リアム(1)
リアムは、書類の束を机に投げ出すと、冷めた紅茶に口をつけた。グラント公爵家の紅茶は冷めても美味しいが、香りは落ちてしまっていた。
向かいに座っていたアルフレッドが茶色の人懐っこい瞳を輝かせている。
「荒れてるねぇ〜」
ニヤニヤと笑いながらも、侍女を呼んで新しい紅茶を出してくれた。それは嬉しいのだが「何か食べる物も持ってきてね」と侍女にかける声があまりにも呑気だったので思わず睨んでしまった。
「怖っ!! そんなにイラつくぐらいならアリシアちゃんにネタばらししちゃえばいいのに」
「できたらしている」
リアムが吐き捨てるように言うと、アルフレッドは肩をすくめた。
「僕だってエミーリアに会えてないんだから当たるならジークかヒースにしてよ」
「それもできたらしている」
「こんな余裕のないリアムはじめて見た!」
「うるさい!! 無駄口叩く暇あったら手伝え」
「横暴!! 手伝ってるよね!? ここどこかわかってる?」
「アルフの私室だが、それがどうかしたか? 誕生会の手配があるから仕方なしに来ているというのに」
睨みながら言えば、アルフレッドは渋々書類を手に取った。誕生会なんて年齢じゃないから嫌なのにと、ぶつくさ文句を言っている。
リアムも新しく出された紅茶を飲みながら再度、書類を手に取った。
急遽行われる誕生会のみならず、ジークハルトとヒースの留学手続きと、ジークハルトと共にデオギニアへ行く者たちの準備など、リアムの父である宰相から割り振られた業務とそれに伴う書類は膨大だった。
更には本来なら、卒業後一年を経てから行われるはずだった四人の令嬢の早まる結婚、それに伴う根回しと口止め。
マリアがジークハルトに近付いた時、リアムは二人が親密にならないよう配慮していたが、ジークハルトの護衛から報告を受けているはずの王家はこれを放置した。リアムは即座に、王家がマリアを利用するつもりだということに気付いていた。
『このままその令嬢を利用し、ジークハルト殿下には頃合いで留学していただく』
父から聞かされた内容は予想通り、最近流行りの婚約破棄を利用した計画だった。
婚約破棄小説に感化された貴族の子息たちが、真実の愛を見つけたからと婚約破棄を言い出す。
学園では、その流れに便乗して、令嬢たちにとって意に沿わない婚約を破棄させる家が多発した。
爵位の低いほうからの婚約解消は不可能なため、これまでは仕方なく結婚するしかなかった令嬢たちは、傷物などという不名誉な称号と引き換えに、望まない婚約から逃れることができる――というのが、婚約破棄騒動の真実だが――ヴァレンティーナとジークハルトに限っては、レオンハルトと婚約させたいという王家の都合のみだ。そこにヴァレンティーナの意思はない。
「大人たちもズルいよね。こんな傷つけるようなやり方しなくたって、他にいくらでもやりようがあったのに」
そう言って、アルフレッドは運ばれてきたサンドイッチを頬張った。リアムは紅茶を飲みながら頷いた。
二人の王子の母親であった王妃は、ジークハルトを出産した時に亡くなってしまった。
その時、十歳だったレオンハルトは、隣国のデオギニアの医療が進んでいることを知り留学を決意する。飛び級で学園を卒業したのが十六歳のとき。その後四年ほど留学したあと、帰国して二つ年下の婚約者といざ結婚という時に、今度は婚約者を流行病で亡くしてしまった。医療改革が間に合わなかったのだ。
ジークハルトは母親を知らず、その事を不憫に思う周囲に甘やかされ、多忙な父と兄に構われることなく、緩やかに拗らせた。多感な時期に王に愛妾ができたことにより悪化した。一見するとわからないよう取り繕ってもいたので、かえって質が悪かったともいえる。
「リアムはさぁ、アリシアちゃんに誤解されてるのも辛いんだろうけど、ジークを救えなかったこと、後悔してるんでしょ?」
サンドイッチに手を伸ばしたリアムの手が止まった。
アルフレッドは癖の強いフワフワの髪を揺らして、寂しそうに笑った。
自分の無力さに、リアムは唇を噛み締めた。
父の決定を覆せず、悪役になろうとするジークハルトを止められなかった。
「ジークは馬鹿じゃない。最初はマリア嬢のこともやんわり遠ざけていた。リアムが気付いたように、ジークも計画に気付いた。当然だよね。マリア嬢は、王家からしたら何の価値もないのに横槍がはいらないんだもん。僕はね、大人たちのやり方も、それに乗ったジークも、どちらも気にくわないよ。憤ってる。それでも、ジークがそれを選んだのなら……友として最後まで付き合うよ」
婚約者不在のレオンハルトには、立太子するためにも、世継ぎのためにも婚姻を求める声が多くあった。
