マクスウェル
従弟のアルフレッドからの依頼は、概ね厄介ごとが多い。大っぴらに騎士を動かせないような案件ばかりだ。とはいえ、給金が出る上に高額なので、娘と息子がいる上に継ぐ爵位のない身としては、稼げるだけ稼いでおきたいというのが正直なところなので、ありがたく引き受けている。
アルフレッドからは事あるごとに、マクスウェルや息子のショーンがグラント公爵家を継ぐ可能性があるのだと説かれるのだが、それについてはあまりピンときてはいない。アルフレッドにはエリオットという素晴らしい嫡男がいるからだ。
傍系といえども万が一を考慮し、マクスウェル自身も貴族並みの教育を施されてきたので、ショーンに貴族の教育を公爵家で受けさせるというアルフレッドの提案には素直に頷いておいた。知識はあって困ることはない。同じ理由から、長女のケイシーも三年前から公爵家で淑女教育を受けている。
当の本人はグラント公爵家のメイドになりたいと言っているのだが、はたして淑女教育とやらはどこで使うのだろう。公爵家ともなればメイドにも教養が求められはするが――などと呑気に考えていたのだが。
貴族令嬢のフリをしてファミーユ商会へ買い物に行くことになり、早速教育が活きてしまった。ケイシーは、銀に近いグレーの髪に、ピンクに近い菫色の瞳で、それなりの格好をして公爵家仕込みの所作で澄ましていれば、貴族令嬢に見えなくもない。
グラント公爵家の若いメイドと共に二人で潜入することになった。侍女役のメイドの演技が上手かったこともあり、あっさりと偽物を購入して帰って来た。
ケイシーいわく、とても人当たりのいいおじさんが「お得だよ。本当はもっと高いんだけど、内緒ね」と言って売ってくれたとか。
まぁ、イヤホンで一部始終聞いていたし、近くの馬車で待機もしていたのだが。
人当たりのいいおじさんが、誘拐ねぇ。
見たところ、ケイシーと同じ年ごろの令嬢が口と目を塞がれて椅子に縛り付けられていた。乱暴されようものなら、すぐにでも飛び出すつもりだが。
裏口に人が立っているわけでもなく、無防備すぎてこちらが不安になったほどだ。
「大将、どうしちまったんです? ナマモノはやらないって話だから危険だとわかってても乗ったんですよぉ?」
「わかってる、そのつもりはなかったんだ」
「そんなら、どっかの山に捨てて来いなんて、なんで言うんです!? 殺しならオレは降りるぜ?」
ポケットの中に潜ませた録音機材が赤く点滅していることを確認した。デオギニアから入ってきた機材で、捜査活動で非常に役立つ。あの国は一体どこまで先を行くのだろうか。
「殺さなくていい、家出した令嬢が一人、山で遭難するのはよくあることだ。デオギニアへの道中の、急坂のあたりに捨てて来い」
「あの辺りは獣が出る一番危険なとこですよ!! そんなのは殺しと一緒ですってぇ!! やるっつうなら、大将がやってくださいよぉ!!」
「ワシはこれから店に戻らねば、嫁だけじゃ不安だからな」
「奥様はまっとうな商売するだけでしょうに!!」
「そんなんでお前らの食い扶持まで稼げるわけがないだろうが。ついでにデオギニアでゆっくりと入荷作業してこい」
「嫌ですってぇ!! オレにも別れた女房との間に娘がいるんすよ。こんな年頃の女の子に、そんなことできねぇ!!」
「なら、デオギニアに一緒に行け」
「入れる訳ないでしょう!? あの国の入国審査舐めてんすか!? オレたちだって毎回ヒヤヒヤしてるっていうのに」
このぐらい録音できれば逮捕も容易だろう。会話の内容から、すぐに令嬢に手をかけることもなさそうだ。ブレイデンの元へ一旦戻るために腰を浮かせた。
瞬間、背後から何かを振り降ろそうとする重たい空気を感じ、反射的によけた。転がりながら、額に汗が一気に噴き上がる。
間一髪だった。
あれを喰らっていたら、さすがにヤバかった。
空ぶった大ぶりのハンマーが、床にめり込んでいるのが見える。衝撃で地面が揺れ、古びた建物のせいかパラパラと木屑がどこからともなく落ちてくる。しかも爆音が鳴り響いたせいで、奥にいた二人に気付かれたようだ。慌てた様子でこちらに走って来る音が聞こえた。胸元から小型のナイフを取り出し、投げようとした。瞬間、ひらりと飛び上がった人影が頭上を横切ったのが視界の端に見えた。
大きな影は、ハンマーを持った男の後頭部を膝蹴りして沈め、奥から顔を出した二人のみぞおちに一撃ずつ入れた。あっという間に、三人の男の体が床に沈められていた。
店主は泡を吹いている。おそらく一番、荒事に慣れていないのだろう。
