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マーガレット(3)



 ヴァレンティーナの茶会は、彼女専用の庭園で行われた。八人でテーブルをずらりと囲んだのは三十年ぶりだろうか。ヴァレンティーナとジークハルトが婚約して開催されなくなった茶会を、とても残念に思っていたが。まさかヴァレンティーナまでそんな風に思っていていたなんて、ちっとも知らなかった。


「今日はひとつ、皆様にお願いがございます」


 フリルの多い甘やかなドレスを着たヴァレンティーナは、少しふっくらした頬を上げて幸せそうに微笑んだ。こんな笑顔は見たことがない。思わず息を呑んだのはマーガレットだけではなかったはずだ。


「今日はどうか、昔のようにヴィーと、そう呼んでくださいな」

「やだ! あらたまってそんな! わたしならいつだって呼ぶよ?」

「エミーリアはそうでしょうけれど。皆さまは、お願いしなければ呼んではくださらないでしょう?」


 そうですよねと、皆を見渡す仕草まで可愛らしい。小首を傾げて、ニコニコしている。これには無表情を気取っていた男性陣も驚いた顔を隠せないようだった。


「いや、さすがに王妃様を……呼びづらいけど、ヴィ……ヴィーがそこまで言うなら、七歳以来だけど、頑張るよ?」


 アルフレッドが困ったように頬をかいた。

 それにつられてジークハルト、リアム、ヒースもぎこちなく頷いており、その戸惑いがこちらにまで伝わってきて思わず吹き出しそうになってしまった。


「幼子のようでお恥ずかしいのですが、ずっと夢だったのです。皆様ともう一度あの頃のような茶会を開くのが」


 はにかむように笑ったヴァレンティーナは、いっそあの頃よりも幼く見えた。


「わたしだってずっと夢見てたよ? ね? アリシアちゃん?」

「ええ……ええ、そう、そうですね」

「ん? なになに? もしかして素のわたしに驚いてる?」

「はい、申し訳ありません」

「やだ! 固い! ちょっとリアム君まで、口開いてるよ?」


 エミーリアの言葉にリアムを見れば、本当に口をポカンと開けていた。

 アリシアもいつもの無表情が剝がれ落ちている。

 とうとう堪えきれず吹き出すと、隣に座ったヒースが非難するような目でマーガレットを見た。

 

 だって、ねぇ?

 あのアリシアが、だよ?


 そんな風に視線で訴えてみたけれど、んんっとか咳払いして誤魔化された。


「ごめんね、素のエミーリアはこんな感じなの。僕とヴィ、ヴィーしか知らないと思うんだけど……マーガレットは知ってた?」


 アルフレッドから急に振られたので驚いたがコクコク頷いた。

 知ったのはつい最近、グラント公爵家へセレスティアと共に訪れたときだ。


「だって今日は他に誰も見てないし。サファスレートも緩くなってきたから、皆の前ならもう素のわたしでもいいかなって」


 屈託なく笑うエミーリアを、アルフレッドが愛おしそうに眺めていた。

 相変わらず仲がよくて見てるこちらまで幸せな気持ちになる。


「それと、いつ言おうか迷ってたんだけどね。四人目ができたの。グロリアーナちゃんと同い年になれるかも」

「本当ですの!?」


 エミーリアの告白に、ヴァレンティーナは跳ねるようにして喜んだ。

 グロリアーナというのは、ヴァレンティーナの三人目の子どもだ。


「あー、それならうちも。五人目が」


 ジークハルトが今言わなければとばかりに食い込んだ。人の会話に食い込むジークハルトを見られる日がくるとは。いつも一歩引いた場所で全てを眺めているようなところがあったのに。皆の祝福にも笑顔で応じている。肩の力が抜けたジークハルトは、昔よりもずっと魅力的だ。


 ヴァレンティーナとエミーリアの砕けた雰囲気が皆を明るい気持ちにしたのだろう。

 心なしかアリシアとリアムの頬にも赤みが戻ってきたように感じる。

 ヒースは隣でニコニコしていた。


 ちなみに席順はプライベートな茶会といえども爵位順である。こればかりは致し方ないというか、それこそがいつも通りの席順ともいえる。ヴァレンティーナとジークハルトの席が交代した程度の違いだ。


