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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
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オタク上司は百合を騙る

作者: ピッチョン

【登場人物】

藍沢(あいざわ)あさぎ:26歳。周囲の目を引くほどの美人。恋愛トラブルを避ける為に同性愛者だと偽る。乙女ゲー好き。

喜多(きた)ゆずな:22歳。新入社員。自分が同性愛者であることを隠している。

藍沢(あいざわ)さん、今日飲みに行こうかって話してたんだけどこない?」

 同僚の女性からの誘いに私は申し訳なさそうな表情を作って返答する。

「ごめん、家で晩ごはん作って待ってくれてるから」

「たまにはいいじゃ~ん」

「ダーメ。怒らせると怖いんだから。ケンカになって私の食生活が貧しくなったら一生恨むよ」

「はぁ、よく出来た彼女さんだことで」

「でしょ? あげないから」

「いらないって。どうぞ二人で仲良くしてください」

「そうする。それじゃ、私のことはいいからみんなで楽しんできて」

「はいはい。あ、次は早めに誘うから彼女さんから許可取っといてよ!」

「わかった。許可が出るかはわからないけど」

 飲み会の誘いを断って、私は早々(はやばや)と帰宅した。


「ただいまー」

 暗い部屋の電気を点けて声を掛ける。貼られているポスターに向かって。

「飲み会なんて時間とお金のムダなのに行ってらんないよねー?」

 ポスターに描かれたすらりとした男性は笑みを浮かべたまま私を見つめている。私には彼の言葉がはっきりと聞こえた。『あさぎの言う通りだよ』と。

録画していたアニメを観ながら買ってきたお弁当を食べる。お風呂に入って寝間着に着替えてからは任天堂switchを持ってベッドにごろん。横になって乙女ゲームをプレイ。

『会いたかった、あさぎ……』

「私も会いたかったよー! キョウくーん!」

 いい時代になったものだ。趣味を十全に楽しめる環境が出来上がっている。

 リアルの人間関係なんて面倒くさいだけ。

 私はこれさえあれば生きていける。

 いや、言い方を変えよう。

 私はこれだけで生きていきたい!

 他の物事なんて私にとっては害悪でしかないのだから。




 もしもこの世界に面倒くさいランキングがあるとするなら、他人の嫉妬は間違いなく上位に入ってくるだろう。

 嫉妬――特に同性の嫉妬というのは厄介このうえない。私はそれを高校、大学で嫌というほど学んだ。

 私、藍沢あさぎは自分で言うのもおこがましいが、外見は整っている方だ。スタイルだって悪くはない。性格もそこまで捻くれてはいないと自負している。少なくとも他人を貶めたり自分を必要以上に持ち上げたりはしない。

 だからなのか異性にモテた。高校在学中は何度も告白をされた。嬉しかったか煩わしかったかと聞かれたら返答に迷うが、嫌な気分ではなかったのは確かだ。とはいえ、好きでもない相手と付き合う理由もない。すべての告白は丁重にお断りをさせてもらった。

 どうもそれが気に食わなかったらしい。

 お高くとまって見えたのだろう。もしくは私が振った男子のことが好きだったのか。

 嫌がらせを受けた。いじめというほど凄惨なものではなかったが、陰口、無視、落書き……まぁ子どものやるレベルのしょうもないこと。

 大学に入って心機一転キャンパスライフを楽しもうとしていた矢先、今度はサークルの先輩から告白をされた。その先輩は同じサークルの女子たちに人気のあったイケメン風の先輩だった。

 案の定、告白を断った私は女子たちから目の敵にされた。どうせ付き合っていたとしても何かしら嫌がらせはされたんだろうが。サークルクラッシャー扱いをされたときは本気で『知ったことか!』と思った。

 色々あって私は悟った。リアルの恋愛はクソなんだ、と。

 その点、二次元はいい。まず出会いから恋心が育まれるまでの描写がきちんとしている。よく話してもないのにいきなり告白なんてしてこない(稀にあるが)。

 懐いてくる年下キャラも、偉そうな俺様キャラも、包容力のある先生キャラも、みんな私のことを大事にしてくれる。しかも見た目も声もイケメン。

 周りの友達はみんな私達のことを応援してくれるし、恋に敗れたライバルたちも最後には祝福してくれる。

 そんな理想の恋愛が詰まった楽園に私がハマらないわけがなかった。

 夢と希望に満ちたキャンパスライフは乙女ゲーライフへと変わり、それはそれで楽しい日々を送っていた。

 ――さて、では大学を卒業し就職をしたらどうなるか。

 私は考えた。もし職場でも高校や大学と同じことが起こったら最悪だ。

 数年経てば進路でバラバラになる学校と違って、会社は十年単位でお世話になる可能性がある。

 デスクワークだったら毎日が地獄になるであろうことは容易に想像が出来た。

 それを回避する為に私が取った選択肢は――『彼女がいる』とウソをつくことだった。

 何故『彼女』にしたか。

 ウソをつく以上は余計な詮索を回避する必要がある。同性愛者なら突っ込んだ質問はされづらいだろうというのと、私も『それ以上はちょっと……』という空気を出しやすい。

 しかも男性たちがどれだけアプローチしてきてもムダだという盾にもなるし、女性たちに対しては最愛の人がいるからムーブをすることで変に警戒されたりということも防ぐ。

 私の作戦は想定以上にうまくいった。

 煩わしい誘いは全部『彼女が家で待ってる』でなんとかなったし、写真を見せてとねだられても『恥ずかしがるから撮ってない』で切り抜けた。

 勿論、イマジナリー彼女の設定を決めて、答えられる範囲の質問には答えていった。

 名前はマヤ。同い年。大学からの付き合いで今は同棲している。料理上手。恥ずかしがり屋。やきもち焼きで独占欲が強い。見た目可愛い系。動物にたとえるとハムスター。どちらかというとインドア派。私とラブラブ。

 いまや私のことを知っている同僚たちからは『早く可愛い彼女のとこに帰ってあげなよ』と言われるほど。相手が女性だから結婚について聞かれることもない。

 完璧だ。

 人間関係のアレコレを気にせず、自分のやりたいことを精一杯楽しむ。

 これ以上の人生があるだろうか。


「あ、あの、藍沢さん」

 人通りのない廊下で声を掛けてきたのは今年入社してきた女性社員。まだ顔と名前が一致していないので彼女の首から下げられた社員カードにちらと目をやる。『喜多(きた)ゆずな』と記されていた。

