シリル(2)
騒ぎにならないよう、アレンは上手く事を運んだ。
ちょうどベルンハルトの護衛で騎士団が密かに配属されていたため、チャドとローズは速やかに連行された。
フローラとイリーナと三人で教室に留まっていた際、現場を見に来た騎士とは面識があったため、情報交換は円滑に行われた。
壊れた扉も学園側と話がついたとのことでホッとした。学園としても、騒ぎにしたくないようだ。
相手がいわくつきのデジュネレス公爵家とあっては当然だろう。禁忌のように表立って口にはしないが、高位貴族であれば先代のデジュネレス公爵が病死ではなかったということを知っているからだ。
フローラは落ち着いた表情で静かに佇んでいたが、傷ついていないはずはなく、肩を撫でれば目を伏せて堪えるような表情をしていた。
先日、アレンとの気安い関係から、目の前で捕り物すればなんて言ってしまった自分を殴りたい。アレンを煽るためだけの軽口だったとはいえ、こんなフローラを見てしまえば口にしていい話題ではなかった。
イリーナが居場所を教えてくれて本当に助かった。彼女からの知らせがなければ発見は遅れていただろう。
フローラに武道の心得があろうとも、長引けばどうなっていたかはわからない。
イリーナの発言を疑わなかったのは、生徒会で面識があったからで、曲がったことが嫌いな性格だと知っていたからだ。
「イリーナ嬢、お礼はまた後日させていただきたい」
「それには及びません。先ほども申しましたとおり、わたしは当然のことをしただけです。フローラさんと一緒に歩いていた令嬢の表情が気になって仕方がありませんでしたから」
「ですが、我が家は政敵ともいえるのに助けてくださった、あなたのその正義感は得難いものがあります」
「いやですわ、そんな大げさな」
ポッと頬を染めたイリーナを、フローラまでもが微笑ましい顔で見つめている。
どうやら彼女のことが嫌いではないらしい。
「イリーナ嬢は、ダンスホールへ戻られますか?」
「いいえ、パートナーもいませんし。帰宅しようと思います」
「では、馬車までお送りしましょう」
「すぐそこですから、平気ですわ」
「いいえ、イリーナ嬢になにかあっては大変だ」
「そんな……そう……ですか? ではお言葉に甘えて」
イリーナははにかみながらお辞儀をした。綺麗なストレートの金髪がさらりと肩から滑り落ちた。
* * *
我が家に戻り、フローラの湯あみと着替えが終わったころ。帰宅した父が、フローラを見るなり抱きしめた。ここでようやくフローラのすすり泣く声が聞こえて、ほっと胸を撫でおろした。
母の教育が行き届きすぎていて、フローラはどんなに辛くても人前で涙を見せない。今どき、公爵令嬢だってワーワー泣くものだけど。
不意に幼馴染のシャーロットの顔が浮かんだ。喜怒哀楽が激しくて、ちょっと我がままなお姫様。自由に育てられながらも、表の顔は立派な淑女なせいでたちが悪い。
そんな彼女の恋人役からようやく解放された。政策上、ベルンハルトが婚約者を持てないせいで、ずっとシャーロットのお守りをさせられていた。シャーロットに悪い虫が付かないようにシリルを囮にしていたのだ。シャーロットは見た目だけは完璧な淑女だから騙されている男たちがやたら寄ってくるのだ。ものすごく面倒くさかった。
そもそも喜怒哀楽の激しい女性は好みではない。疲れるからだ。静かで凛としていて、こちらの仕事が忙しくとも、それを当然と思うような、そんな女性がいい。
応接室でずっとひとりで待っていた母は、父に肩を抱かれながら入って来たフローラの手を握った。
「よく我慢しましたね。今日は泣いていいのですよ」
母の声に、フローラの涙がふたたび決壊した。
フローラが落ち着くまで誰も話さず、静かにフローラを見守った。
父はわかりやすく痛ましい顔をしていた。
母は相変わらず無表情だったけれど、ずっとフローラを抱きしめていた。フローラの方が体が大きいせいで不思議な絵面になっていたけど。
「父上、詳細は? どちらが主犯なんです?」
フローラが泣き止み、ミルクティに口を付けるぐらいまでに回復したので聞いてみた。
「ローズ嬢だ」
「……最悪だ」
いっそ我が家を恨んでいる一派がチャドをそそのかしたのであればと思っていたのだが。あの令息は彼らに利用される価値もないということか。
父はローズが語ったことのすべてを簡潔に話してくれた。内容はただの逆恨みだった。
「政策への不満が、我が家に集中することこそ父の狙いでもあったのだが」
父は眉間に皺をよせ、悔しそうに唇を噛んだ。我が侯爵家なら、その程度の悪意は跳ね返せるという自信が祖父にはあったのだろう。
王家に集中させると、王子たちがまた狙われてしまう。レオンハルトとジークハルトの話は酷いものだった。今となっては時代錯誤だが、そう言えるのも腐った貴族が減り、平和になったからだろう。
「まさか後悔されているのです?」
黙っていた母が父を射るような目で見ていた。
「いや、改革は必要だ。サファスレートが発展しなければ、スラム街も撲滅できず、識字率は低いまま、犯罪が絶えない国のままだっただろう」
