ブレイデン(1)
参ったな、完全に邪魔者だ。
騎士団に寄ったものの、ライドン騎士団長に会うことができず早々に切り上げてこちらに来てみたのだが……。思わず気配を消してしまった。別れを切り出す女の顔をしたマーガレットがいたから。
若者に人気の、贈ると結ばれるといわれているデザインの耳飾りを見た時からわかってはいたのだが。
何が『憧れの人』だ。
彼女は立派な大人の女性で、憧れと恋の区別ぐらい、きちんとついている。
壁に寄り掛かったまま目を瞑り、しばらく二人の会話を聞いていた。
「お爺様の動きが怪しくなって、わたしとヒースの婚約は破棄か解消になるだろうと思ったの。どういう計画だったのかは知らなかったけど、そうなった時のために言ったの。子供の頃から憧れている人がいるから、その人以外は誰と結婚しても同じだって」
「それは嘘じゃないだろう」
「憧れてたのは嘘じゃないけど、同じじゃない! あの子は人前で泣くなんて絶対に許されないと思ってるの。そんな古臭い考えを押し付けられてる子なの。もし私がヒースを好きだったなんて認めたら悲しむのよ、下手したら泣かせてしまうの。わかる?」
嘘ではないのか。
思わず胸を撫でおろしてしまった自分の情けなさに苦笑が漏れる。
「鈍感!」
「否定できない」
「馬鹿!」
「それも否定できない」
「デオギニアで可愛い子と仲良くなってきなさいよ!!」
「無理だろうな」
「顔はいいんだから」
「そうか?」
「わたしにモテたんだから」
「知らなかった」
「言ってなかったもの」
「俺も好きだったよ」
さて、出るか————
デオギニアで流行っている娯楽小説の中なら、俺は完全に当て馬だろうな。
サファスレートでは、女性の意見は通らない。貴族令嬢が恋愛結婚など望めない。
そして俺もまた、この婚約は断れない。
本来なら二人を祝福して夫婦にしてあげたいところだが、ラムレイ前騎士団長に命を懸けられてしまっては……。
心の中で苦笑しながら、気配を消したまま二人に近付いた。
泣きそうな顔をしたままのマーガレットを、準備してもらった城内の休憩室へと誘った。
既に婚約済みのため、紅茶を淹れてもらった後はメイドも下がらせた。
ここを逃したら多分、この子は心を開いてくれないだろう。
そんな気がした。
ソファーに並んで腰掛け、紅茶を飲んだ。少し落ち着いてきたのか、マーガレットがほぅと、息を漏らした。気の強そうな見た目に反して、とても高い可愛らしい声をしていると思う。
「お恥ずかしいところをお見せしました」
まぁ、そう言うだろうなぁ……。
気にすることはないと首を振ると、無理に笑顔を作るマーガレットが痛々しかった。
「幼い頃からの付き合いですし、しばらくは帰って来れないでしょうから、お別れの挨拶をしましたの。ジークも行ってしまうし、寂しくなるなぁと思ったら感傷的になってしまいました。わたし達、八人で幼馴染でしたし……」
パチパチとエメラルドのような瞳を瞬いている。
また泣くのを我慢するのか……。
この国はどこまで女性から自由を奪えば済むのだろう。膝の上で固く握られた手の上に、傷だらけの無骨な手を乗せた。
「君たちを引き裂いてしまったこと、申し訳なく思っている」
「それは閣下のせいではありません」
「俺が結婚済みなら、君のお爺様はこんな無茶はしなかった筈だ。申し訳ない」
「そんなことは……」
言い淀んだマーガレットを見て、不謹慎だが素直で可愛いなぁと思ってしまった。顔に書いてある。なんでその歳まで結婚しなかったのか、と。
「知ってるとは思うが、俺は一度、結婚寸前で婚約を解消している」
紅茶をひと口飲み、心を落ち着かせた。
こんな時でも王宮の紅茶は美味しいなぁと思う。
「遠縁の男爵家の娘で、ガルブレイス家に侍女として働きに来ていた子だった。よく笑う明るい子だったんだが……」
常に身の危険を感じていたこともあり、結婚はしないつもりだった。けれども、何かと身の回りの世話を焼かれているうちに絆されていった。そんな俺たちの様子を見ていた両親からの勧めもあり、結婚を決意した。
後継など傍系から養子を取ればいいと常々思っていたが、両親は俺が独り身であることを単純に心配していたらしい。やっと結婚してくれるのかと、とても喜ばれた。
だから両親も令嬢の家格など気にしていなかった。そもそも英雄などと呼ばれていても、裏では田舎者と馬鹿にされている上に常に危険が伴う俺に嫁ぎたい女性などそれほど多くは無かったはずなのだが――――
「結婚前の挨拶のために王宮の夜会へ行った時だ。普段からあまり顔を出さないせいで何かと声をかけられているうちに逸れてしまった。その隙に、高位貴族の令嬢たちに、男爵家の令嬢が辺境伯に嫁ぐなど身の程を知れと散々やられてしまった。見つけた時にはドレスはワインで汚され、髪が酷く乱れていた。何とかタウンハウスまで連れ帰ったが、それからはずっと泣き崩れていた。デビュー以来という慣れない城の中で、辛い思いをさせてしまった。心を病んで食事も喉が通らなくなり、このままでは死んでしまうのではないかと、何度も医者に診せたが駄目だった。婚約を破棄して欲しいと毎日泣かれた。両親も親元へ帰してあげた方が彼女のためだと言い、俺たちは婚約を解消した」
