シリル(1)
「シリル、ローラはあれで町娘に扮してるつもりなのか?」
家紋の入っていない馬車の中、アレンが眉をひそめた。
真っ白なワンピースと帽子のフローラが店の中へと入っていくのが見えた。
「その話長くなるけど聞く?」
「……いや、いい」
アレンは面倒になったらしく、視線を外に向けたまま首を振った。
フローラは同級生の実家であるファミーユ商会に、仲の良い令嬢と買い物に来ている。
友達が装飾品を買うらしい。
婚約者のいない令嬢は、自分たちでダンスパーティーの準備をしなければならない。貴族とはいえまだ学生な彼女たちは、安くても見栄えのする品が欲しいのだろう。夜会とは違い、学園内の催しなこともあり、学園側も必要以上に華美にならないようにと注意している。
まぁ、フローラに準備の必要はないのだけれど。
「フローラは肌が弱いから、質の悪い服は着せられないと母上が言っててねぇ……」
断られたが、気にせずに話しかけた。
アレンは結局話すのかよ、という顔をしている。
「……」
「どちらにしても姿勢の良さと、母上仕込みの所作じゃ貴族ってバレるし?」
「……」
「密かに護衛もついてるし、まぁいいかと。父上はフローラの服について何かを言う権限はないし、俺は俺で面倒くさいので放っておきたいし? 女性の衣装に的外れなことを言うと酷い目に合うだろう?」
シリルがニヤリと笑うと、眉を寄せて睨まれた。
金の瞳がギラついている。
「なんだっけ? 独占欲丸出しの真っ赤なドレスなんて古い、ダサい!! とか言われたんだっけ!?」
「うるさいっ!!」
長い足が伸びてきてシリルの足元を蹴った。なんとか避けたけど、座面が揺れた。
アレンの母であるマーガレットは、社交界ではファッションリーダー的存在で、着るもの持つもの瞬く間に流行にのせてしまう。
辺境伯夫人でありながら、王都の女性、特に若い令嬢たちからの熱烈な支持を受けている。ガルブレイス辺境伯の情報の速さと、マーガレットの衰えない美貌あってのものだ。
「辺境の赤い薔薇は容赦がない」
「その恥ずかしい呼び名を出すな」
「フローラもよく言ってるよ。母上が古風だから羨ましいって」
「……」
「だから喜んでたよ、ドレス」
「……そうか」
「うん、ありがとう。マーガレット様御用達のお店から届いたから母上も何も言わなかったし。さすがに婚約者から届いた物に文句を言うような人ではないけれど、脚を見せるという今の流行りにどうしても抵抗があるらしくてね。本当に助かったよ、フローラはずっと悩んでたから」
その様子は気の毒でもあり、正直呆れもしていたのだけれど。
こぞってファミーユ商会へ入って行く令嬢たちを見ると、衣装ひとつとっても女性は大変なのだなぁと実感する。
この国では、レオンハルトがまだ王子だったころ、婚約破棄小説というものが流行った。
王子と、庶民から貴族に養子として引き取られた令嬢が恋に落ちる物語だ。
二人の恋を邪魔する王子の婚約者である令嬢は悪役令嬢と呼ばれ、最後は王子に婚約破棄されてしまう。
———は?
