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ヒース(1)

 




 初めてマーガレットに会ったのは四歳の時、宰相家の庭園だった。

 父から将来はジークハルトに仕えるのだと教えられていたため、その後も度々行われた令嬢たちとのお茶会も、ジークハルトの付き添いだと思っていた。

 それはある意味では正解だったが、不正解ともいえた。


 側近候補と婚約者候補の令嬢たちは、相性や家格の釣り合いなどを見ながら、それぞれの婚約者として見定められていたらしい。

 そのことを知ったのは、マーガレットと婚約した八歳の時だった。

 七歳でジークハルトが婚約した際、ジークハルトはヴァレンティーナを選んだのだなぁと思う程度だったので、まさか一年後に自分も婚約することになるとは思わなかった。


「わたしたち、子どもなのに婚約するんですって。よろしくね」


 マーガレットは当時から、思ったことをはっきり言う子だった。

 サファスレート王国の令嬢としては、珍しいタイプだ。ヒースの母はそのことにあまりいい顔をしなかったけれど、それを父に諫められていたように思う。

 マーガレットの祖父は、前騎士団長で、前騎士団長を尊敬していた現騎士団長の父からすれば願ってもない縁談だった。


 父がマーガレットの剣の稽古をつけることもあった。

 息子を差し置いてマーガレットを構う様子に、母は眉間の皺を深めて怒っていたけど、ヒース自身は『父上の機嫌がいいからよかった』ぐらいの呑気さだった。


 自分に無頓着なのは子供のころからのようだ。

 心の振り幅が狭いのかもしれない。

 ジークハルトを護るという使命が最優先で、他のことはどうでもいいというような感覚だった。


 国王に愛妾ができたころから、ジークハルトの様子が徐々におかしくなり始めた。十三歳という誰もが多感な時期のことだった。いらぬ噂話もさんざん耳にした。

 気にはなったが、考えるのはヒースの仕事ではない。

 リアムとアルフレッドが、少しずつ暗くなっていくジークハルトをどうにかしようとしているのは知っていた。


 ヒースにできることは、何かあった時にジークハルトを剣で護ること。

 決意を新たにし、これまで以上に鍛錬に励んだ。側近の務めとして周辺国の語学や教養も積極的に学んだ。特にデオギニアは重要な国なので重点的に学んだ。


 ジークハルトの様子が少しおかしいとはいえ、特に何が起こるわけでもなく過ごしたはずの学園を、もうすぐ卒業というころ。急に雲行きが怪しくなった。

 マリアという令嬢が近付いて来てからだ。最初はリアムが上手く避けていたけれど、そうすればするほどジークハルトは目立つ場所でマリアを構うようになった。マリアの言うことを真に受け、ヴァレンティーナ達を詰問する様に戦慄を覚えた。

 戸惑いながらリアムに相談すると、ヒースの仕事は既成事実を作ろうとするマリアを阻止することだと言われた。これまで以上に二人きりにさせないよう気を付けなければ。


 マリアはジークハルトのみならず、リアムやアルフレッド、ヒースの腕などに触れ、甘えた声を出し、上目遣いで目をパチパチと瞬いて妄言や戯言を吐いた。正気を疑う。これは本当に危ない。危機を感じ、マリアが近くにいるときはマリア自身を見張ることにした。


「ヒース君が可哀そう」

「何のことだ?」


 ジークハルトがリアムと共に席を外した際、マリアがにじり寄ってきて言った。


「マーガレット様ってぇ〜、冷たいでしょう? ヒース君が大変な時もぉ、笑ったりしてぇ~」


 両手を組んで胸の前で合わせて目を瞬くと男は喜ぶのだろうか。わからない。気味が悪いだけだ。


「君にマーガレットの何がわかる?」

「見ればわかるよぅ〜! あたしならヒース君に寂しい思いなんてさせないからぁ~!」

「寂しいと思ったことはない」

「そんな嘘つかなくても大丈夫〜! あたし知ってるからぁ~!」


 言い返してやりたかったが、令嬢にキツイ言葉を浴びせるなど紳士のすることではない。

 我慢したが身体は正直だった。怒りで全身の毛が逆立っていた。


 誰のせいでマーガレットのエスコートを断ったと思ってるんだ!!

 ジークと二人きりになんてさせないからな!!

 そもそも誕生会に呼ばれてもいないくせに!!


 脳内で叫びながら、血管が浮くほど拳を握って耐えた。



 確かにマーガレットは、甘いことは言わない。

 けれども、彼女はいつも正直だったし、誠実だった。嫌なことを嫌と言ってくれる彼女は、機微に疎いヒースには合っていた。


 自然と、デビューの際はマーガレットに自分の色のネックレスを贈りたいと思っていた。けれども、ヒースの黒い髪とグレーの瞳は、デビューを飾る色としては壊滅的だった。自分の容姿に興味などなかったはずなのに、この時ばかりは自分の色を呪った。


 同じく茶色の髪と瞳のアルフレッドも自分の色を呪っていたけれど、アルフレッドは人好きのする優しい美男子なので土台が違う。加えて公爵家嫡男なので、人気店で希少価値の高い入手困難なネックレスを贈ることで色問題をあっさりクリアーしていた。