学校を建てる前に、まずはスラム街の衛生面や労働環境を徹底して改善した。これには裕福な庶民からの反発がすごかったのだが、レオンハルトや祖父らはやり遂げた。
デオギニアから給排水の衛生工事のための技術者が大量に派遣された。衛生面が向上し、病気が減った。
ジークハルトとデオギニアのシン皇帝陛下のお陰で学校が建設され、識字率が上がり、庶民にも労働契約書の作成が義務付けられるようになった。適正な労働条件で庶民が働けるようになり、犯罪が減った。
デオギニアがそこまで協力的だったのは、ジークハルトがミユと結婚し、デオギニアに留まったことが大きいだろう。
よくレオンハルトや当時の王陛下が許したなと思うが、ジークハルトの子どもはサファスレートとデオギニア、二つの国籍を得た。これにより両国の繋がりはいっそう強固なものとなった。
シン皇帝陛下は貪欲な人らしく、才能のある人材を絶対に手離さないのだとか。
「この国のため、最善を尽くすリアム様を信頼しております。それを支える覚悟をフローラもしております。そうですよね? フローラ」
「はい、お母様」
頷いたフローラの瞳が揺れていた。
「母上、事件があったばかりですから、フローラに無理させないで」
「なにを舐めたことを。シリルこそフローラを理解していないのでは?」
「フローラは現代っ子の割に、しっかりしてますよ。それはわかっています、ですが」
「大丈夫です、お兄様。ショックではありましたが、わたしが人から憎まれるのは仕方がありません。ローズが言った言葉は、すべて本当のことですし」
「あんなの八つ当たりだよ、政策はローズのせいじゃないだろう?」
シリルの言葉にフローラは首を振った。
「ですが、人の心とはそういうものです。行き場のない気持ちがわたしに向かったのだと思えば、わたしはそれを受け取るだけです。もちろん、デジュネレス公爵令息にされたようなことは全力で阻止しますが。わたしがもっと毅然としていれば良かったのです。アレン様のことが好きだから、婚約を解消しないのだとハッキリ伝えていれば、もう少し違ったはずです。中途半端に隠そうとしたり、流行りにばかり気を取られ、浮き足立っていたから隙を突かれてしまったのです」
母上、そんなに力強く頷いて……
父上が遠くを見る目になってしまったよ。
「フローラはアレン君のことがそんなに……」
父上、そこじゃない。
「はい。お慕いしております!!」
フローラ、もうちょっと控えめに頼むよ、父上が撃沈してるよ。
「フローラ、これに懲りたらスカートの丈は慎みなさい」
「はい、お母様。今後は気を付けます」
母娘で強く頷き合ってるけど……やっぱり、そこじゃない感が凄い。
どうして我が家は揃って真面目なのに、ちょっとだけズレてるんだろう。
こんな感じの会話、一度や二度じゃない。
父は、母とフローラのことになると途端にポンコツになるし。
「ねぇ、伯父様をお呼びしませんか? 俺がおかしいのかな。論点そこ? それに、スカート丈はあんまり長いと逆に目立つよ?」
母の兄であるセヴィニー伯爵がいれば、こういう時に話をまとめてくれたりするのだけれど……。
ちなみにシリルは父の親友のグラント公爵にタイプが似ていると言われているけれど、実は伯父似だ。伯父は裏方に徹する人だからあまり知られていないけど。
「大丈夫です、お兄様。目立たない程度に長くしますから!!」
「え? あー、うん……っていうかローズ嬢のこと、いいの? 罪状とか、そういうの、ある程度こちらの要望は出せるよ?」
「国の判断に任せます。殿方のお仕事に口は出しません!!」
「立派! いや、そうじゃなくてさぁ~。ねぇ父上も何とか言って……」
え、なにその顔。ちょっと誇らしげ?
母上に似てきたな、みたいな顔?
「さぁ。そろそろ夕食にいたしましょう。今日はフローラの好きなマカロニグラタンですよ」
「本当ですか!? お母様は前世持ちの方のお料理、あまりお好きではないのに。いいのですか?」
「武道が活きたとの報告を聞けば、グラタンぐらい食べられます。よくやりました。どれだけ鍛錬しようとも、咄嗟の判断はとても難しいのですから。デザートも用意させました。ティラミスというものですよ」
「本当ですか!? 食べてみたかったのです!! ありがとうございます!!」
フローラはずっと外出を制限されていた。
本ばかり読んでいて、当時は前世持ちの人の料理本が大好きだった。
ローズの言う通り、フローラは装飾品もドレスもたくさん持っている。
けれども、暗殺の危険からはいまだ解放されていない。ガルブレイス辺境伯へ嫁ぐまでは無理だろう。辺境伯領であれば、鉄壁の守りでフローラを安全に囲ってくれるけれど。王都ではいまだ気を抜くことができない。
たとえアレンのことをフローラが好いていなかったとしても、この婚約を解消することなどできない。相思相愛なのは幸運だった。
不自由なく生きている人なんて、本当は存在しないのだ。
「ティラミスは俺も楽しみだよ」
シリルが肩をすくめて笑うと、フローラがわかっている時の笑顔で頷いた。
母に合わせるのは、母をコントロールするためのフローラなりの処世術だ。
「さぁお兄様、食堂へ行きましょう」
シリルの手を引くフローラを、ギュッと抱きしめてから歩き始めた。




