表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
48/57

アリシア(3)




 開いていた図鑑を閉じ、十三枚目の栞の裏に、調べた花の名前と今日の日付を書いて、鍵のついた赤い小箱にしまった。


 フローラに毒を盛ったメイドから毎年贈られてくる栞は、戒律の厳しい修道院で摘んだ花を押し花にしたものだ。

 王都では見かけない野花なので、図鑑で名前を調べては記載し、保管している。


 短い手紙には、フローラの無事を願う言葉しか書かれておらず、彼女がどう過ごしているのかはわからない。栞が送られてくるぐらいには元気なのだろうと、そう思うしかなかった。


 優しい子だった。

 子どもたちにも懐かれていた。

 フローラを想いながら作ったはずの栞を、今年も小箱へ入れてしまった。例え彼女を覚えていなくとも、フローラに渡すべきなのだろう。


 彼女を救うことができなかった。

 いつもより長く立ち止まり、アリシアを見つめていた瞳を思い出す度に唇を噛みしめてしまう。

 打ち明けようとしていたのだろう。気にはなっていたが、忙しさから後回しにしてしまった。

 迷っている彼女の背中を、そっと押すような、そんな言葉をかけることができていれば……


 自分の未熟さを認めながらも、それでも我が子を失いそうになったあの事件を、彼女を、許すことができずにいる。

 この栞がアリシアの手元にあるのが何よりの証拠だ。

 それなのに、捨てることもできない。

 戒めのようでありながら、捨てないことで彼女の想いを受け取っているような、そんな気持ちでいるのだ。


 私室の扉がノックされ、侍女のエラが顔を出した。

 栞が届いた日は、こちらがベルを鳴らすまで入って来ないというのに、どうしたというのだろう。珍しいこともあるものだ。


「奥様、ブリジット・ヒューズ様という、お嬢様のお友達がいらっしゃっているのですが」

「先触れもなしに?」

「はい。お引き取り願いましょうか?」

「……いいわ、応接室にお通しして」

「かしこまりました」


 ブリジット・ヒューズ伯爵令嬢は、応接室に入ってきたアリシアに深く頭を下げた。

 茶色の髪を一纏めにして、少しシワの入った紺色のワンピースを着ていた。装いは他家の訪問にそぐわないが、聞き及んでいる彼女の今の状況からは致し方ないといえるだろう。


「先触れも出さず、急な訪問でご迷惑をおかけして、申し訳ございません。どうしてもお話したいことがありまして、無礼を承知で伺いました」

「顔をお上げになって」

「……はい、ありがとうございます」


「どうぞ、お座りください」


 顔を上げ、ソファーに腰かけたブリジットは唇を噛みしめていた。


「フローラは不在ですが」

「はい。先ほど伺いました。それでも、私には時間がないのです。どうか、話を聞いていただけませんか?」

「わかりました。お聞きしましょう」

「ありがとうございます」


 ブリジットは再び深いお辞儀をしてから、ポツポツと話し始めた。


「先日逮捕されたわたしの父は……旧保守派だったようで」


 改革派へ取り込まれたはずの一部は、旧保守派として暗躍していた。

 当然、そんなことは我が侯爵家は承知していたが、フローラの友人関係には口を出さなかった。

 学園へ通わせる時点で、リアムと決めていたことだった。

 全ての懸念を排除することなど、不可能だからだ。


「今となっては、とても恥ずかしいのですが、わたしは知らなかったのです。父が、改革派の顔をしながら、本当はフローラの……、、、っ暗殺計画に、加担していたなんて……」


 ファミーユ商会にローズとフローラを連れて行ったのは、偶然だったのだと言う。流行りの店が自分の家と懇意で、少しだけ鼻が高かったのだそうだ。若い子の可愛らしい発想だと、アリシアは思った。


「フローラたちとファミーユ商会に行った日、父はひどく機嫌が悪く、わたしの買ったネックレスをひったくるようにして取り上げると、暖炉に投げ込みました。冬ではないので、火はついていませんでしたが、突然の激昂に、わたしは何が起こったのかわからず混乱しました」


 あの日、誘拐が発生することをガルブレイス辺境伯が掴み、アレンとシリルが動いたことで、事なきを得た。

 今までも何度もあったことだ。

 ファミーユ商会が不当に得た利益の一部は、賊を雇う資金にもなっていた。


「まさか、ファミーユ商会と共に詐欺まで働いて、その資金で旧保守派をまとめていたなんて。あの日も誘拐するつもりだったのが失敗して、それが腹だたしかったのだろうと、昨日ようやく母から聞きました。母も以前から薄々気付いていて、ずっと悩んでいたようです。父の逮捕は、予想していたことが当たってしまったと、そんな気持ちのようです」