 人を羨んだのは、この時が最初で最後だったと思う。


 足りない資金と自分の色を贈れないもどかしさをデザインでカバーするために、若い女性に人気のデザインを多く扱う店をアルフレッドに紹介してもらい、耳飾りを購入した。

 安物で申し訳ないと言えば、赤くて可愛いから好きだと言われ、デビュー当日はヒースに見せながら花のように笑ってくれた。とても可愛かった。

 ヒースも、この時ばかりは顔を綻ばせた。


 マーガレットの、釣り目がちな大きな深い緑の瞳が好きだった。

 剣を持てば勇ましくも美しく、馬に乗れば燃えるような赤い髪をたなびかせながら楽しそうに笑う姿が好きだった。

 裏表のない性格が好きだった。



 ——————好きだった。



 ———————そうか、好きだったのか…………




 気付いた時には全てが終わっていた。


 ジークハルトは、近付いてきたマリアを利用し、学園の流行りに乗じて婚約を破棄しようとしていたらしい。ジークハルトは多くを語らないので、なぜそんなことをしたのか本当の理由はわからない。

 ひとり悲しい決断をしたジークハルトのことを想うと胸が痛んだ。

 剣の腕を磨いても、ジークハルトの心までは護れなかった。そんなことはわかっていたはずなのに、護るという言葉の意味が、ヒースの心を酷く(なぶ)った。



 窓際に座って外をぼんやり眺めるジークハルトが呟く。


「巻き込んですまなかった」

「いえ……」


 振り返ったジークハルトがヒースを見た。


「マーガレット嬢のこと、好きだったのだろう?」

「……はい。しかし、閣下は尊敬できる人ですから……」


 ヒースもかなり体格のいい方だが、ガルブレイス辺境伯は桁違いだ。社交界では色気のある美丈夫として人気がある。普通ならマイナスになりかねない頬の刀傷でさえ、美しい顔を引き立てるアイテムだ。纏う覇気は多くの戦場を駆け抜けたそれであり、領民からの信頼も厚い。騎士団でも慕う者が多く、辺境伯領への移動願いが出るほどだ。

 何よりマーガレットの憧れの人物であることは昔からよく知っていた。



「このようなやり方しかできなかった私を許せ」


 そう言って、こんな時ですら泣かないジークハルトは、顔を歪ませて笑った。



 この人はどうしていつも——————



「ジーク、これからはご自分を傷つけるようなやり方は止めて下さい」

「傷ついているのはヒースだろう?」


「ジークもですよ」

「……そうか…………私は傷ついているのか」


 そう言ってまた、窓の方へ顔を向けてしまった。





 留学先へと旅立つ前日、登城していたマーガレットと会った。

 あの赤い耳飾りをつけていた。


「元婚約者の俺と、こんなところで会っていて平気なのか?」

「閣下も登城されていてご存知よ。少しお時間を頂いたの」

「そうか……」


 ガルブレイス辺境伯は、余裕があるのだろう。

 金色の瞳の、黒獅子のような姿を思い浮かべた。


「今回のこと、わたし怒ってるのよ」

「……すまない」


「勘違いしないでね。わたしが怒ってるのは、アリシアに嘘をつかなきゃいけなかったことについてよ」

「嘘か……マーガレットらしくないな」


「お爺様の動きが怪しくなって、わたしとヒースの婚約は破棄か解消になるだろうと思ったの。どういう計画だったのかは知らなかったけど、そうなった時のために言ったの。子供の頃から憧れている人がいるから、その人以外は誰と結婚しても同じだって」

「それは嘘じゃないだろう」


「憧れてたのは嘘じゃないけど、同じじゃない! あの子は人前で泣くなんて絶対に許されないと思ってるの。そんな古臭い考えを押し付けられてる子なの。もし私がヒースを好きだったなんて認めたら悲しむのよ、下手したら泣かせてしまうの。わかる?」


 わからない。

 いまなんて言った?


「鈍感!」

「否定できない」


「馬鹿!」

「それも否定できない」


 俺がそう言うと、デオギニア語の本で胸を叩かれた。

 素直に受け取ることにする。餞別だろうか。


「デオギニアで可愛い子と仲良くなってきなさいよ!!」

「無理だろうな」


「顔はいいんだから」

「そうか?」


「わたしにモテたんだから」

「知らなかった」


「言ってなかったもの」

「俺も好きだったよ」


 なんだその顔は。

 まぁ、知らなかったよな?

 俺も知らなかった————自分の気持ちなんて。


 互いに見つめ合っていたら、いつの間にかガルブレイス辺境伯がマーガレットの隣に来ていた。

 どこから聞いていたのだろう。

 会話に夢中で気配を察知できなかった。

 慌てて頭を下げる。騎士失格だ。


「お元気で、ヒース様……」

「ありがとう、マーガレット嬢も……お元気で」


 マーガレットは泣きそうな顔をしながら笑った。

 並んで歩く二人の背を見送る。


 痛む胸をおさえながら、マーガレットがこの先も笑顔でいられるように願った。




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