「喜多さん、どうかしたの?」

「えっと、その、藍沢さんって、女性の恋人がいるってほんとですか?」

 あぁまたそれか、と内心で肩をすくめた。新入社員が私のことを誰かから聞いて興味を持つパターンは今までに何回かあった。

 クールに微笑んで返す。

「えぇ本当よ」

 さてここから何て言葉が飛んでくるか。たいていは驚いたり、きゃーと喜ぶ仕草をしてから恋人について質問されるのだが。

 しかし私の予想は大きく外れた。

 喜多さんは私の返答を聞くと周囲を窺うように目線を動かしたあと、手を自分の口の横に添えてそっと呟いた。

「実は、私も女性が好きなんです」

 恥ずかしそうに笑う喜多さん。愛想笑いを浮かべたまま固まる私。

「これから色々と相談に乗ってもらってもいいですか?」

 彼女の問いかけにイエス以外の選択肢はなかった。



「藍沢さんすごいですよね。自分が同性愛者なのを隠したりせず堂々としてるなんて。私にはそこまでの勇気ないです」

「ま、まぁそのあたりは個人の考えによるし、無理してカミングアウトする必要はないんじゃない?」

 仕事が終わり帰ろうとしたところで喜多さんに声を掛けられ、駅までの道を一緒に歩いていた。

 正直断りたかったが変に怪しまれても困る。かといって話し過ぎてボロが出るのも困る。

 結局のところウソだとバレてしまうのが怖いのだ。

 自衛の為とはいえ同性愛を利用しているのは事実。当事者からすればいい迷惑だろう。

 もしバレてしまったら激怒されるか、それともSNSに書き込まれるか。どちらにせよ他の同僚達に知られてしまったらもう会社にいられなくなる。

 だから私の取るべき最善手は、喜多さんとは表面上仲良くするだけに留めておいて当たり障りのない会話で乗り切る。これしかない。

「藍沢さんはカミングアウトしたときどうでした? 何か言われたりしました?」

「普通に『えー!? そうだったんだ!』みたいな感じかな。真正面から何か言われるとかは無かったよ。まぁそういうのは本人のいないところで言うだろうし」

「イヤじゃないんですか? 陰口とか」

「私の耳に入ってこなければ気にならない」

 そう。陰口なんて優しいものだ。直接被害の出る嫌がらせに比べたら。

 ふと喜多さんのキラキラとした眼差しに気が付いた。その視線からは痛いまでの『尊敬』と『憧れ』が感じられた。

「私、この会社に入ってよかったです! 私も藍沢さんを目標に頑張ります!」

「あ、あはは……ありがと」



「タクミく~ん! 私どうすればいいの~!?」

『ボクはそういうのも結構ありだと思うな』

「無しだよ無し!」

 ボタンをぽちぽち押しながら画面の中のタクミくんに話しかける。溜まった鬱憤や不満はゲームで解消するに限る。

「はぁぁ……表面上仲良くするったって、すでに喜多さんの私に対する好感度が高くなり過ぎでしょぉ」

 私から関わらないようにしたところで無駄だ。おそらく喜多さん(イベント)の方からどんどん私に近づいてくる。

 そうなったらもう素っ気ない態度なんて取れない。対応を間違えたらその時点で怪しまれてアウトになってしまう可能性があるからだ。

「まぁ最悪マヤに全部の罪を押し付けて距離を取るっていう手はあるけど」

 彼女が嫌がってるから話しかけてこないで。しかしそれをするのは会社の先輩としても人としてもどうかと思うので出来ればやりたくない。

「……宝くじ買おっかな」

 一億円くらい当たったら他人と関わることなく家に引きこもってずっと乙女ゲームが出来るのに。

 実現しない夢に思いを馳せながら、私は画面の向こうの楽園へと現実逃避(トリップ)した。




「あの、これからちょっとだけどこかでお話出来ませんか……!」

 仕事が終わり、駅への道すがら。喜多さんがいつになく力強い声で私に聞いてきた。

「あーっと、私はほら、彼女が家で待ってるから」

「三十分だけでもいいんです! 会社だと落ち着いて話せないから、どこかで藍沢さんとお話したくって!」

 この顔は完全に『おしゃべりしたい!』の顔だ。そうなるのも仕方ない。私と満足に話せるのが駅まで歩いている間と、電車に乗って途中の乗り換えで別れるまでの少しの時間だけ。おまけに周りに人がいては込み入ったことも話せない。

「……じゃあ、ちょっとだけなら」

 ここは喜多さんの思いを汲むことにした。あんまり長くなりそうなら時間を理由に切り上げればいい。

 さて、場所をどうするか。公園は誰の目があるか分からないからダメ。喫茶店は会話が隣に聞こえるからダメ。居酒屋は家に晩ごはんがある設定なのにわざわざ食べにいくのはおかしい。

 ということでカラオケにした。夜は割高だが背に腹は変えられない。せめてもの慰みに最初のドリンクはアルコール入りにした。

 個室に入ると先程まであんなに張り切っていた喜多さんがおとなしくなっているのに気が付いた。おどおどと私の方を窺っているように見える。

「どうかした?」

「あ、あの、藍沢さんの彼女さん的には、大丈夫ですか……?」

「なにが?」

「会社の後輩とはいえ、二人きりでカラオケに来るというのは……」

 ――しまった。乙女ゲームに例えれば本命を放っておいて別の男友達と遊びに行くようなもの。当然褒められた行動ではない。しかも私は彼女(マヤ)に連絡する素振りすら見せていないのだから喜多さんが不安になるのも無理はないだろう。

「ぜ、全然問題ないに決まってるじゃない!」

 こうなったら勢いで誤魔化すしかない。

「そうなんですか?」

「逆に聞きたいんだけど、喜多さんはやましい気持ちとかあるの?」

「な、ないですよ!」

「でしょ? ただ普通に会話をするだけなんだから何も気にすることないの。帰るのがちょっと遅くなるって連絡はしとくし。何時間もここにいるってなったらマズいけど」

「そんな長くいてもらうつもりはありません!」

「じゃあ構わないわね。それよりこんなことで時間使っていいの? 話したいことがあるんでしょ?」

 私に言われてハッとなる喜多さん。彼女的には後ろめたい感情よりもおしゃべりしたい欲求の方が勝っているらしい。

 ドリンクが届けられたのを合図に喜多さんが口を開いた。

「私、前からずっとやってみたかったことがあって……」

「ふんふん」

喜多さんが膝の上で拳を握り叫んだ。

「好みの女の子の話で盛り上がりたいんです!」

 ……好みの女の子?

