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レオンハルト(1)

 







「よう、レオン。久しぶりだな、一発殴らせろ!」


 ブレイデン・ガルブレイスは軽い身のこなしで執務室の中央まで駆けて来るなり、ソファーに座っていたレオンハルトへ腕を振り上げた。その腕を両手で受け止めながら叫ぶ。


「ちょっと待て、話せばわかる」


 咄嗟に護衛には手を出すなと指示していた。優秀な護衛は剣の柄すら握っていなかった。

 ブレイデンが金色の瞳で睨みつけてくる。


「人払いを」

「ブレイデンの言う通りにして」


 レオンハルトの言葉に従い、護衛や侍従たちは部屋の外へ出て行った。

 全員が出て、気配が遠ざかったのを確認してからブレイデンに座るよう促すと、無言で反対側のソファーへ座った。

 ブレイデンは、煩わしそうに黒い髪をかきあげていた。


「馬を殺す気か」

「本当に急だったし、ブレイデンなら三日で着けると思って!」

「わざと三日前に知らせたくせに、よくもぬけぬけと」


 ブレイデンは、ため息をつきながらソファーに背を預けた。

 その仕草を横目で見ながら、用意していた酒をグラスに注いで差し出す。無言で受け取ったブレイデンは即座に飲み干した。空になったグラスに酒を足し、自分のグラスにも注いで一気に飲み干す。喉が焼けて熱い。


「仲のいい婚約者たちを引き裂いて満足か?」

「満足なわけない」

「こんな茶番に屈するほど落ちぶれたか」

「返す言葉もない。デオギニアへの定期視察の間にしてやられた」


 散々足止めされ、嫌な予感がして切り上げて帰って来たけれど間に合わなかった。その際、宰相や有力貴族相手に相当暴れたが、ヴァレンティーナ嬢に傷が付く前に婚約を受け入れるしかなかった。


「兄失格だ。目に入れても痛くないぐらい可愛い弟にここまでお膳立てされたらもう舞台に上がるしかない」


 自嘲気味に言えば、ブレイデンは二杯目の酒を飲み干して言った。


「俺に言えたことじゃないが、お前の敗因はその年まで結婚しなかったことだ。お前が古参の爺たちにヴァレンティーナ嬢を娶れと言われながらも、ジークの為に抗っていたのは知ってる。上位貴族で釣り合いがとれそうな女性は結婚済み、下位貴族では納得してもらえず、他国にも爺たちに納得してもらえるような相手もいなくて、散々奔走していたのも知ってる。それでもお前の失態だ。ジークは、お前が困っていることに気付いていたはずだ。繊細で優しい子だ。いつか何か起きると————すまん、言いすぎた」