慌てて駆け寄り、三人を後ろ手に縛り上げた。室内に耳を澄ますブレイデンは息一つ乱してはいなかった。
「他に仲間は?」
「いません」
「令嬢は?」
「無事です」
戦闘態勢だったブレイデンの金の燃えるような瞳から、その闘争心が抜けていくのを見た。
平和を生きる者には持ちえない身のこなしに、自分の力量を思い知らされる。その苦さに顔が歪んでしまった。
「気に病むな。令嬢が無事ならいい。録音はできたか?」
慌てて頷くと、笑顔で「よくやった」と労われた。常であれば嬉しいだけの言葉を、素直に受け取ることが難しい。これは自分の心の問題だ。まだまだ鍛錬が必要だと身を引き締める。
「……ありがとうございます」
録音の機材をブレイデンに渡し、縛られていた令嬢の元へ駆けつけた。
可哀想なことに、巻かれた布は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっていた。
怖かっただろう。
それでも気を失わずにいたのだから、気の強い子なのかもしれない。
目と口を覆っていた布を外す。
布の下から現れた綺麗なエメラルドグリーンの瞳から、とめどなく涙が溢れ落ちていた。
ケイシーがこんな目にあったら、間違いなく犯人を半殺しにしただろう。
こんな時はいつも、妻と出会ったときの事件を思い出してしまう。
雇われていた店主に襲われたところを助けたのだが、妻は全てを諦めた顔をして放心していた。
思い出す度あのときの妻を抱きしめたくなる。今でも店主と似たような風体の男を見たとき、体をこわばらせることがあることを知っているからだ。
今日のことが、この令嬢にどのような影響を与えるのだろう。
先のことは誰にもわからない。
震え続けている令嬢に、騎士団の者だと声をかけ、ポケットに入っていたハンカチを握らせた。体をうまく動かせないようで、握りしめたまま固まってしまった。顔を拭いてあげたほうが良かっただろうか。見知らぬ男に拭かれるのはやはり怖いだろうか。そっとしておくべきか、いつも迷ってしまう。
何年も携わる仕事の中で、少なくない被害者の令嬢を見るたび、冷静でいられない自分がいた。何度体験しても慣れることはないだろう。
「ご令嬢、お名前をお聞きしても?」
側に来たブレイデンが優しく語りかけた。令嬢は名乗ろうと必死に口を開けていたが、声が出ないようだった。
無理しないでいいと言えば、コクンと頷く。それを見たブレイデンも、マクスウェルに小さく頷いて部下を迎えるため静かに離れて行った。任せた、ということだろう。
「何か飲み物を……」
見回したが、飲めそうなものは見当たらなかった。ここは本当にファミーユ商会の拠点なのだろうか。燻んだ壁と床の薄暗い室内はカビ臭く、湿気が多い。この匂いだけでも貴族令嬢は耐えられないはずだ。
裏口付近が騒がしくなり、複数の足音が聞こえた。その中から、人を押し退けるようにして走ってきたシリルが顔を出す。額に汗を滲ませ、声を荒げるシリルなど初めて見たような気がする。
「イリーナ嬢」
イリーナと呼ばれた令嬢の顔をうかがう。イリーナは、パッと顔を上げたあと、止まりかけていた涙が再び決壊していた。
「どうして君が、ファミーユ商会にいたんだ!?」
シリルは慌てて脱いだジャケットをイリーナの肩にかけながら聞いている。
「シリル君、落ち着くまで待ってあげて。今は声が出ないんだ」
「そうなんですか……すみません」
「とりあえず王宮へ行こう。ここも安全とはいえない」
はい、と素直に頷くシリルの肩を軽く叩いて立ち上がった。
「そうだ、ひとつ聞いても?」
シリルは、自分のポケットから出したハンカチでイリーナの顔を優しく拭っていた。イリーナの表情が少しだけ和らいでいた。
「なんですか?」
「君、ここに来ちゃ駄目なんじゃないの?」
今回こそ、ルーズヴェルト侯爵家は無関係だと示すはずだったのに。
旧保守派の金庫と噂される、ファミーユ商会の捕り物に顔を出してしまっては計画が台無しだろう。
「一応、変装してきたつもりなんですが。バレますかね?」
「バレバレでしょう、それ」
肩をすくめたマクスウェルが、再び部屋に入ってきたブレイデンを見ると、彼は仕方がないという顔で笑っていた。
帽子と眼鏡で変装と言われてもねぇ?
いつも冷静なシリルの取り乱した様子から、何となく察することはできるけれど。
口にするのは野暮だろう。
「イリーナ嬢を抱き上げて、馬車に連れてってあげてね」
シリルが頷いたことを確認して、既に歩き出していたブレイデンの背中を追った。