「えぇっと」

「藍沢さんもありませんか? 『芸能人だと誰がタイプ?』とか友達に聞かれて仕方なくジャニーズとか男性俳優の名前を口にしたこと」

「あー、あるねー」

 ウソです。ないです。でも『好きな男性は?』と聞かれたら真っ先に思いつくのが乙女ゲームのキャラなので偽る気持ちは分かる。

「ですよね! ほんとはアイドルのあの子が可愛いとか、グラビアで見たあの人がスタイルよくて最高だったとか、めちゃめちゃ語りたかったんですよ私は!」

 すごい熱量だ。オープンにしていないからこそ色々溜まっているんだろうか。

 まぁそういうことなら頼れる先輩ムーブをすればいい。

「私でよかったら全然聞くよ」

「ありがとうございます! じゃああの、藍沢さんは芸能人だと誰がいいと思います?」

 話が違う! なんで私が先に聞かれるの!? 私のプランでは喜多さんの好みの芸能人に乗っかる予定だったのに!

 ……誰の名前を出せばいい? 世間一般の可愛い芸能人っていうのは同性愛者からしても可愛いよね? あんまり歳が離れてるのを言ってもアレだし、あぁそういや彼女(マヤ)がハムスターみたいな小動物系なんだからそういう感じの女の子を選べば……。

「藍沢さん、絶対内緒にしますので安心してください!」

 悩んでいる私を見て、彼女に気を遣っていると思ったのだろう。

 私はいつもの調子で咄嗟に返答する。

「別にそういうのは大丈夫よ。家でもテレビ観ながらあの子が可愛いとかよく話してるから」

「へぇ、いいですね。そういうのを話し合える人がそばにいるって」

 あははと笑いながら私は自分を(なじ)った。

 私のバカ! 格好つけてる場合か! おかげでちゃんとした女性芸能人の名前を出さなきゃいけなくなった。

 ただ、正直なところテレビを観ているよりゲームやアニメに費やしている時間の方が長いのであまり芸能人に興味が無いのが本音ではある。

「えぇと、私は――」

 記憶を絞り出し、朝のニュースに映画の宣伝で来ていた若い女優の名前を口にした。

 喜多さんが表情を輝かせる。

「あぁ分かります! いいですよね! ちょっと前に出てたドラマでは結構大人びた役をやってたんですけどそのときの仕草が色っぽくて――」

 よかった。問題なかったようだ。ほっとしながら相槌を打つ。

 そのまま話の流れで喜多さんが自分の好きな芸能人の名前を挙げていった。ここぞとばかりに私もそれに同意を示した。

 賛同してくれる人がいるからなのか喜多さんの話は全然止まらなかった。顔つき、髪型、スタイル、衣装……色んな好みを力いっぱい語っていた。会社にいるときとテンションが大違いだ。

 気付けば五十分ほどが経過し、そろそろ話を終わらせにかからないと、と私が考えていたとき。

「藍沢さんは彼女さんとどこで知り合ったんですか?」

「あ、えっと、大学のときかな。付き合い始めたのは大学の二年」

 という設定。

「それより前には彼女はいたんですか?」

「え? いないいない。今の彼女が初めて」

「そうだったんですね。高校ではあの子いいなとかはなかったんですか?」

 まさかそういう聞かれ方をするとは。そこまでは決めてなかった。

 すぐに思考を巡らせて回答を作る。

「うーん、可愛いとか美人だなとかはあったけど、付き合いたいまではいかなくて。私、自分が同性愛者だってはっきり自覚したのが大学入ってからだったから」

「あ、結構あとだったんですね。私は中学のときでした」

 無事に切り抜けられた。こういうときは相手に話をしてもらうに限る。

「中学で、っていうのは何かきっかけがあったの?」

「きっかけっていうか、単純に部活の先輩――もちろん女の子ですよ。その先輩を好きになっちゃったからなんです」

 私の中の恋愛センサーが『ほぅ』と反応した。ここだけの話、自分で恋愛に対してシールドを張っているせいでリアルの恋愛話を耳にする機会が減ってしまっていた。だから余計に聞いてみたいと思った。

 そのとき部屋に備え付けの電話が鳴った。終了時間前の連絡だ。私は受話器の向こうに伝えた。

「……三十分だけ延長でお願いします」

 いいんですか? という喜多さんの視線に頷いて返す。他人の甘酸っぱい恋バナを聞かずに帰るわけにはいかない!

 受話器を置いて喜多さんに微笑む。

「せっかくだし、キリがいいところまでね」

「そんなにたいした内容じゃないんですけど」

 照れたような表情を浮かべて喜多さんが続ける。

「部活にいた一つ上の先輩に、すごくかっこよくて、頼りになって、後輩の面倒見もよくて、ほんとに同じ中学生なのかって思うくらいの人がいたんですよ。まぁ当然みんなの憧れだったんですけど、私はその、ただ憧れるだけじゃなくて一緒にいたいとか、手を繋ぎたいとか考えるようになって、あぁ私って先輩のことが好きなんだなって気付いたんです。あれが私の初恋でした」

「告白とかしたの?」

「出来ませんでした。受け入れてもらえる自信がなかったので。他のみんなに広まったらどうしようとも思いましたし。あ、でも一回だけ思い切って『休日に一緒に買い物行きませんか?』って誘ったんですよ」

 思わず私の気持ちが前のめりになる。

「どうだったの?」

「オッケーしてくれました。あのときはもう嬉しくて、出掛ける前日なんて舞い上がりすぎて全然寝れませんでしたよ」

 自室で喜ぶ中学生の喜多さんを想像して頬が緩む。可愛らしい青春の想い出だ。

「ちなみにここだけの話ですけど、そのとき撮ったプリクラ、貼るのももったいなくてまだ家に保管してあります」

「……素敵な初恋ね」

「いやぁ、お恥ずかしい。次は藍沢さんの番ですよ! 初恋教えてください!」

「…………」

 乙女ゲームのキャラがマズいのはわかってる。さりとて同性愛に気付いたのが大学だと言った以上、中学や高校の話をするのもおかしい。

 ならばここは。

「初恋、という定義付けは難しいけど、初めて恋愛をしたという意味でなら今の彼女がそうだから、まぁその、そういうことになるのかしら?」

 ふわっと受け流す。これしかない。

 喜多さんが意外そうな目で私を見返してきた。

「あ、そうなんですか? てっきり男性とお付き合いはしたことあるのかと思ってました」

「……そう見える?」

「いえ、変な意味じゃなくて、藍沢さんはすごくモテてそうな気がしたので」

「まぁそれなりに告白とかはされたけど」

「全部断ったんですか?」

「付き合う理由がなかったから」

 私が答えると喜多さんがふと考え込み、何かを思いついたように顔を上げた。

「もしかして! 大学に入るまではただなんとなく恋愛に興味がないだけだと思っていたのが、大学で今の彼女さんと出会ったことで女性が恋愛対象なんだと気付いてお付き合いを始めた感じですか!?」