目立った功績のないジークハルトは、優秀な婚約者がいたものの本人の評判が悪かった。甘やかされた第二王子、無能の第二王子、顔だけのお荷物王子——向けられていた悪意はキリがないほどだった。レオンハルトを推す勢力からが殆どではあったが。
リアムもアルフレッドも、ジークハルトの功績作りに協力しようとしたが、ジークハルト自身がそれを拒んだ。
「俺に力がなくて……すまない」
「リアムひとりでどうこうできるものじゃなかったんだし、仕方ないよ」
「それは、そうなんだが……」
「ジークには散々手を差し伸べてた人がいたんだよ。ヒースのお父さんとか」
リアムは目を伏せた。
ジークハルトには騎士の才能があった。王子が騎士というのも難しいかもしれないが、実績作りという意味ではやりようはあった。それがわかっていたヒースの父である騎士団長に、幾度となく騎士団へ誘われていた。
それ以上にレオンハルトが騎士顔負けの強さだったせいで説得が上手くいかなかったのだ。
「……そうだな……ありがとう」
「うわぁ、気持ち悪い」
励まそうとしているアルフレッドの心に救われて言った言葉を茶化されて、リアムは盛大にため息をついた。
「マリア嬢も変な子だよね。小説を真似たんだろうけど、ジークだけじゃなく僕たちまで落とそうとして。計画のために気のある素振りをしなくちゃいけなくなって、ほんと不愉快だった」
いつも笑顔のアルフレッドから笑みが消えた。
「あれは仕込みなの?」
ジークハルトを留学させ、ヴァレンティーナをレオンハルトの婚約者にするという計画は、学園への入学前から決まっていたのではないかと思われた。
都合がよすぎるタイミングで現れたマリアを疑い、リアムも可能な限り調べた。
「偶然だと思う」
「そう」
「ただ……」
「……」
「婚約破棄小説が流行ったのは偶然じゃないと思う」
「そっかー。そういえばエミーリアが流行り出した頃言ってたんだよねー。こんな王子を侮辱した小説、普通なら流行るはずないって。その前に検閲されるって」
エミーリアは幼い頃から才女と呼ばれ、語学が堪能なだけでなく歴史や経済など幅広く学んでいる。おそらく帝王学も——今回の計画に最初から気付いていたのは、令嬢の中ではエミーリアだったはずだ。
もしエミーリアがヴァレンティーナより一年でも早く生まれていたら、レオンハルトの婚約者はエミーリアだった可能性が高い。
金髪碧眼の宗教画のような美少女のヴァレンティーナと、銀髪に菫色の瞳の涼やかな美少女のエミーリア。見目麗しく才気溢れる子供が多く誕生したリアムたちの世代は、至宝の年と呼ばれている。
王妃の懐妊発覚後、側近候補を作るべく空前のベビーブームが訪れた結果だった。
「ヴァレンティーナ嬢も気の毒だよ」
「……そうだな」
ヴァレンティーナは明らかに、王妃教育を受けさせられていた。
最初から王太子妃のスペアとして囲われていたのだろう。
王家にしてみれば、レオンハルトの婚約者が亡くなったあと、直ぐにでもヴァレンティーナを婚約者にしたかったはずだ。
けれども、ジークハルトとの婚約を解消させる理由がなかった。
当然だ。
ジークハルトはつい最近まで、評判や実績がどうであろうと王子然としていたし、素行が悪いわけではなかった。
「親世代は婚約破棄小説を利用してるつもりかもしれないけど、一度作った流れは消せないよ」
「あぁ。俺たちの子世代は貴族も恋愛結婚が主流になるだろうな」
「そこも狙ってたりして?」
「だとしたら、恋愛すら親の匙加減でコントロールできると思っているんだろうな。ある程度遊ばせて発散させるのも狙いか」
リアムがそう言うと、アルフレッドは馬鹿にした顔をした。
「コントロールできないから政略で縛ってたのに」
「確かに。その結果、これからはモテる男に令嬢が集中して、モテない男はあぶれるだろう。男性優位だった結婚は、女性に選ばれるようになるんだろうな」
それでいいんじゃないか。
親世代も、無理に引き裂かれて政略結婚した挙句、冷えた結婚が嫌になって外で愛人を作って……そんな話ばかりだ。
流行を追うようにして現れた逆襲小説がそれを物語っている。
自分の人生を自分で切り開く彼女たちは、生き方も、共に歩く相手も、自分で選んでいた。
きっとこれからは、そういう時代になる。
これもまた、父の真の狙いのひとつだろう。
アリシアとの結婚が早まったのも、その流れを止められないのがわかっていたから…………
貴族らしく“囲ってしまえ”と——————
「あーあ。政略結婚で良かった」
「お前はあぶれないだろ、俺と違って」
「リアムがそれ言う?」
「俺みたいなつまらん男なんか真っ先にあぶれるだろ」
静かになったアルフレッドから目を逸らすと、再びその熱を失ってしまった紅茶に口をつけた。
「俺は……政略でも恋愛でも何でもいい。アリシアと結婚できるなら」