 ブレイデンの眉が下がる。

 珍しいものを見たなぁとレオンハルトは少しだけ笑った。


 ジークハルトは悩みながらもレオンハルトを慕ってくれている。口数は少なくても見ていればわかる。レオンハルトも、そんなジークハルトが可愛くて仕方がなかった。

 それだけに、ヴァレンティーナという選択は無かった。どんなにデジュネレス公爵が外堀を埋めようとも。


「王太子妃の処女性とかいう馬鹿げた風習を無くして、年相応の女性と結婚する計画だったんだけどなぁ」

「色々すっ飛ばし過ぎだろ、だからこんなことになるんだ」

「この国は古い決まりが多すぎるよ。純潔の証とか」

「あれはそもそも不完全だ」

「出ない子もいるよね」

「生々しい話はいらん」

「遅れてるんだよ。デオギニアならそんなことしなくても、本当に血が繋がってるか調べる技術がある」


 デオギニアのことを知れば知るほど、この国の時代錯誤ぶりがわかる。


 サファスレートの古い風習を変えたかった。

 遅れている医療や技術を発展させたかった。

 肩身の狭い女性の地位を上げたかった。

 理想は膨らみ、いつしか私を飲み込んだ。


 私はいつも————いつだって間に合わない。



「ジークの方がよほど王子らしいしな」

「そうなんだよ。あの子、素であの喋り方だし! 私と違って!」

「お前は話すと残念極まりないな」

「耳が痛い。これからヴァレンティーナ嬢に好きになってもらいたいのに」

「ジークほどじゃないが、お前もまぁ、悪くないぞ」

「それ褒めてないよね!? ブレイデンはマーガレット嬢の憧れだからいいだろうけど。いっそあの時、婚約しておけば良かったのに」

「できるか! こっちは戦場駆けずり回ってる上に、相手は六歳だぞ!? 受けられるか!!」

「六歳での婚約も、十二歳差もこの国じゃ珍しくないし」

「それがおかしい」

「でしょ!?」


 不毛だ。

 結局のところ、サファスレートの古い風習のせいだ。

 ブレイデンも同じことを思ったらしく、黙ったまま酒を注げとばかりにグラスを振った。


「ジークが立太子出来たらよかったんだけどな」

「ジークは自分を無能だと思ってるし、それこそ爺どもが許さない」

「無能ねぇ……十歳で五ヵ国語喋ってたけど」

「ジークに無能だと思わせた奴らは、第二王子が実は天才だと世間に知れたら都合が悪いんだろう」


 なんの都合だ。

 ただただ、私が長男だったからに過ぎないのに。

 次男はスペアという、カビの生えた風習のために。


 次男は長男より出来すぎてはいけない、

 そうでなければ


 自分たちが爵位を継いだ理由が無くなってしまうから。



「貴族なんて————滅びてしまえ」

「お前、間違っても俺以外の奴の前で言うなよ?」

「言わないよ」


 飛び級で進学したレオンハルトと、辺境周辺のゴタゴタでろくに学園に在籍してなかったブレイデンは、年齢も違うというのに三ヶ月ほど一緒にいただけで無二の親友になってしまった。


 ブレイデンは二十五歳でやっと婚約したものの、結婚直前に婚約を解消し、それからは誰とも婚約しなかった。


「はぁ……。もう本当、ブレイデン、私の右腕になって」

「辺境どうすんだよ、馬鹿か」

「だって辺境なのに王都の情報掴んでるし、情報からの指示は的確、人を見る目がある上に人望が厚い」

「辺境の田舎者とかすぐ言われるけどな、どう言う訳か密偵まがいのことを自分から希望してくる部下が絶えなくてな。部下が優秀なんだよ」

「嫌味!! それをカリスマ性って言うんだよ!! 羨ましい!!」

「お前も世間ではカリスマとか言われてるぞ」


 私のどこがカリスマだ。

 私はただ、この国が周辺国から置き去りにされていることに気付いただけの凡人だ。


「あれだ、お前もそんな悪くないから、とりあえず二人きりの時は絶対にヴァレンティーナ嬢に嘘をつくな」

「ん? なに、アドバイスしてくれるの?」


 ブレイデンは恥ずかしそうに視線を逸らしていた。


「演技とか嘘とか、そんなのもう散々だろ。これでまた夫になる男にされてみろ、不信感でいっぱいになるだろ。お前は精一杯、誠実に向き合え」

「え、抱いて?」


 茶化したら頭に拳骨を食らった。星が瞬いたよ、空に飛びそう。


「明日の茶番、仕方なく付き合ってやるけど貸しだからな? 覚えとけよ」

「お手柔らかに」


 レオンハルトが笑うと、ようやくブレイデンも仕方なさそうに溜息を吐きながら笑ってくれた。






 * * *






 アルフレッドの誕生会当日。

 打ち合わせを兼ねてレオンハルトの私室でヴァレンティーナと昼食を共にした。一応、ジークハルトとは会わないよう配慮したが、ジークハルトは全てわかっているのであまり意味はない。

 食事が下げられた後、人払いをした。

 誕生会の前に、きちんとプロポーズしておきたい。

 レオンハルトはヴァレンティーナの手を取り、片膝をついて見上げた。


 ジークハルトも綺麗だが、ヴァレンティーナも瞬く金髪に碧の瞳でとても美しい。二人並ぶと金の双子の天使のようだった。


「ヴァレンティーナ嬢、ジークの行動は決して、貴女をないがしろにしたいが為のものではなく、この歳になっても身を固めず、立太子もままならぬ私を思ってのこと——貴女とジークを救えなかった不甲斐ない私を、どうか許して欲しい。まだ気持ちの整理もつかず、私との婚約に戸惑うだろう。急がなくていいので、少しずつ私を知ってもらえないだろうか」


「レオンハルト殿下……」

「レオンでいい」


「……レオン様……」

「うん」


「わたくしは、ジークハルト殿下にも、レオン様にも、そのようにお心を砕いて頂けるような者ではありません」

「どういう意味かな?」


 優し気に見えるであろう表情で聞いてみる。


「わたくしは……レオン様と婚約できるとお聞きして……喜んでしまったのです」


 罪を告白する人の顔になったヴァレンティーナが、目を瞬いてる。泣くのを我慢しているらしい。

 続きを話すよう、手の甲をそっと撫でた。


「子供の頃から王太子妃になれと、なれぬお前に価値などないとお父様に教えられてきました。なぜレオン様を……ゆ……誘惑できないのだと……役立たずと言われ、頬を叩かれておりました……これからは……そのような目にあわずに済むのかと喜び、安心してしまったのです」


 あぁ————やはり私は凡人だ。


 デジュネレス公爵のやりそうなことではないか。

 ジークハルトとの婚約を継続させることばかりに目が向き、そこまで気付くことができなかった。


「わたくしは、ジークハルト殿下がわざとマリア様と親しくされ、レオン様と婚約できるようにして下さっているのを知りながら、そのお心に甘えたのです。周りのご令嬢を巻き込み、醜くも傷ついたフリをし、婚約者に浮気される可哀そうな令嬢を装いました。レオン様の婚約者となれば、人々はわたくしを称えるでしょう。けれども、こんなにも醜いわたくしなど未来の王妃に相応しくありません。どうかわたくしを国外追放か修道院送りにして下さいませ」