「ねぇ、アリシアちゃんとマーガレットもどう?」

「どうって、なに!?」


 思わず過剰に反応してしまったマーガレットを見てエミーリアがニヤニヤしている。


「みんなの子どもがまた一緒に学園に通うところ、見たくない?」

「それならわたしにはセレスティアがいるわ」

「グロリアーナちゃんが入学するころには、ミラベルもティアちゃんも卒業しちゃうじゃなーい」


 気が付けば七人全員がマーガレットに注目している。やめて欲しい。正直、そんなこと……なきにしもあらずなのだ。居心地が悪い。


「あれ? もしかして?」

「エミーリア、オジサンみたいなこと言わない」

「え、ごめん?」


 エミーリアはアルフレッドに窘められたが、あまり反省の色は見られなかった。


「そういえば、フローラ嬢の転校はなくなったって聞いたんだけど、本当?」


 アルフレッドが心配そうにリアムとマーガレットを交互に見ている。皆がフローラを心配している。ほぼ危険人物は逮捕されたので、前よりは安全になったけれど。


「王都でまだやってみたいことがあるらしい。ガルブレイス辺境伯とマーガレットには気遣ってもらったのに、申し訳ない」


「なに言ってるのよ。そんなの気にしないで。フローラちゃんが自分で決めたことだもの、わたしは応援するだけよ」


 マーガレットは本心からそう答えた。


 詳しく聞いたわけではないが、フローラは普通の令嬢のような生活を送ってみたいのではないだろうか。友だちと買い物へ行ったり、流行ってるカフェでお茶を飲んだり。デオギニアで流行っているような『お揃い』のものを身に着けたり。もちろんガルブレイス領でも似たようなことはできるが、同じことはできないだろう。どうしても領主の嫡男のお嫁さんという目で見られてしまうから。


「皆様、お話の途中でごめんなさい。授乳の時間になってしまいました。少し席を外しますね」


 ヴァレンティーナが立ち上がり、柔らかに微笑む。彼女を迎えに来た侍女が皆に礼をして、庭園から扉へ歩いて行った。


 王妃が授乳するなどサファスレートでは初めてのことだろう。

 デオギニアではかなり前から推奨されているらしい。母乳は赤ちゃんの免疫に良いとか。

 エミーリアはシャーロットのときから授乳していたようだ。


 ヴァレンティーナと入れ替わるようにして、子どもたちが顔をのぞかせた。

 近くの部屋で遊んでいたのだけれど、扉が開いたので茶会が終わったと思い、顔を出したのだろう。アルフレッドのところへミラベルが駆け寄った。


「おとうさま、抱っこー」

「ん。わかったから暴れない」


 アルフレッドの膝の前でじたばたするミラベルを抱き上げ、膝に乗せた。その姿を、後ろの扉から不安そうな顔をしたエリオットが見つめている。そうしているうちに、セレスティアも顔を出した。流石と言わざるを得ないが、フェルナンとデレクは顔を出していない。言いつけを守っているのだろう。


 妹が茶会に突入してしまい、困った顔をしたエリオットがエミーリアに助けを求める様に視線をさまよわせている。気の毒になり、セレスティアを自分の方へ呼び寄せた。これでエリオットはエミーリアの近くへ行きやすくなっただろう。


「おかあさま、おちゃかいおわったの?」

「まだよ。でもお膝にのっていいわよ」

「ティア、ケーキたべたい」

「その前にほら、靴は脱いで」


 膝によじのぼろうとするセレスティアの靴を脱がせたい。王宮に来るのに軽装というわけにもいかず、身動きがとりにくいドレス姿のマーガレットが困っていると、ヒースがセレスティアの靴を脱がせてくれた。


「ありがとう。ごめんなさい、こんなことさせて」

「家ではいつもやってることだ。気にしなくていい」


 セレスティアを見つめるヒースは、精悍さが増したのに随分と優しい雰囲気になっていた。今までも何度か会う機会はあったが、こんなに長く話すのは別れたあの日以来かもしれない。


