マーガレット(1)
「フローラ嬢が襲われたと聞いた」
早馬で駆け付けたブレイデンは、乗馬服を脱ぎながらマーガレットの部屋に入って来た。
フローラの事件から五日が経っていた。
先に王都のタウンハウスに滞在していたマーガレットは、新聞から顔をあげてニッコリ笑った。
「無事ですわ。安心なさってください」
「あぁ、そうは聞いているが。アレンは何をやっているんだ」
「令嬢同士の揉めごとですわ。アレンに非はありません」
「だが、」
「令嬢二人の化粧室にまで付いて行けと仰るつもり?」
手に持った新聞を手の平に打ち付けて、汗だくのブレイデンを睨んだ。知らせを受け、すぐに駆け付けてくれたのだと、頭ではわかっているのだが。
「そう怒るな」
「アレンは努力しております。父親に認められなくともです」
「いや、認めている」
「なんですって?」
「メグ、怒らずに聞いてくれ」
「あらいやだ。話を聞かないのは、あなたの専売特許じゃありませんか」
いよいよ立ち上がったマーガレットが胸をそらせて腕を組んだ。
ちょうどそのとき、ノックをして入ってきたメイドがアレンの帰宅を告げた。
「奥様、アレン様がお帰りです」
「いま行くわ。あなたは先に水でも浴びて頭を冷やしてから来てくださいまし」
ツーンと、すまし顔で大きな体の前を横切ると、背後から盛大な溜息が聞こえてくる。振り返り、ブレイデンをもう一度睨みながら言った。
「嫌ならあなたは来なくても結構です」
「……すぐ行く」
「ちゃんと汗を流してから来てください」
「わかった」
困り顔のブレイデンが頭をかいていた。
*
アレンがまだ十歳のころ。
ブレイデンに似て体格に恵まれたアレンは、このころから腕っぷしが強く、わんぱくで生意気な子どもだった。生意気なのはマーガレットに似たのだと祖父には言われたが、それは綺麗に無視した。
アレンが八歳のときに婚約したフローラは、アリシアそっくりの顔立ちでとても愛らしく、アレンには勿体ないほど素直で可愛かった。厳重な警護のもとガルブレイス辺境伯領に来たときなど、妖精が出たと騒ぎになったほどだった。
父は有名人。母方の曾祖父も有名人。婚約者は妖精と見紛うばかりの可憐な美少女。
さらには、優しくて美しいと評判のひとつ年上の第一王子よりも体格がいいことに気付いてから、アレンの鼻はどんどん高くなってしまった。
アレンの生意気さに、マーガレットも頭を悩ませた。ガツンと思い知らせてやりたいところだが、妙に賢いところがあり、ここぞというタイミングが掴めずにいた。
あの日は、ごく普通の朝だった。
マーガレットの前には野菜多めのスープに蒸した鶏肉が添えられたサラダにフルーツ。アレンの席には、マーガレットのメニューの他に、骨付き肉と雑穀パンという成長期らしいものだった。ブレイデンが遠征用に固いパンに慣れておけ、と指示したため固いパンが出されるようになったのだが、アレンはお腹が膨れればそれでいいというタイプだったのでむしろ喜んだ。柔らかいパンだと食べ足りないらしい。
ずらりと並んだ朝食の席に現れたアレンは、首元までボタンを留めておらず、その服装の乱れを注意したときだった。
「朝からうるさいなババア」
「ババアとは失礼ね! まだ三十歳よ」
マーガレットが生意気なアレンを睨んだとき。
「アレン、表に出ろ」
ブレイデンの声に二人して肩を跳ね上げ、寝起きの髪をかき上げた彼の射抜くような眼差しに震え上がった。
前日、遅くまで仕事だったブレイデンはもう少し後から起きてくる予定だった。
アレンもさすがに父親の前でマーガレットを罵ったりはしない。怒られるとわかっているからだ。
アレンの暴言など、マーガレットにとっては戯れであり、アレンにとってもただの思春期の軽口だった。
サファスレートが平和になった証でもあると、アレンが他人の前では貴族令息らしく振舞っているのを知っていたマーガレットは呑気に思っていたのだが。
ブレイデンは怯むアレンの首根っこを掴んで引きずって行く。
