ヴァレンティーナ(3)
「いやだ、お嬢様。なんて酷い顔してるんです」
「ジェシー、あなた……」
レオンハルトにエスコートされたまま自室に戻ると、死に別れたはずのジェシーが立っていた。
三年前、エミーリアへの手紙を運んでいることがバレてしまい、父に殺されたのではなかったのか。
あの日、父に酷い仕打ちを受けたヴァレンティーナはしばらく起き上がれなかった。動けるようになったころには、時間が経ちすぎてしまい、詳細を追うことができなかったのだ。
「わたし、すっごく逃げ足が早いんですよ。あと、なぜかわたしが逃げる算段をしていることに気付いたマクファーソン侯爵が助けてくださって……ですが、時が満ちるまで生きてることは明かさないほうがいいと仰ったので、見つからないよう隠れてました。生活は、侯爵様のお陰で不自由しませんでしたし」
ジークハルトだけではない。
アルフレッド、リアム、ヒース、アリシア、マーガレット、そしてエミーリアとジェシー。
それがヴァレンティーナの持ちうるすべてだった。
王太子妃になりたかったわけでも、父が怖くて逃げなかったわけでも、愛を求めていたわけでもない。
ましてや、誰もが称讃する美貌など、どうでもよかった。
ただ彼らがいたから、ヴァレンティーナはそれを捨てなかっただけ。自分を友達だと思ってくれている彼らがいなくなってしまえば、もう何も残らないから。
ルイは母の愛を他人に求めたから、皇族という立場だけでなく、彼女を気にかけてくれていた兄弟、姉妹を失うのだ。
ヴァレンティーナがジークハルトの計画通り、レオンハルトに庇護される可哀想な令嬢を涙ながらに演じたのは、失いたくなかったから。
ヴァレンティーナが演じなければ、レオンハルトを想うジークハルトを失うから。
ジェシーのときのように、失敗して失いたくなかったから。
隣にいるレオンハルトを見上げた。
いつも通りの、静かで優しいレオンハルトがいた。
「デジュネレス公爵家はヴィーの叔父上にあたるエイブラム殿が継ぐことになった。一代限りで、その後は私たちの子どものうちの誰かが継ぐことになるだろう。使用人もヴィーに味方していたものしか残っていない。ジェシーもそのために呼び戻したのだが、どうしてもヴィーの傍で働きたいというのでな」
ジェシーを見た。
顔を歪めて、泣きそうな顔をしながら笑っている。
失っていなかった。
「ちゃんと寝てますか? 酷い顔ですよ」
「寝てるわ……」
自分がどんな顔をしているのかわからない。
つい先ほどまで腹の底に溜まっていたはずの、膿のようなドロドロとした真っ黒な感情さえ、ジェシーを見てしまえばどうでもいいことのように思えた。
「お傍に、いさせてもらえますか?」
「ええ。もちろん」
「よかった、断られるかと」
「なぜ」
「だってわたし、失敗したから」
「いいえ、失敗したのはわたくし……」
あの時はタイミングが悪かった。父の機嫌が悪すぎたせいで、部屋にこもったヴァレンティーナを再び引きずり出そうとしたのだ。いつもなら下がれと言ったあとは追いかけてなど来ないのに。父を迎え入れるとき、ジェシーのポケットから手紙が滑り落ちた。慌てていたから小さく畳めず、運の悪いことに落ちた瞬間に開いてしまった。
「私は凡人だから、ヴィーの本当の気持ちを察することはできない。だから、見せたい自分を私に見せてくれていい。それが演技なのか、それとも本当の気持ちかなどと勘ぐったりしないと誓う。そしてこれからは、それすらも、あなた自身が選んでいいのだと知っておいて欲しい」
レオンハルトの腕に乗せていたヴァレンティーナの手を包んで、レオンハルトが言った。
嘘を、吐いてもいいと――
嘘とは、ヴァレンティーナにとっては真実だ。
そなたの気持ちはわかっている、などと言われれば腹の底で嘲笑っただろう。上から目線で『わかっている』と口にするような、そんな男であったならば。
ぼろりと、大粒の涙が零れた。
わたくしは屈折し、どこまでも暗く、醜い。
大嫌いな父に――父などとも呼びたくないあの男以上に醜い。
それに対して、レオンハルトはどこまでも心が広く、あたたかく、美しい。
じわりじわり、ヴァレンティーナの心を染めていく。
ジークハルトが護ってくれたヴァレンティーナという色を、少しずつ塗り替えてくれる予感がした。
「わたくしは、レオン様をお慕いしております」
「んっ? うん……うん。ありがとう。なんか照れるね?」
アイスブルーの瞳を細めて、屈託なく笑ってくれた。
肩を抱き寄せ、背を撫でてくれる。
この仕草が、とても好きだと思う。
ヴァレンティーナの言葉を、心を、全身で受け入れると言ってくれているような気がする。
「ジークのことは、初恋だったのです」
「ンンンーー! うんっ……うん、そっか」
「レオン様のことは、二度目の恋です」
「あああああああああ」
声を上げたレオンハルトは、耳まで真っ赤にして狼狽えていた。口と目をこれでもかと開けているジェシーも真っ赤だった。
「十も下の小娘など、やはり女性として不足でしょうか?」
「まさか!」
「では。レオン様に好いていただけるよう努力いたします」
「う、うん。無理、のない程度に?」
「いいえ、全力で」
「どうした、そんな急に……いや、受け入れると約束したのだから聞くのはルール違反だな」
ジークハルトなら全て予想した上で何も言わないだろう。
レオンハルトは本当にわからない様子で眉を下げて困った顔をしている。
それがなぜか、たまらなく嬉しかった。
次話から時系列が進み、世代が変わります。
ジークやヒースたちの視点にも、その後の章で戻りますのでよろしくお願いします。