 ヒューズ伯爵はとても上手くやっていた。ガルブレイス辺境伯の調査でも、疑わしいというところまでしか掴めなかったのだ。伯爵は旧保守派と呼ばれる面々に対し、安易に金を撒かなかった。綻びは必ず、人の欲がもたらすからだ。


 ブリジットとフローラが仲良くなったのは、偶然だったようだけれど、ヒューズ伯爵にとっては、またとない好機だっただろう。


 ファミーユ商会の会頭が逮捕され、その繋がりを洗いざらい吐いたことにより、残っていた旧保守派も逮捕された。現在の逮捕は偽物の装飾品を売った詐欺によるものだが、フローラに対する数々の未遂事件も追及されていくことだろう。


 旧保守派の逮捕者はそれなりの数になり、学園に来られなくなる貴族の子息令嬢も多くなるはずだ。現在は長期休暇中だが、明けたら騒ぎは大きくなるだろう。


「ローズのことも、ローズ本人から手紙が届きました。あの事件も、わたしが余計なことを言ったせいです。申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げたブリジットは、ワンピースの上にポタポタと涙を落とした。ハンカチを差し出すと「持っています」と小さく呟く。

 ポケットからハンカチを取り出す手が震えていた。


「わたしも、フローラが羨ましかったのです。格好いい婚約者がいて、相思相愛で。わたしやローズは、相手の気持ちが離れたことによる婚約解消だったから」


 思わずアリシアは視線を下げてしまった。表情にはそれほど出てはいないだろうが、エラは気付いているだろう。


 その証拠に、まだそれほど冷めていない紅茶を熱いものへと交換してくれた。

 ひと口飲んで、気持ちを落ち着かせる。アリシアが熱い紅茶で気持ちを落ち着かせることを、長年の付き合いからわかっているのだ。


「わたしはローズほど酷い思いをしたわけではなかったのに、それでもどこかで、フローラの家のせいだと、フローラだけズルいって思ってました。そんな時、ダンスの練習中、学年が違うのにチャド様がフローラのことを見に来てて……」


 声を詰まらせたブリジットは深呼吸をして、三度瞳を瞬いてから言った。


「わたしがローズに、チャド様なら婚約者もいないし、アレン様より身分が高いから、フローラと恋仲になって恋愛結婚してくれればいいのにって。そうしたらフローラは円満にアレン様と婚約解消できるよねって。宰相の娘なら、率先して恋愛結婚して見せて欲しいよねって言ってしまったんです。まさか本当に、ローズがあんなことするなんて、思ってなかったんです。本当に、申し訳ありませんでした」


 ジークハルトとヒースが身を引き、レオンハルトと当時宰相だったグレンが命がけで進めた政策が、令嬢を苦しめてしまった。


 婚約を解消出来ることが救いにならない令嬢たちがいる一方で、望まない婚約に悩む令嬢は減ったはずだ。


 わかっていても、目の前で娘の友が苦しむ様は見ていて胸が苦しかった。


 睡眠時間を削り、心をすり減らしながら国のために働くリアムを想うと、やるせなさに挫けそうになる。


「フローラに会って、きちんと謝罪したかったのですが、急ですが、準備が整ったらすぐに母の実家の領地へ行くことになりました。王都にはもう居られないので……母も酷く憔悴していて」


「そのような状態の伯爵夫人を、お一人にするのは危険ではないのですか?」


 思わず最悪の事態を想像してしまい、口を挟んでしまった。


「幼少期から母の傍にいる侍女がついてますから、このぐらいの時間であれば大丈夫です。わたしには侍女が居ないので、今日は一人で来てしまって……恥ずかしいのですが、我が家はすでに機能していないのです。来なくなった使用人も多く、わたしと母は雇い主とも思われておらず、手癖の悪い者は金目の物を持って逃げました」

 