慌てて扉の前に立ち、行き先を塞いだ。
「どきなさい」
「嫌よ、何する気!? あんなの今時の子なら普通よ!? 思春期っていうの!!」
「そんなものはどうでもいい」
「どうでもよくない!!」
「マーガレット」
「な、なによ」
「アレンのためにならない。どきなさい」
マーガレットが動かないと思ったのか、アレンを小脇に抱えてマーガレットの横をすり抜けてしまった。その腰にすがりついてみたけれど、マーガレットがブレイデンに勝てるわけがない。ずるずると引きずられているうちに、ブレイデンが声を荒げた。
「危ないから下がれと言ってる」
今までどんなことがあっても、一度もマーガレットに声を荒げたことなどないブレイデンが、この時ばかりは低い声で覇気のようなものを出していた。
その声にブレイデンに抱えられていたアレンが縮みあがったのがわかる。それを見たマーガレットは、助けなければと震えながら懇願した。
「やめて、もう平和な世の中なの。暴力はやめて」
「アレンの言葉も暴力だろう?」
そう言われてしまえば、言い返すことはできなかった。
王都ではもっと早くから、子どもたちの言葉の乱れが問題になっていた。ブレインデンも、アレンが父上と呼ばずに親父と呼ぶことを許しているというのに。
振り解かれ、駆けつけた家令に「奥様、危のうございます」と行き先を塞がれ、駆けつけた侍女にも留まるよう懇願され、とうとうブレイデンを追うのを諦めてしまった。
戻って来たアレンは、顔も体も傷と痣と泥だらけだった。
「やりすぎなのよ!!」
「骨は折れてない」
「そういう問題じゃないでしょ!?」
泣きながら医者の手配をし、アレンの顔を冷やしたり体の泥を拭ったりした。
いつもならマーガレットをあやすように諭してくるブレイデンは、このときばかりは決してマーガレットを甘やかさなかった。
ブレイデンが正しいということは理解していた。
アレンはあまりにも調子に乗っていた。
それでも、どうしても許せなかった。
ブレイデンが守ってくれたからこそ、領地も国も平和になったというのに。どうして暴力を振るうのだと、何度も何度も訴えた。
この日からマーガレットは、この一件に関してだけは、自分ではどうすることもできないほど頑なになってしまった。
*
重い溜息を吐く。
フローラやアレンを心配して駆け付けてくれたブレイデンに、あんなこと言いたくなかった。
駆けつけてくれるような気がしていたから、フローラの今後のことを相談するつもりだったのだ。予定より早い段階で、フローラをガルブレイス辺境伯領で預かることを提案したかった。
ジークハルトのお陰で、領地にも学校が建設されたので、そこに入学してはどうだろうかと思ったのだ。
フローラが辺境に来てしまえば守りやすくはなるが、アリシアやリアムが寂しがるだろうと、今までは提案できずにいた。
けれども、王立学園をアレンが卒業してしまえば、今よりもっと目が届きにくくなる。
そろそろ限界なのではないかと感じていたところでの事件だった。
フローラの容姿や立場はどうしたって嫉妬や恨みの対象になる。
緩くなってきたサファスレートの中で、彼女の隠しきれない品の良さと美しさは目立ってしまうから。
その話をブレイデンとしたかったのに。
「まったく成長してないじゃない」
自分に嫌気がさす。
帰宅したアレンがいる応接室に入ると、娘のセレスティアがはしゃいでいた。セレスティアはアレンにとても懐いている。
「アレン、おかえりなさい」
ブレイデンにおかえりなさいと言ってなかったことに、今さら気付く。
「ただいま」
マーガレットの顔も見ずにセレスティアをあやすアレンの横顔は、ブレイデンそっくりだった。
やんちゃだったアレンは、十五歳のときに生まれた妹を見てから劇的に変化した。すっかり紳士になったアレンの姿に、胸が熱く震える。
「どうしたの?」
「なんでもないわ」
首を振って、メイドに紅茶とクッキーを出すように指示した。