 勢いに押されて頷く。

「え、えぇ、まぁ」

「じゃあもしかしてもしかして! 告白は彼女さんからされて、そのときようやく相手への気持ちに気付いちゃった感じのやつですか!?」

「そ、そうね」

 新しい設定が出来上がっていく。まぁそれはそれでいいのだが。

 喜多さんはひとりおでこに手を当てて目をつむり、口角をあげたまま何度も息を吐いていた。例えるなら、絵師さんが描いた推しキャラのイラストが尊すぎていったんスマホの画面から視線を外して落ちつこうとしているときのような仕草。

 一応声を掛けてみる。

「大丈夫?」

「大丈夫です……ちょっと色々衝撃というか私の琴線に触れるものがありまして」

「そ、そんなに?」

「だって、同性愛者かどうか分からない友達への告白ですよ!? もし拒絶されたら友達でいられなくなるかもしれないんですよ!? そのリスクを負ってまで告白して、しかもそれで実は藍沢さんも彼女さんのことが好きだったなんて――もう最高じゃないですか! 私だったらもうその場で泣き崩れてますよ! 彼女さんはどうだったんですか!!?」

「えっと、泣いてはいたかな」

「でしょう!? そりゃ泣きますよ! あぁーいいなぁー! 私もそういう恋愛したいなぁー!」

「ま、まぁこれからいくらでも出会いなんてあるわよ」

「私の恋愛運の無さ知ってますか!? 高校のときは好きになった先輩を待ってたら男子と仲良く手を繋いでるとこ目撃しちゃうし、大学のときは気になってた先輩に飲み会でキスされて『え、もしかして』ってドキドキしてたら本人はまったく覚えてないし、あげくの果てに『彼には内緒にしといて』とか言われて初めて彼氏がいること知ったし、会社に入ってからも――」

 はた、と喜多さんが言葉を止めた。

 しかし私はその単語を聞き逃してはいない。ぎらりと眼光鋭く問いかける。

「会社に入ってからも、なに?」

「えーと、あはは、それはいいじゃないですか」

「もしかして、誰か好きな人でも出来た?」

「だからもういいじゃないですかって!」

「話を聞いてると喜多さんって年上が好きそうだから、会社の先輩の誰か?」

「詮索しないでください!」

「別にいいじゃない。言い触らしたりしないから。ね、名字の最初の文字は?」

 あぁ、修学旅行で女の子同士が恋バナする気持ちが今なら分かる。すっごく楽しい!

 喜多さんが顔を真っ赤にして目線を逸らす。

「ふ……」

「ふ?」

「振られたんです。だからもう、いいんです」

「あ……ごめんなさい」

 盛り上がっていた気持ちが冷静になり、心底申し訳なくなる。無神経に聞き過ぎた。

「別にいいんですけど、ほら、振られた過去の話よりも現在進行形のラブラブ話の方がよくないですか? ということで、藍沢さんのラブラブエピソードを!」

「えっ? い、いきなり言われても」

「彼女さんのここが可愛いとか、ここが好きとか、普段他の人に話しづらいことをここでぶっちゃけてくださいよー」

「は、恥ずかしいから無理!」

 というより咄嗟にうまく答えられる自信がない。

「じゃあキス! 初めてのキスがどんなのだったか教えてください!」

「うぅ……」

 喜多さんに色々話してもらった手前、断るわけにもいかない。ここにきてまた新しい設定を追加するのか……。

「えっと、確か大学で付き合うようになったあと、私の家に遊びにきたときに――」

 即興で初キス話をでっちあげる。それが終わると次は初デートの話に。もちろんデートなんてしたことがないのでゲームやアニメで得た知識をもとに創り上げた。

 最後まで怪しまれたりすることはなかったが、結局時間をもう三十分延長するはめになった。

 清算を済ませて建物を出る。お会計は私が全部払った。

「すみません、予定よりだいぶ長く付き合ってもらった上に奢っていただいて……」

 めちゃくちゃ恐縮する喜多さんに笑って答える。

「先輩だしこのくらいはね」

「時間は大丈夫ですか?」

「大丈夫大丈夫」

「あの、もし彼女さんが本気で怒ってたら私のラインを教えて構いませんので。どんな叱責も甘んじて受けますし、今後はこのようなことがないように誓わせていただきます」

「そ、そこまで気にしなくていいから」

 会社の中で私のイマジナリー彼女はどう思われてるんだ。とりあえず連絡だけ入れる振りをして喜多さんに話しかける。

「みんなに言ってるほど怖い子じゃないの。あれはその、私が早く帰る口実に使ってる部分もあるから」

「……すみません。早く帰りたかったですよね」

 あぁもう、さっきまでのテンションはどこいった。さっきの私と同じく冷静になって私の彼女に申し訳ない気持ちになったのか。

 軽く息を吐いてから喜多さんの背中をぽんと叩く。

「また何か話したくなったら誘ってよ。喜多さんと話すの楽しかったからさ」

「いいんですか?」

「もちろん。あんまり長くは無理だけど」

 私がそう言うと喜多さんの表情がどんどん明るくなっていった。

「はい! じゃあまたお誘いさせていただきます!」

 嬉しそうな喜多さんを眺めつつ、細かい設定色々決めとかなきゃなぁ、と思った。

 実際、喜多さんと恋バナをするのは結構楽しかった。

 リアルの意見や感想は興味深く、私の彼女形成の向上にも繋がった。

 その分恋愛話を創作するのは大変だったが、喜多さんに疑われないことで他の誰に話しても大丈夫だという確証にもなった。

 ウソをついて後ろめたい気持ちもあったが、嘘も方便というか、喜多さんが喜んでくれているのだから結果オーライだろう。


「かんぱーい!」と大勢の声が重なった。

 広めの座敷で同僚たちが机を囲み食事や談笑を始める。一週間の仕事を終えての金曜の夜だけあってみんな表情が生き生きとしていた。

 会社の飲み会に来たのは久しぶりだ。たまには私も参加しないとカドが立ってしまう。

 別に飲み会が嫌いなわけではない。家でゲームしてる方がお金も時間も有意義に使えるとは思うが、みんなでわいわい飲みながら話すのが楽しいというのも分かってる。では何故来たくなかったのか。それは、お酒が入ることで色々とプライベートの深い部分まで聞かれたりするからだ。