「マーガレットにそっくりだな」

「そう? みんなに言われるんだけど」

「あぁ、懐かしいよ。あの頃のマーガレットだ」


 手をしっかり拭いてから、セレスティアにケーキを切り分け、口まで運んでくれた。

 あまりにも自然な仕草に、マーガレットはそわそわしてしまった。


「ありがとうございます」

「どういたしまして、可愛いお姫様。うちのデレクは君に優しくできたかな?」

「はい。とってもやさしかったです。おとうさまでした」

「「え!?」」


 マーガレットとヒースが同時に声を上げてしまった。どういうこと!?


「おかあさまになりたかったのに、ティアはあかちゃんでした」

「あぁ、ああ! そういう!?」

「うん、あれか、おままごとか!?」

「そうね。そうでしょう!?」

「ミラベルさまはおかあさまで……フェルナンさまは……わんちゃん」

「「わんちゃん」」


 どうしよう、高貴なるお方を犬にしてしまった!!

 同じことを思ったのかヒースも困ったように眉を寄せている。

 子どもの遊びだからとは思うけど、どうしてお兄ちゃんにしなかったのだと言いたくなる。


 ちょうどそのとき、皆が帰ってこないことを心配したデレクとフェルナンが顔を出した。

 ヒースが手招きしたようで、デレクがこちらへ向かってくる。フェルナンはジークハルトの元へ行ったようだ。


「似てるとは思ってたけど、近くで見ると本当にそっくりね」

「そうだな、こんなに似るとは思わなかったよ」


 デレクは父親の膝に乗るのが恥ずかしいのか、立ったままヒースの椅子のひじ掛けに手を置いて静かにしていた。

 もう少し大きくなったら、婚約が決まったあの頃のヒースと見紛うばかりだろう。


 胸にこみ上げる感情が何かはわからないが、苦しいような愛おしいような押し寄せる感情の波に翻弄されてしまう。


 誓って、とうの昔に封印した恋心では、ない、はず。


「デレク、フェルナン様も座れずに困っていらしゃるから、中にいるメイドにお願いして椅子を増やしてもらいなさい」

「わかりました」


 キリっとした受け答えまでそっくりだった。

 去っていく背中が名残惜しくて、つい目で追ってしまった。


「そんな目で見るな」


 絶対にセレスティアには聞こえないであろう小声で囁かれた。お互いに視線はデレクの背中に向けたままだ。

 断じて浮気などではないのだが、心臓がうるさいぐらいにドキドキした。


「ただの懐古よ」


 意地で言い返してみたが、次の言葉に胸が締め付けられた。


「幸せそうで安心した」


 ――互いに、幸せであって欲しいと、願う以上の感情はない。


 ずっとずっと考えないように、深く深くに埋めた恋心は、たぶん、美しいままで。

 取り出したら何かが弾けてしまいそうな気がするそれは、埋まっているからこそ美しく見えてしまうのだろう。少しだけ感傷的な気分になるのはきっと、そのせいだ。


「ヒースも」


 呟いた声に、特別な色が乗らないように気を付けなければならなかった。


 セレスティアが庭園を動き回りたいような素振りを見せる。アルフレッドが遠くで手招きしているからミラベルと一緒に花を見て歩くのかもしれない。

 ヒースに靴を履かせてもらったセレスティアはスキップしながらミラベルの方へ向かった。


「その顔のまま帰らないほうがいい、誤解される」

「心配しなくても大丈夫よ。夫は大人だから、嫉妬なんてされたことないし」

「……相変わらず男心がわかってない」

「鈍感なヒースに言われたくないわ」


 二人とも紅茶を飲み、まるで会話などしていないように見えるはずだ。


「確かに」


 ふ、と笑ったヒースの顔は、直視できなかった。

 

 授乳を終えたヴァレンティーナが戻って来て、宝玉のような美しいグロリアーナをエミーリアの次に抱かせてもらった。次はアリシアの番だろう。顔を彼女の方に向けると、真っ青な顔をしたアリシアが口元を押さえていた。


