな指でナイフとフォークを掴むと、力強くパンケーキを切った。そして一層を残して二層のパンケーキを口に運ぶと何も言わず咀嚼した。

 それを三回ほど繰り返すとコーヒーカップを持ち、しばらく眺めてから鼻の前に持っていくと深く息を吸い込んだ。白い湯気が丸い鼻の下へ吸い込まれていく。

 老人は一息つくとゆっくり口へ運び、静かに黒いコーヒーを飲んだ。


「うむ……思っていたのとは違うものだが。良しとしようか」


 そう呟くと残りのパンケーキも口へと運びコーヒーもそのまま全部飲み干した。

 

「使いもせんのにばあさんが毎日可愛がっていたお前に、少しでもばあさんの手掛かりがあればと動かしたが、まさかわしの知らん料理までつくるとはな。ふわふわと高級クッションの様な弾力でしつこくない優しい甘さにトッピングしたフルーツの酸っぱさが爽やかで心地いい。しかも香り高い良い苦みの効いたコーヒーとやらは残った甘さを気持ちよく洗い流してくれる。本当にお前が動いて良かった」


 よ、良かった。 よく分からないけど大成功したみたい!


「ばあさんはお前のことを見てはティールグリーン、いや、ティールブルーだとか言っていたな。意味はよく知らんが、まあどちらでも良いか。お前の名前は小鴨ティールだ。今日お前は生まれた様なもんだから、丁度いいだろう」


 今日、私が生まれた日?


 何故だかじんわり胸が熱くなった。私は今日死んだばかりなはずなのに、今日また生き始めたというの? このティールと言う名の人形として?

 悲しい? 違う、そうじゃない。

 人生を早く終わらせたいと思っていたのに、嬉しく感じる自分が意外で、とにかく驚きと戸惑いが混じってしまって……でも、全然嫌な感じがしない。


「わしはビル。いなくなったばあさんはスプティーヌ。店の名前はパドリング亭だ。それではティール。これからばあさんの残したメモを手掛かりにメニューを作り、ばあさん探しを手伝ってくれ」


「はい」

 

 今の返事は私の言葉だった。まだまだこの世界のことを全く知らないけれど、今まで経験したことがないワクワクとした感覚に満ち溢れて、私は陶器の顔のまま微笑んだ。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