 もちろん適当なやりとりで躱しはするが、いちいち対応をするのが面倒くさい。

 しかし今日は秘策がある。

 飲み会が始まって一時間過ぎ。近くの席にいた喜多さんが飲み会を取り仕切っていた同僚の元へ近づいていった。そのまま浮かない表情で話しかける。

「あの……ちょっと飲み過ぎたみたいなので先にあがらせていただいてもいいですか?」

「え、大丈夫? 帰るのは別にいいんだけど、一人で帰れる?」

「多分大丈夫です」

 タイミングを見て私が横から口を挟む。

「よかったら私が送ろうか? 帰る方向途中まで同じだし」

 喜多さんが申し訳なさそうに反応をする。

「そんな、悪いですよ」

「いいって。むしろ帰ってる途中に何かあった方が困るし。ね、いいでしょ?」

 私が確認すると同僚が小さく唸った。

「藍沢さんがついててくれるなら安心だけど……さては早く帰ろうとしてるな?」

「なんのことカナー」

「まぁでも、喜多さんこのままにしとくわけにもいかないし、藍沢さんにお願いしようかな」

「ありがと。お金はちゃんと払うから」

 周りの人達に挨拶をしてから私は喜多さんと一緒にお店を出た。

 ぐっと腕を伸ばして息を吐く。

「んー……すんなり帰れてよかったぁ。ありがとね、喜多さん」

「いえいえ、私もああいう空気苦手なので」

 飲み会からスムーズに離脱するために喜多さんと一芝居打ったのだ。

 私ひとりが先に帰ろうとしたら絶対色々言われるが、正当な理由があれば問題ない。

「喜多さんは飲み会好きじゃないの?」

「飲み会が、というか、飲んでるとほぼ間違いなく恋愛の話になるので」

 私と同じような理由に親近感が湧く。まぁ私の場合はしょうがないことだが。

「お酒自体は嫌いじゃない?」

「日本酒とかはそこまでですけど、カクテルとかサワー系は好きですよ。たまに家でも飲んでます」

 ふむ、と考えてから提案する。

「じゃあどこかで軽く飲んでから帰る? 一時間しかいなかったから飲み足りないでしょ」

「え、いいんですか?」

「今日は遅くなっても大丈夫だから」

「い、行きます! ほんとは藍沢さんともっと一緒にお酒を飲みたかったので!」

 飲み会の間あまり話せなかったからというのもあるのだろう。喜多さんはしばらく嬉しそうにしていたが、ややあって私の顔を窺い見てきた。

「あの、厚かましいお願いなんですけど」

「ん? なに?」

「藍沢さんの家にお邪魔することって出来ないですか?」

「――――え」

「い、いきなりこんなこと言われても困るのは分かってるんですけどっ、是非藍沢さんの彼女さんとも一緒にお酒を飲んでみたいなと思いまして! それで出来れば、お二人のお話とかも色々聞かせてもらえたらなって……!」

 いやいや無理無理! 彼女は現実に存在していないのだから一緒にお酒なんて飲めるわけがない。なんとかして断らないと。

「あー、それは向こうに聞いてみないと分からないかなー」

「ダメもとでいいので聞いてもらってもいいですか?」

「……ちょっと待ってね」

 電話をする振りをして、虚空相手と会話をする。

「会社の女の子が家に来て飲みたいって言ってるんだけど……うん、うん……やっぱりそうだよね、うん、うん、分かった。それじゃ」

 スマホを耳から離して喜多さんに告げる。

「ごめん、やっぱりダメだって」

「そうですよね……」

 落ち込む喜多さんにただただ申し訳ない気持ちでいっぱいになる。代わりに何か出来ないだろうか。良さそうなお店で奢る? でも喜多さん的にはお酒を飲みつつ普段話しづらいことを話したいはず。だったら――。

「逆に私が喜多さんのおうちにお邪魔するっていうのはどう?」

「……え?」

「私が話せることだったらそこで話すからさ。えっと、マヤもそうしてって言ってたし」

「ぁ、ぇ、ぁ……」

 喜多さんが固まった。

「ダメだったらダメで全然――」

「だだ、ダメじゃないです! 来ていただけるなら嬉しいです! はい! 是非お願いします!」



「すみません、あんまり綺麗にしてなくて」

「十分十分。一人暮らしだったら片付いてる方でしょ」

 喜多さんの部屋に上がってさっそく買ってきたお酒やおつまみを広げる。

「温めてきますね」

 喜多さんが焼き鳥のパックを持って台所に向かった。

 先にひとりで始めるわけにもいかず、なんとなく部屋を見回す。

 ベッド、鏡台、テレビ、本棚、スチールラック……とそのとき、視線が止まった。スチールラックにアクリルキーホルダーがぶら下がっていたのだ。デフォルメされた男性が描かれているそのアクリルキーホルダーには見覚えがあった。私の部屋に貼ってあるポスターにも描かれているその男性。

(ミズト……!?)

 私が乙女ゲームにハマるきっかけにもなったキャラだ。当然今でも大好きだし推しキャラランキング不動の一位。

 まさかこんなところで逢うなんて。もしかして喜多さんもあのゲームをプレイした? しかもミズト推し?

「おまたせしましたー」

 喜多さんが温めた焼き鳥をお皿に移して持ってきた。

「あ、ありがとう」

 驚きと興奮で心臓がドクドクしている。どうしよう。聞いてみようか。でもそうすると私が乙女ゲー好きなのがバレてしまう。いや喜多さんも好きなんだったらバレてもいいじゃないか。そんなことより私は乙女ゲー好き同士と語り合いたい!