「アリシア、どうしたの!?」

「……、大丈夫、気にしないで」

「ちょっとアリシアちゃん、大丈夫じゃないよね!? 真っ青だよ!? ヴィー、お医者様呼んで」


 即座にヴァレンティーナが侍女に合図をすると、数分もしないうちに医者が現れ、アリシアを控室に連れて行った。


「毒ってことは、ないわよね?」

「吐いてはいなかったけれど……」


 現場維持のため、お茶に手をつけずに待った。

 静かになった庭園で、医者の診断待ちという重苦しい時間が続いた。リアムはアリシアに付き添っている。


 長い時間が過ぎ、リアムだけが戻って来た。

 皆の緊張が高まる。

 フェルナンとデレクも、不安そうに父親の隣に座っていた。

 エリオットとミラベルとセレスティーナはヴァレンティーナの侍女が庭園の散歩へ連れて行ってくれている。


「驚かせてすまない。どうやら我が家にも、子どもが増えるみたいだ」


 真っ赤な顔でそう呟いたリアムの肩をアルフレッドが抱き、喜びを分かち合っていた。





 アリシアの体調不良は、ブレイデンの耳にも入ったようだ。

 茶会を終え、セレスティアと共に馬車に乗り込むと、腕を組んで背もたれに寄り掛かったブレイデンが待ち構えていた。


「おとうさまー!!」


 大喜びでブレイデンに手を伸ばすセレスティアを彼が抱き上げる。マーガレットを見つめる瞳に、一瞬たじろいでしまった。


「む、迎えに来てくれたの?」

「あぁ。アリシア様が倒れたとの知らせがあったから」

「心配しなくても大丈夫よ」

「おめでただったようだな」

「うん」


 どうしてだろう。背中に汗が伝う。

 ちゃんとガルブレイス家の護衛とここまで来たし。

 ジークハルトとヒースは先に退出していたから、大丈夫なはず。

 ……大丈夫ってなに。


 ブレイデンに近付くと、確かめる様に瞳を覗かれた。


「おかえり、マーガレット」

「うん、た、ただいま?」


 マーガレットの表情を一瞬たりとも見逃さないブレイデンの視線に、小さく震えてしまった。


 もしかして、これが嫉妬?

 まさかね。

 ブレイデンがそんなものに囚われるはずがない。


「おとうさま、おなかすいたの。ごはんたべたい」

「いっぱい遊んだからか?」

「うん、あそんだ。たのしかったの。あのね、フェルナンさまはわんちゃんなの」


「それは……」

「うん、ジークのところの次男くん」

「……そうか」


 さすがはブレイデン、理解が早い!!

 じゃなくて、もっと食いついて!?

 

 視線で訴えてみたが無視された。


「エリオットさまは、ひつじなんですって」

「執事ね?」

「ティアがあかちゃんはいやってゆったら、フェルナンさまが、ぼくはわんちゃんだから、あかちゃんうらやましいなぁーってゆったの! だからティアは、あかちゃんでよかったの!」


「お、大人ね。さすがジークの子」


「それでね、あれ? おとうさま、おかあさまをだっこしたいの?」

「わかるのか?」

「ティアはあかちゃんじゃないからわかるの!」

「ティアはすごいな。お母様を抱っこしてもいいか?」

「いいよ! おかあさまがあかちゃんね?」

「え、ちょっと、やめて、わたしは赤ちゃんじゃないってば」

「よしよし、マーガレットはかわいいなぁ」

「やめて! 撫でないで!」


「わんわん!」

「今度はなに!?」

「ティアがわんちゃんになるの! わんわん! おかあさまはあかちゃんでいいなぁ!! わんわん」


「ねぇ、うちの子不敬罪に問われたりしないわよね?」

「さぁな?」

「しないって言って!」

「どうだろうなぁ?」


「わんわん!!」


「ねぇ!! しないって言って!!」


 抱き上げてくるブレイデンの肩をバシバシ叩くと、ブレイデンが堪えきれずに大笑いし始めた。




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