 ポロポロと涙を流し始めたヴァレンティーナの手を取り、ソファーへエスコートした。

 隣に座り、もう一度手を取って少し強めに握った。


「貴女の気持ちはわかった。けれど国外追放や修道院送りなど、そんな娯楽小説のような終わりは受け入れられない」

「ですが!」

「貴女を追い込んだのはこの国と王家の下らぬ風習のせいだ。ジークに甘えたと言うが、女性の地位が低いこの国で、それ以上なにができる? 私は、できぬと断言できる。責を問われるならそれは私だ、ヴァレンティーナ嬢」


 頬を伝うヴァレンティーナの涙を手でそっと拭った。

 小刻みに震える肩は小さく頼りない。その小さな肩に、どれほどの重圧がかかっていることか。


「私は留学中、この国がどれほど遅れているか思い知らされた。デオギニアでは当時から貴族社会など名ばかりで、皇族さえ自由恋愛をしていた。十六歳の私はとても驚いたが、二年も経てばすっかりデオギニアに馴染んでいた」


 ヴァレンティーナの瞳が探るような色を見せた。


「私は婚約者がいる身にもかかわらず、皇女と恋に落ちた……」


 ヴァレンティーナが息をのんだ。


「相手が皇族だったのもあり、婚約を解消して新たに皇女と婚約を結べるのではないかと方々手を尽くした。私の婚約者は若く、とても綺麗な令嬢だったので、婚約を解消しても引く手数多だと思っていたのだ。今はそれがどれだけ酷い仕打ちかわかるが、当時の私は知らなかったのだ。無知とは罪だ」


 私は目を伏せた。

 言葉にすれば自分がどれほど愚かで残酷だったかわかる。

 王子としての自分は理解できても、令嬢の置かれている立場を知る機会がなかった。留学前は、ただひたすら剣と勉強に明け暮れていたから。


「令嬢は侯爵家だったが、令嬢の母親は辺境と隣接しているジテニラ王国の末姫だった。本来なら人質として王族に嫁ぐところだが、当時どういう訳か侯爵が娶った。結局は幾度となく小競り合いを繰り返していたのだから人質などというものに意味があったのかは不明だが、それでも侯爵家をないがしろにはできないと判断され、婚約は継続された」


 ブレイデンの考察は、ほぼ正しかった。けれども、ひとつだけ間違っていた。

 私は、婚約者探しに奔走していたのではない。

 奔走しているフリをしただけだ。

 その間に法律を変え、結婚しないまま立太子し、ジークハルトの子供を養子にする予定だった。


「私が二十歳になった時、私と皇女は別れることになった。デオギニアとしてもサファスレートとは揉めたくない、私も婚約を解消できない。手詰まりだった。そうして帰国してみれば、令嬢は病に臥せっていた。幾度となく訪問したが、門前払いだった。当然だな、こんな不誠実な男など。私はこの時はじめて、彼女を苦しめていたことに気付いた。遅いだろう? 初めての恋に夢中で、若い婚約者がどんな気持ちで私の帰国を待っていたか、想像できていなかった——そうしているうちに彼女は体を弱らせ流行り病にかかり、二度と会えなくなってしまった」


 こんな最低な私など、二度と立ち上がれないぐらいの悪評が流れればいいと思った。

 それなのに、医療改革が間に合わず婚約者を無くした気の毒な王子という話にすり替わっていた。


 責められないことが私の罪だと思った。

 結婚など望んではいけない。

 誰かを幸せにすることなどできない。

 この国の遅れを取り戻すことだけを自分の生きる糧にして過ごしてきた。


 レオンハルトはヴァレンティーナに頭を下げた。


「医療改革の王子などと言われているが、その中身は不貞を働いた上に婚約者を死なせた人殺しだ。貴女の葛藤など、私の罪に比べたら些細なこと…………むしろこのような私に嫁ぐなど、貴女には苦しみしかないと思う。それでもどうか——身を挺して貴女を護ろうとしたジークのためにも、私の妃になってもらえないだろうか」


「レオン様」

「……………………」

「どうかお顔をお上げ下さい」


 ゆっくり顔を上げると、ヴァレンティーナがハンカチで涙を拭ってくれた。

 私に涙など、流す権利もないというのに。


「不束者ですが、どうぞ宜しくお願い致します」


 ヴァレンティーナはそう言うと、綺麗なお辞儀をした。

 それは優雅で、とても洗練されていた。



 ジーク、

 君が護りたかったお姫様は、

 私が生涯をかけて大切に護るから、

 不甲斐ない兄を、どうか許して欲しい。




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