「藍沢さん、どうかしました?」

「え? いやぁ別に何でもないよーあはは。さっそく飲もっか!」

 乾杯をしてから飲み始める。

 落ち着け私。いきなり『喜多さんもミズト推しなの?』とか聞くのは完全にオタクのやることだ。あくまで自然に、さりげなく話題を振らなければ。

 喜多さんが私に色々と質問を投げかけてくる。私の彼女がどういうお酒が好きか、家ではどんな料理を作ってくれているのか、これまで旅行とかしたことがあるのか。

 お酒や料理は私の好みを、旅行に関しては大学時代に友達と行った温泉をそれっぽくアレンジすることで難を逃れた。

 話が一区切りして、空いたお皿などを喜多さんが流しに持っていく。

 切り出すならここしかない……!

 戻ってくる気配を感じ取り、私はまるで今気付いたかのようにアクリルキーホルダーを見ながら独り言を呟いた。

「あれ? もしかしてミズト?」

「藍沢さん知ってるんですか?」

 掛かった! 表情には出さず、私はあくまで余裕を持って会話を続ける。

「うん、マヤがやっててね。喜多さんもこういうのするんだ」

「はい。恋愛ゲーム結構好きですよ」

「相手が女の子じゃなくてもいいの?」

 つい聞いてしまい、しまった、と後悔する。マヤだって私と付き合ってる設定なのに乙女ゲームをしてるじゃないか。

 しかしお酒が入っていたからか喜多さんは特に疑問にも思った様子もなく答えてくれた。

「見る分にはどんな恋愛ものも好きですよ。男女でも百合でもBLでも」

「そ、そうよね。私とマヤも同じ」

「藍沢さんもBLいける感じですか? ……おすすめのミズト×マサト本ありますけど、見ます?」

「――っ、っ…………見る!」

 存在は知っていたが手を出していなかったBL。しかも最推しキャラの。

 迷いはしたが好奇心には勝てなかった。

「これです。持ってるやつですか?」

「うぅん、持ってない……」

 渡された薄い本をそろりとめくっていく。

 …………。

 ……。

 読み終わった。

「どうでした?」

 返事は二文字しか考えられない。

「――最高」

「ですよね! 途中の会話のとことかめっちゃよくなかったですか!?」

「よかった。超よかった。マサトルートのときの設定をうまく使っててすごいと思った」

「そうなんですよ! もしかしたらこういう可能性もあったんじゃないかって思わせてくれますよね!」

「わかる」

 今までにないぐらい話が盛り上がった。

 当たり前だ。乙女ゲームの話を誰かとここまで語ったのは初めてなのだから。

 ネットを探せば同士はたくさんいる。でも身近にそういう人がいるというのは本当に貴重なことだ。だからこそ尚更熱が入る。

 私に出会った喜多さんも多分同じような気持ちだったのだろう。好きなタイプについて語りたがっていた喜多さんはまさしく今の私だ。

「ドラマCDは聴いた?」

「もちろん聴きましたよ。原作踏襲のやつとオリジナルストーリーのやつ両方とも」

「さっすが。キャラソンは?」

「全キャラ分スマホに入ってます」

 がしりと握手を交わす。

「あぁもう、こんなことならもっと早く話しとくんだった」

「私もまさか藍沢さんとこんなに趣味が合うなんて思ってもみませんでした」

「ねぇねぇ、ちなみに一周年の公式イベントは参加した?」

「あれ抽選落ちたんですよー。めっちゃ行きたかったんですけど。って、え、もしかして藍沢さん」

「うん、チケット当たったから行ってきた」

「うーわー、いいなーいいなー!」

「そのときの写真見る?」

「見ます見ます!」

 スマホのフォルダを探してイベントの写真を表示する。スライドさせていくたびに喜多さんが歓声をあげた。

「えー、すごーい! これ寄せ書きですか? え、花の送り主の人達豪華過ぎ! やばい!」

 やがて画面に一枚の色紙が映った。

「これ誰の色紙で――え、ちょっと待って」

 私に尋ねようとした喜多さんが書かれている名前に気が付いた。恐る恐る私に確認する。

「こ、これ、ミズト役の方のサイン色紙ですよね?」

「そうだよ」

「あの、この色紙、持ち帰ってるみたいに見えるんですけど」

 私は頬が緩むのを抑えられなかった。

「実はね、チケットに書かれた番号で声優さんのサインが当たるっていうのがあって」

「当たったんですか!!?」

「うん」

「――――」

 喜多さんが驚愕に目を見開いたあと、その場で悶え吼えた。

「ずるい! 藍沢さんずる過ぎですよ! イベントに参加出来ただけじゃなくてサイン色紙まで当たって、おまけにラブラブな彼女がいるんですか!? 前世でどんな徳を積んだらそこまで恵まれるんです!? そのうち罰が当たりますよ! っていうか罰当たってください!」

「いやーごめんねー」

 多少何か言われても全然気にならない。自分しか持っていない宝物の価値を分かってくれる嬉しさ、優越感、それら全てが心地よく私の体を駆け抜けていく。

「……どうせ私なんて運もない恋人もいないの最低な人生ですよ……」

 沈む喜多さんとは対照的に私は気分が高揚していく。

「まぁまぁ、そのうちいいことあるって」

「気休めはやめてください……」

 人間、あまり調子に乗らない方がいい。何故なら思いつきや勢いでとんでもない失敗をすることがあるから。

「じゃあうちに来て生のサイン色紙見る? (さわ)れば御利益あるかもよ?」

 私は笑顔のまま固まった。え? 今私は何を口走った?

「藍沢さんのおうちにお邪魔してもいいんですか?」

 遠慮がちに聞きながらも期待するような表情。

 撤回するなら今しかない。でも同好の士に私の秘蔵グッズを見せたい欲求もある。でも家に呼ぶリスクが。でもやっぱり実際に見て欲しい。

 一人でさんざん悩んでから出した結論は。

「大丈夫。向こうは私が説得するから」

 オタクとしての自分に正直になることを決めた。




「枕オッケー、歯ブラシオッケー、コップもペアで置いた。あとは……」

 一週間後の土曜日。説得という名の準備を進めてきた私は最後の確認をしていた。

 彼女(マヤ)は所用でいないことにしてある。しかしここで生活しているという証拠は見せなければならない。

 なので寝具や日用品で二人分なければおかしいものをあらかた用意した。勿論新品だと怪しいのでこの一週間枕は二つとも使ったし、歯ブラシも指で押して使用感を出しておいた。服の量は収納を開けられなければ問題ない。冷蔵庫の中身も補充して調味料も揃えた。完璧だ。