小説を読んだ時の感想は「は?」だった。
娯楽小説だと思いつつも、浅はかな王子の側近には死んでもなりたくないと思ったし、婚約者の令嬢が悪役という意味が全くわからなかった。王子と恋に落ちた令嬢も全く魅力が無い。
当時は、小説の流行と共に、王立学園内で婚約破棄自体が流行った。祖父の行った政治戦略ではあったものの、一部では望まない婚約を破棄できる手段として受け入れられた。
現在、幼い頃からの婚約が禁止されているのは、政略結婚の弊害を考慮した結果なのだ。
フローラとアレンは、フローラの事情から早くに婚約が結ばれたのだが、禁止される前に急いだ、という背景もある。
「ねぇ、せっかくだからフローラにわかるように、捕り物したらどう?」
「それに何の意味がある?」
「フローラが好きな娯楽小説のヒーローになれるよ」
「なんだそれは?」
「気になる?」
茶化したら、また機嫌が悪くなってしまった。髪の色こそ違えど、厳しい顔つきをするとガルブレイス辺境伯そっくりになる。
「フローラが攫われそうになったところで助けるんだよ、そうしたら、アレン様素敵! ありがとう! ってなるよ」
「どこの無能だ、それは」
「間に合わないことってあるんだよ、きっと」
「そんなことが起きたら、俺はもう一度鍛えなおさないといけないだろうな」
「だから、間に合わないけど間に合うんだよ。目の前で捕り物すんの」
「悪趣味だな。俺にはわざと怖がらせるって意味にしか聞こえないが——馬車に入ったな」
アレンが待機していた馬車から気配を消しながら出ると、ぬるりと我が家の馬車に乗り込んだ。俺は俺で、我が家の護衛達と賊の仲間が乗っている馬車を制圧した。
一部で燻り続ける過激派たちは、懲りることなくフローラを狙う。
父と母の結婚は、保守派にとって歓迎すべき政略結婚だったはずなのに、蓋を開けてみれば改革派に寝返っていたのだから恨まれても仕方ない。いまだに水面下で攻防が繰り広げられている。この国らしい、頭のかたいことだと思う。
賊を騎士団へ引き渡すと、シリルにあてがわれている王城内の執務室でアレンと遅い昼食をとった。
「俺の一番古い記憶だと、フローラが二歳の時の毒殺未遂かな」
大ぶりの肉にナイフを入れていたアレンが静かに頷いた。何度か軽く話しているし、ガルブレイス辺境伯からもとっくに聞いているだろうけれど。
「母上は儚げに見えて全く隙がないからね。情報収集も欠かさないし、危ないと感じたときは、大胆な予定変更もするぐらい危機管理能力の塊だから。狙うならフローラだったんだろう。俺もフローラが生まれる前は狙われたみたいだけど記憶になくて」
ここまで改革が進み、階級社会が緩んできた中で逆行は難しいだろう。けれども奴らはまだあきらめない。過去のような貴族社会を取り戻そうという目標が無くなったら、生きる目的を失うかのように。
「信じていたメイドに毒を飲まされそうになっていてね」
それまでこの国では、当然のように代々長男が爵位を継いでいた。それがレオンハルトの改革で覆った。
無能でも長男なら爵位を継げたのに、急に当主からの指名制となったのだ。しかも領地経営が不振の場合は調査が入るし、結果次第では当主変更もあり得る。
これまでのように領民から税を取るだけ取って贅沢しているようでは、爵位は継げない。無能な貴族は苦しんだことだろう。
当然、改革派は恨まれた。
「さっき言ってた小説じゃないけれど、あと一歩って感じだったんだ。メイドがフローラの首を絞めたり、刺したりしていたら間に合わなかったと思う。家族を盾に脅されていたメイドは、元々優しい娘だったから、血が出たりするような殺し方ができなかったんだ。苦肉の策で、ミルクに毒を入れてみたものの、フローラが大泣きして飲まなかった」
シリルはあの日、両親が夜会で居ないせいで寝付けず、何度も寝返りをうっていた。そうしているうちに、フローラの泣き声がどんどん酷くなって、とうとう堪えきれなくなって部屋を飛び出したのだ。
フローラの部屋の近くまで行くと、ドアが開け放たれていて、中から叫び声が聞こえた。
廊下の暗闇の中に浮かぶ部屋からの明かりと叫び声は、今でも脳裏に焼き付いている。
恐る恐る中を覗き込むと、母がフローラを抱きしめて泣きながら叫んでいた。
「脅されていたのなら、なぜ相談しなかったの!!」
メイドに叫んでいたのはそんな言葉だったように思う。
泣く母も、鬼の形相の父も、取り乱す家令も初めて見た。優しかったメイドは背中しか見えなかったけれど、顔が見えなくて良かったと、今では思う。
もしも両親が夜会から早く帰ってこなかったとしたら……もしもフローラが素直にミルクを飲んでいたら……
何度も想像しては震えた。
両親も長く苦しんだと思う。
メイドを救えなかったことも、辛かったはずだ。
母も、平民だったメイドが貴族に相談したところで切り捨てられると考えたことについては、当然だと思っているだろう。
それでも、情状酌量の余地ありとして、極刑は免れたものの、戒律の厳しい修道院へ送られたことを、今でも気に病んでいるのではないかと思う。
「俺が母上の涙を見たのは、あの時が最初で最後だよ」
昼食を食べ終え、ナプキンで口を拭った。
いつの間にか食べ終えていたアレンが、神妙な顔で頷いていた。