一息つくように、もう一度紅茶を飲んだ。
マーガレットは、真剣な眼差しでブレイデンの瞳を見つめていた。
「国境の守護神だの英雄だのと呼ばれているのに情けないよな。婚約者一人護れず、何が神だ。俺は——君に憧れてもらえるような人間じゃない」
「わたしは」
「剣術大会で優勝したのを見てくれたんだっけ」
「はい」
「戦場は、あんなお綺麗なものじゃない。ただの殺し合いだ」
黙ってしまったマーガレットの手をそっと撫でた。
この子の気持ちが俺に向かなくても、この手を離すわけにはいかない。
「こんな俺で申し訳ない」
「謝ってばかりですわね。聞いているように見せかけて、わたしの気持ちなんて全然聞いて下さらないし」
マーガレットはそう言って頬を膨らませた。
その顔は、ちょっと……かなり可愛いが。
「君の気持ちを知ると挫けそうでな。俺は一度失敗しているし」
「まぁ、ずるい言い方ですこと」
「そう、大人はズルいんだよ」
「大人って、たかが三十歳じゃないですか」
「え?」
「お爺様は六十歳です」
「いや、将軍と比べられてもだな」
「まだ半分ですわ」
流石のブレイデンも黙るしかない。
その切り返しはなかなかだな、と感心したが、得意げに顎を上げてる姿は可愛らしいとしか言いようがない。
どこか冷めたような態度を見せながらも、本質的な部分での素直さは育ちゆえか。
「それに君ってなんですの? わたしは妻になるのでしょう?」
「あぁ、もちろん」
「それでしたらマーガレットでもメグでもお好きに呼んで下さいませ」
「メグは将軍しか呼ばぬ愛称では」
「ですから特別に呼んでもいいと言ってるんです」
可愛い孫娘を娶らないなど二度も言うのであれば私は腹を切るぞ、という手紙がマーガレットの祖父から届いて天を仰いだのだが——なるほど、目に入れても痛くないのはこれが理由か。
その真っ直ぐさは、この国では生き辛いだろう。
けれども、俺たちのような者には眩しく、それゆえ愛おしい。
「君……、メグが、愛される理由がわかった」
「今度は急になんですの」
「実に愛らしい」
「はっ!?」
「ヒースが惚れるのもわかる」
「えっ!?」
「これから全力で口説くことにする」
「何をおっしゃってますの!?」
あぁ、色恋の駆け引きは苦手なのか。
それでは堅物息子も自覚するのが遅くなるはずだ。
手を伸ばし頬を撫でれば、びくりと肩を震わせた。
ニッコリほほ笑んでみせると、今度は後ずさった。
逃がさないよう手を掴んで、その指先に口づけた。
「メグの気持ちが俺に向くまで待つ」
「向かなかったらどうしますの?」
「さて、どうしようか」
あぁ、嫌だな、頬が緩む。
本当は別れの辛さを吐露させ、胸に抱いて泣かせて終わりにするはずだったのだが。
怒らせたり、喜ばせたり、笑わせたりしてみたくなってしまった。我ながら随分幼稚なことを思っているとは思うのだが、仕方がない。多分これが――
「なぜそんな嬉しそうですの!?」
「メグが何を言っても可愛くて仕方がなくなってしまった」
「ですから! どうして急にそうなるのかお聞きしているんです!!」
「わからない。俺も初めてだ」
――恋か。
落ちるとはよく言ったものだ。
これを十代で知ったレオンハルトはさぞ振り回されたことだろう。
銀の髪とアイスブルーの精悍な顔を思い出していた。
「キスしていいか?」
「先ほど待つと!!」
「待てないかもなぁ」
そう言ったら、顔を真っ赤にしてうろたえている。
————キスもまだか。
こんな幼稚な意地悪をしたくなる自分が馬鹿らしくて笑えてくる。
「また笑って! もう、嫌いですわ」
「そうか」
馬鹿らしいのに、それを嬉しく思ってしまう。
怒って横を向いてしまったマーガレットの赤い髪をそっと撫でた。
馬に乗って風に吹かれたら、さぞ綺麗だろう。
「今度、一緒に遠乗りに出かけよう」
「えっ!?」
怒っていたはずなのに振り返った。
馬が好きなのは知っていたが、そこまでとは。
期待で瞳が輝いて可愛いし、素直さはやはり、どうしたって愛おしい。
「馬に乗ってもいいんですの?」
「もちろん。馬を贈ろう」
「!!」
思ってもいなかったのか目を見開いている。
乗馬すら否定されていたのか。さほど珍しい趣味とも思えないが、ライドン伯爵夫人は厳しい方だから。
「ガルブレイス領ではしたいことをするといい。剣の稽古にも付き合おう」
「キ……」
「ん? したくなったか?」
「なってません!!」
「そうか、それは残念だ。何が、とは言ってないが」
ニヤニヤ笑うと、また怒られた。
手を引き寄せ、抱きしめる。
耳元で可愛いなぁと呟いたら、真っ赤な顔で胸を叩かれた。
「メグ」
「今度はなんですの!!」
「柔らかいなぁ」
「ばっ、馬鹿!! スケベ!! エロジジイ!!」
マーガレットの痛烈な批判に、とうとう堪えきれなくなって爆笑してしまった。
こんなに笑ったのはいつぶりだろう。
「離せなくなりそうだ」
「信じられないっ!! もう大っ嫌いですわっ!!」
可愛らしく怒っているマーガレットの頬を撫でながら、泣いているよりずっと彼女らしくていいと思った。
「ガルブレイス領で、メグを幸せにすると誓うよ」
小さな声で囁いたら、胸の中で縮こまっていたマーガレットがコクンと頷いた。