「さすがにポスター類は外しとくか」

 あまりにオタク部屋過ぎるのもアレなので少し抑えることにした。ちょっとしたことから疑われてしまったら元も子もない。でも本棚にはしっかり百合マンガとBL関連の本を買って並べてある。

全ての準備を万端に済ませ、喜多さんを家に迎え入れた。

「お邪魔します」

「いらっしゃい」

 喜多さんがきょろきょろしながら部屋に上がった。

「ここでお二人で住んでるんですか」

「お金が貯まったら広いとこに引っ越そうって話してるんだけど、なんだかんだここで生活するのに慣れちゃって」

 一人暮らし用の1Kに二人で住んでいることへの回答を先に出しておく。これで邪推されることはないだろう。

「……マヤさんが留守のときに上がらせてもらってすみません。後で何か言われたりしませんか?」

「向こうもちゃんと了承してるから大丈夫」

 雑談もそこそこに、私はさっそくサイン色紙や色んなグッズを取り出して座卓に並べた。

 先程までの不安はどこへやら、喜多さんは目を輝かせてそれらを手に取ったり写真に撮ったりしながら私と語り合った。

 いつも話をするのは夜なので時間を気にしていたが、今日はその必要はない。喋りたいことを好きなだけ喋り、軽い酸欠になっても喋った。そのくらい本当に楽しかった。

 気付けば太陽は沈み、外もすっかり暗くなっていた。

「喜多さん、晩ごはんはどうするの?」

「特に決めてはないですけど」

「よかったら食べて帰る?」

「え? あの、彼女さんは……?」

「遅くなるって。だから自分で作ろうかなぁと。もし家に用意してないなら食べて帰りなよ」

 冷蔵庫の中の食材が多すぎるから処理するのを手伝って、というのが本音だ。

「あ、じゃあいただきます」

「でもあんまり期待しないでよ? ただの肉野菜炒めだから」

「私が作りましょうか?」

「い、いやいや大丈夫大丈夫。お客様にそこまでしてもらうわけにはいかないって」

 調理器具の少なさを見られては困る。さすがにそこまでは用意しなかった。買ってもどうせ使わない。

 ご飯が炊ける頃合いを見て調理を始めた。調理といっても切って炒めて焼き肉のタレを掛けるだけ。

 喜多さんがそわそわと近寄ってきた。

「何かお手伝いすることありませんか?」

「んー、じゃあお茶の準備と、ご飯が炊けたら混ぜてもらってもいい?」

「はい、了解です!」



「ごちそうさまでした」

「お粗末さまでした」

 出来上がった肉野菜炒めはそれなりに美味しかった。不味くなる要素がないので当たり前だが。

 座卓の上を片付けて一息つく。

 食べ終わった食器類は喜多さんが洗ってくれている。お客様に皿洗いをさせるのは、とも思ったが、まぁありがたいのはありがたいし厚意に甘えておくことにした。向こうからすれば先輩社員に全部やらせるほうが居づらいだろうし。

 水の流れる音が止まり喜多さんが顔を出してきた。

「食器は拭いた方がいいですか?」

「あぁそのままで大丈夫」

「はーい」

 晩ごはんも終わり、あとはもう解散するだけ。荷物をまとめ始めた喜多さんに話しかける。

「今日は来てくれてありがとね」

「いえ、こちらも招いていただいてありがとうございました。色紙とか限定グッズとかいっぱい見せてもらって楽しかったです」

「ああいうのは同じファンと共有してこそ価値があるのよ。私だけが大事に抱えてても宝の持ち腐れだし。あ、もちろんマヤは別にしてね」

 危ない危ない。すっかり一人暮らし気分だった。せっかく順調に終わりそうだったのに墓穴(ぼけつ)を掘るところだ。

 不意に喜多さんが動きを止める。彼女の横顔がわずかに強ばったように見えた。

 直感で理解した。これはマズい、と。

「……藍沢さん、すごく失礼なことをお聞きしたいんですけど」

 マズいマズいマズいマズい。胃のあたりがきゅっと縮む。しかし返答しないわけにはいかない。

「なに?」

「あの……」

 言うな言うな言うな言うな……!

 私の必死な願いは、届かなかった。

「ほんとに彼女さんと同棲されてるんですか?」

「――――」

 終わった。私の社会人生活が。

 ――いやまだだ。私はまだ諦めない!

「急にどうしたの? マヤと一緒に住んでるのは本当だって。いくら会えなかったからって疑いすぎ」

 冗談はやめてよと言わんばかりに笑ってみせる。心の中で祈りながら。

「……二人で住んでるにしてはトイレの消耗品とかが少なかったです」

 やめてー! と内なる私が叫ぶ。そんな消耗品まで気にしてなかった。細かく突っ込まれたらどうしようもない。

「あぁ、減ってた? じゃああとでマヤに買ってきてって頼んどくよ」

 喜多さんはそれには何の反応も示さずに言葉を続ける。

「あと、マヤさんが料理をよくされるって聞きましたけど、サラダ油の賞味期限がギリギリでした。毎日作ってるならおかしくないですか? 換気扇も油汚れがほとんどなかったですし、コンロ回りも掃除をしたにしても綺麗すぎます」

 なんだこいつ探偵か!?

「あ、油は値引きされてるの買ったからね。台所は使ったらすぐ掃除してるし。いやぁ、喜多さんってよく見てるねぇ、ははは」

「一番変だと思ったのは――」

 喜多さんが視線をゆっくり動かした。棚に並んだ乙女ゲームグッズの方へ。

「なんで、どのグッズも一人分しかないんですか? 藍沢さんの性格なら、自分の分とマヤさんの分、両方を飾ると思うんですけど」

「………………ま、マヤの分は自分で保管してるから」

「じゃあ見せていただいてもいいですか? 持ってこなくても、保管してるところだけでいいので」

「…………」

 もう、ダメだ。何の言い訳も思いつかない。

 こうなるリスクを分かっていたのに喜多さんを家に呼んだのは私だ。

 いや、喜多さんと出会ってしまった以上遅かれ早かれバレてしまうのは決まっていたのかもしれない。いい加減罰が当たったのだろう。

 私は目をつむり、ふぅ、と深く息を吐いてからその言葉を口にした。

「ごめんなさい。あなたの言う通り、全部ウソだったの。彼女がいることも、同性愛者だってことも」

 不思議と心が軽くなった気がした。知らず知らずのうちにウソが重りとなって私を締め付けていたのか。ともあれ、思っていたよりは冷静な自分に驚いた。

 喜多さんも何故か驚いた表情をしている。推理が当たっていたのに何を驚く必要があるのだろうか。

「……えっと、私が言いたかったのは、ほんとはマヤさんと別れたとかで今は一人で住んでるけど、会社の人達には言い出しづらくて悩んでるんじゃないですか、と……」

「……え?」

「同性愛者がウソって、どういうことですか?」

「え?」

 墓穴を掘る。意味は自ら失敗や破滅の原因を作ること。語源としては『人を呪わば穴二つ』と同じで、平安時代の陰陽師が「人を呪い殺すときは、自分もその報いを受けて殺される覚悟で墓穴を二つ用意しておく」と言ったからだという。