「なんですって!?」

「えっ……」


「例え雇い主が逮捕されようと、金目の物を盗むのは犯罪ですよ?」

「そ、そうですが、父は母を重要なことから遠ざけていたので、一部の使用人からは馬鹿にされているので……あぁ、そうか、父は隠し事があったから母を遠ざけて……」


「もし、伯爵夫人が内情を知る人物であったのなら、今ごろは騎士団で勾留されていたと思いますよ。ですから、それは知らなくてよかったのです」

「そう……ですね」


 戸惑うような視線でアリシアを見つめるブリジットは、どこにでもいる普通の令嬢だ。

 世間を知らなくて当然の、まだ若い、未来のある、この国をこれから支えていくはずの。


「伯爵夫人のご実家のギレット子爵家は由緒正しいお家柄ですし、安心して領地で暮らせるかとは思いますけれど……ブリジットさん」

「はい」


「わたしは、ブリジットさんがフローラの友達で良かったと、そう思います」

「……わた、わたし、ひどいことしたのに…っ」


「謝ってくださったではありませんか」


 アリシアの言葉にブリジットが首を振る。


「ご令嬢が一人、誰に頼ることなく謝罪に訪れる。なかなか出来ることではありません。わたしはブリジットさんの気持ちを受け取りました。フローラにもきちんと伝えます」


「……ありがとう、ございます……」

「その上で、フローラがどう判断するかはわかりませんが」


「はい、本当は会って謝罪したかったです」

「いずれその機会もありましょう」


 アリシアの言葉に、ブリジットは頷いた。


「それと、何か困ったことがあれば、手紙をわたし宛に出してください。できることであれば力になります」

「ど、どうして、、そこまでしてくださるのですか?」


「あなたの勇気に敬意を表して」


 ブリジットが驚きに目を見開く。

 

 勇気を持てずにいるアリシアにとって、ブリジットの真っ直ぐな勇気は眩しかった。


 アリシアもまた、フローラに栞を渡す覚悟と、一度も面会していないメイドに会う覚悟を決める時が来たようだ。

 

「エラ」

「はい、奥様」


「騎士団に連絡を。伯爵夫人とブリジットさんの保護を要請して」

「かしこまりました」


 応接室を出て行ったエラを見送り、紅茶を再度すすめるとブリジットは首を振った。


「わたしは犯罪者の娘です。保護などしてもらえない」


「いいえ? あなたは無関係だと証明されています。もし関係しているのであれば、すでに騎士団に勾留されているはずです。この国は、もう何年も前から弱者保護の政策を進めています。使用人のいない世界に急に放り出された貴族令嬢を保護せずに何が弱者保護でしょう」


「でも、」


「この国は変わりました。まだまだこれからも変わります。全ての国民が安全に暮らせる国を目指しているのです。あなたが出来ないと思ってることを、わたしは出来ると知っている、ただそれだけのことです。この国の令嬢であるあなたが、お母様のご実家の領地で安全に暮らせるよう、少しだけ国がお手伝いするのです。金目の物を盗んだ使用人を調査したり、領地までの警護や、伯爵家の今後を然るべき人に委ねるべきです」


「あ、ありがとうございます……ここに来るだけでも、一人で歩いて、初めてのことですごく不安でした。でも王都を離れる前に謝罪しないと、絶対に後悔するから」


 泣き出したブリジットがハンカチで顔を覆っていた。


 今までは馬車での送迎が当たり前だった令嬢の、精一杯だっただろう。

 靴擦れができているかもしれない。

 手当てをしたほうがいいだろう。


 部屋に戻って来たエラに指示をして、すぐに到着するであろう騎士団を迎えるために席を立った。



* * *



 騎士団と共に、何事かと一時帰宅したリアムに事情を説明してから私室に呼んで栞を見せた。


「これを、フローラに渡そうと思うのです」

「そうか」


 リアムは一言だけ呟くと、労うようにアリシアの肩を撫でた。


「それと、修道院へ、面会に行こうと思うのです」

「……そう、か」

「一緒に来てくださいますか?」

「もちろん」

「ありがとうございます」

「無理を、してはいないか?」

「……わかりません。少し、怖くはありますが」


 心配そうにアリシアを見つめる琥珀色の瞳が揺れ、ギュッと抱きしめてくれた。


「わたしは、わたしを許すのが一番怖かったのです」

「……」

「ですがもう、そろそろ良いのではないかと。旧保守派もほぼ逮捕され、わたしは、彼女を救えなかったわたしを、そろそろ許してもいいのではないかと思ったのです」

「もちろんだ」


 背中をかき抱くリアムの手に力がこもった。


「リアム様も、お義父様と仲直りをしてくださいね」

「いや、喧嘩はしていないが」

「いいえ、もっと交流を持つべきです。宰相としても、子どもたちの父としても、息子としてもです」


 ルーズヴェルト侯爵家のせいでフローラの命が危険にさらされてしまったと、そんな風に自分と義父のグレンを責めているような気配がリアムにはあった。

 

「わたしたちは互いに、わたしたちを許すべきです。ブリジットさんが今日、勇気を振り絞って謝罪に来てくださって、わたしはそう思ったのです。わたしたちに足りないのは、自分を許す勇気です。どうかリアム様も、ご自分とお義父様を許してください」


 ありったけの気持ちをのせ、リアムのやつれた頬をそっと撫でる。その手に重ねてきたリアムの手が、小さく震えていた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