 今自分のお墓の穴があるなら喜んで飛び込むのに。

 完全に意気消沈した私は、すべてを話した。何故同性愛者を騙るようになったかの理由と経緯を全部。


「――と、いうわけで、決して同性愛者の方々を貶めようとかそういう意図はまったくなく、自分の安寧を守る為に少しお力をお借りした次第で……」

「…………」

「喜多さんを裏切るような形になって本当にごめんなさい! 気に食わないなら今後は関わらないようにするから、何卒、会社にだけは……!」

 話をしている間ずっと変わらなかった喜多さんの表情が少し和らいだ。

「別に誰かに話したりはしませんよ。騙されてたのはまぁ、いい気分じゃないですけど、理由も分かりましたし」

「喜多さん……」

「最後の確認なんですけど、藍沢さんは今誰とも付き合ってないし、好きな人とかもいないってことでいいですか?」

「え、えぇ、今のところは」

 喜多さんの目線が少しぶれた。わずかに緊張したような面持ちで口を開く。

「も、もしの話なんですけど、藍沢さんがウソをつく必要がなくなって、しかも今の生活をまったく変えなくてもいいってなったらどうします?」

「……どういうこと?」

「たとえばですよ、藍沢さんの趣味に理解があって、束縛したり嫉妬したりしない女性が藍沢さんの恋人になったら、全部解決すると思いませんか?」

 喜多さんの頬はかすかに色づいていた。ここまで言われたら私にだって分かる。喜多さんが私とどうなりたいのか。

「えっと、それは……」

「肩書きだけでもいいんです。形だけの彼女でいいんです。私じゃ、ダメですか?」

 魅力的な提案ではある。確かに喜多さんが彼女になれば会社のみんなにウソをついている罪悪感は減るし、架空の彼女に気を遣いながら乙女ゲームの話をしなくて済む。しかし。

「……いいの?」

「いいもなにも、私はお願いしてる方ですよ。藍沢さんに『私とお付き合していただけませんか?』って」

「いや、だって、喜多さん好きな人いるんじゃなかったの? 同じ会社に」

 私が尋ねると喜多さんは目をぱちくりと(またた)かせてから、照れたように、拗ねたように、小さく笑って呟いた。

「鈍感」





「ふと思ったんだけどさ」

「なにがですか?」

 私の家に喜多さんが遊びにきた何度目かの日。持ってきてくれた同人誌を読みながら話しかけた。

「結局喜多さんと付き合ってること会社のみんなには言えないよね」

「まぁ、言いづらいことではありますけど」

「そうじゃなくて、これまで付き合ってたマヤは何だったのって話になるじゃない。いつ別れたのかとか、もしかして二股かけててバレたんじゃないのとか」

「じゃあいっそ、マヤは私だったとかどうです?」

「はぁ?」

「元々私たちは付き合ってたんですけど、私が藍沢さんと同じ会社に入ろうとしてたからバレないように偽名を使ってた、みたいな」

「うーん、無理矢理過ぎるような……」

「マヤさんと私の共通点とかないんですか?」

「年齢違うし大学も違うし……あ、でも料理は私より出来るっていうのと、小動物系の可愛いタイプっていうのは合ってるか」

「…………」

「なに照れてんの」

「いきなり褒めるからですよ!」

「事実を言っただけなのに」

 一人嬉しそうにしている喜多さんを放っておいて、ふっと息を吐く。

「ま、喜多さんと付き合ってることがみんなにバレて一番厄介なのは、色んなことを根掘り葉掘り聞かれるんだろうなってことだよね。恋バナと噂話大好きな子たちがいるから」

「あー確かに」

「私は耐性あるからいいけど、喜多さんは圧力に負けて話したりしないでよ?」

「しませんって」

「そもそも話せるほどのことがないか。健全なお付き合いだしねー」

 あはは、と笑っていると喜多さんが私のそばに寄ってきて、そっと腕に触れてきた。

「私はいつでも不健全なお付き合いになって構いませんよ?」

 色っぽい眼差しは時間が経つにつれてどんどん落ち着きがなくなり、ついには恥ずかしそうに顔を伏せて離れていった。

「恥ずかしいならやらなきゃいいのに」

「いいんです! しばらくほっといてください!」

 私は軽く笑って返しながら心の中で呟いた。

『うわ、思わずドキっとした……!』

 喜多さんと一緒に過ごせば過ごすほど、自分の感情の何かが膨らんでいくのを感じる。

 それを断定出来るほどの経験は私にはない。けれどもしその感情が何かが分かったとき、その気持ちを打ち明けたときの喜多さんを想像するとこれまた形容しがたい想いが湧いてくる。

 買った枕が無駄にならなくて済む日がくるのだろうか、なんて考えてる時点で私も健全じゃないなと気付き、喜多さんにバレないように笑いを噛み殺した。



    終


大変お待たせいたしました。


お気に入りのシーンはラスト前の、喜多さんが藍沢さんに小さく笑って呟くところです。

もうちょっといちゃいちゃを書いてもよかったかなぁ、と思ったり。

まぁこれから二人とも趣味を楽しみながら仲良くしていくんでしょう。


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― 新着の感想 ―
[一言] 喜多が藍沢に「鈍感」って言うところ、私も好きです。あと色っぽい空気で誘って段々恥ずかしくなってきて撃沈する喜多、言われて表面上平然としてるけど内心結構どきとしてる藍沢、どっちも好きです。
2021/01/29 04:19 退会済み
管理
[一言] ありがとうございます
[良い点] いや、ほんと好きです! シチュエーションとか主人公とヒロインの最初の関係性とかマジ好みすぎです! これからも応援しています!
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