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ジークハルト(8)





 久しぶりのサファスレートは相変わらずだった。

 表向きは改革後の開かれた国を装っていても、本質まで急に変わることはない。

 にこやかな笑顔の下の悪意を読めなくては生き残れない。


 感覚が鈍ってしまうことをずっと恐れていたけれど、不思議なもので沁みついた習慣というのは衰えないようだった。

 情勢が変わり、手の平を返す貴族が大勢いる中、本当の意味で付き合うべき貴族は僅かだ。読み間違えないよう慎重に探り、好意的な人物にはミユの有能さをアピールしていく。


 レオンハルトとヴァレンティーナに挨拶をしてから、ララとコーディーと合流した。

 コーディーが密偵であることは、シンの様子からわかっていたが、それをジークハルトに漏らしたことについては驚いた。彼のような人物でさえ予想外のことが起こり得るらしい。


 詳しくは聞かなかったが、ララとの婚約で焦っているようだった。サファスレートで成長した彼女に、婚約解消でも持ちかけられたのだろうか。行きの二人の様子はジークハルトから見ても仲がいいとはいえない雰囲気だった。


 ルイとララが対面する場を設けて欲しいと懇願された時に取引をした。彼にはこれから、ジークハルトの欲する情報を流してもらう。シンが漏らしてもいいと判断したものに限るだろうが、それでも知り得た情報は貴重なものになるだろう。


 ララとの様子から、二人きりにするべく四人で部屋を出た。

 城の者には二人が落ち着いたら馬車で送るよう伝え、軽く食事をした後、我々も早めに切り上げることになった。


 ミユは疲れたのか、ジークハルトの肩に寄りかかるようにして眠ってしまった。昨日も考えごとをしている様子で、あまり眠れていないようだった。緊張の糸が切れ、眠気に逆らえなかったのだろう。


 ミユの寝顔をしばらく眺めた後、前を向くと、ヒースとナターシャにニヤニヤされたので、ニッコリ微笑んでおいた。


「ジーク、婚約の許可が出たんですか?」

「あぁ」

「それは良かったですね」


 お前はどうするんだ?

 と、喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。

 明らかにナターシャに想いを寄せるヒースを、少しもどかしく思う。


 人から見ればジークハルトこそ、もどかしく見えるのだろうということもよく理解している。

 特に、シンやマックスには生温い目で「どうするんだ?」と聞かれている気がしていた。マックスが自分のことを陰で天然王子と呼んでいることにも気付いてはいたが、放っておいた。天然な王子を装っていた自覚があるからだ。


 どんなにミユを愛おしく思おうとも、婚約の打診の許可もなく口説くことなどできない。

 シンたちの前で好意を漏らしたのは、許可が出た後、婚約の打診をしやすくするためだった。


 シンは最初、ララやルイをジークハルトから遠ざけるために留学を思いついたようだった。レオンハルトからもそう思わせるような手紙がジークハルトに届いていた。

 それゆえに、全員でサファスレートに来ることになった時は驚いた。予定を急遽変更したのは、その方が有効だと考えたからだろう。

 

 ジークハルトは、最初からミユの婿候補だったのだろう。隣の離宮という、あからさまな滞在先に、シンの思惑がうかがえる。



 サファスレートの王家の別邸に到着すると、すぐにレオンハルトと手紙のやり取りを開始した。

 改革派が占めたとはいえ、貴族同士の腹の探り合いがなくなったわけではない。手紙のやり取りさえ、王宮ではなく、グラント公爵家の使用人を通して行われた。


 結婚式前の忙しい時期に人員を割いてもらうのは心苦しかったが、アルフレッドは二つ返事で了承してくれた。どこかで先に情報が漏れるようなことがあってはならない。


 そのお陰で、婚約の件は宰相が全力で推し進めるとの回答が手元に届き、ようやくミユを口説くことができる状況になった。


 ダンスの時に遠慮をしなくて済んだのは助かった。

 ミユの、濡れたような深い黒の瞳は、サファスレートではお目にかかれない。艶のある黒髪と相まって神秘的であり、深緑のドレスが細い身体と白い肌、黒の髪や瞳をいっそう引き立てていた。

 ミユは自分に自信がないようだが、大きな瞳に小さめの鼻と口、ふっくらした頬は可愛らしく、庇護欲をそそる。満面の笑みなど、淑女らしくないと言えばそれまでだが、見慣れない者にとっては心を躍らせる要因にしかならない。


 当然、男たちの視線をこれでもかというほど集めていた。


 その視線に、デオギニア育ちのミユは全く気付いておらず、とてもハラハラした。

 どうにか自分だけを見つめるよう促すことができたと思う。


 ミユと出会ってから、わずか九か月ではあるが、出会ってすぐに心を奪われた身からすると、ここまでがとても長かったようにも思える。



 *



 デオギニアの皇子や皇女の多さについて、ミユとヒースと三人で話していた時だった。


「こんなことを聞くのは失礼なのだが……こちらの国のご婦人はその……皆、このように多産なのだろうか?」

「ジーク!!」

 

 ヒースが思わず立ち上がって叫んでいた。

 失礼を承知で言ったのだから仕方がない。

 

「ヒース、いいの! それは話そうと思ってたの」

「すまない、不躾な質問とは思ったのだが、我が国は貴族の出生率が低く、死産なども多いゆえ」


 医療改革が進んでも、一向に上がらない出生率と生存率に、レオンハルトが悩んでいたからだ。少しでも手掛かりが掴めればと、そんな気持ちからの質問だった。

 

「うん、知ってるよ。サファスレートも近親婚は禁止されたんだっけ?」

「それは兄上が禁止に。それでもまだ、あまり出生率は上がっていないようだ」

「そっか。デオギニアはいとこ同士の結婚もなるべく避けるように言われてるよ。子供は確かに多いと思う。平均で四人ぐらいかな? でも、今の皇族が多いのは別の理由というか……」

 

 ミユはそこで、言おうか言うまいか迷っているような顔をした。

 

「お父様は夜のほうがとてもお元気で、皇妃様たちは交互に妊娠をしていて、さすがに体がキツイと、前世持ちの人の知識から避妊具を急遽作ったけど、お父様はあまり使いたがらなくて。それで多いんだけど」


 ミユの口から出た言葉に、ヒースもジークハルトも絶句した。

 もはや出生率とは関係ない気がしたが、ミユが真剣だったので口は挟まなかった。

 

「母は前世持ちで、元の世界では助産婦っていうお産を補助できる人だったらしくて、それがわかってから妃様たち専属の助産婦になったの。それで母は最初は妃様たちから、第三皇妃にしたいと頼まれたらしいんだけど、妃なんて柄じゃない上に、母の前世の世界では一夫一妻制だったみたいで、夫の共有なんて嫌だったらしいの」

 

 ということは、無理やり妃にされたのだろうか?

 思わず苦い顔になってしまった。

 

「でもある時、妃様たちが同時に妊娠してしまって、夜のお相手がままならくなって、お父様も母のことを好きになってしまったみたいで口説かれて——っていうと無理やりみたいだけど、母もお父様のことが好きだったみたいなので大丈夫よ。妃様たちは、お父様の気持ちも、母の気持ちも知っていたから妃の話をしたみたい。それに、いくら皇帝でも無理やりそんなことしたら犯罪よ」

 

 ヒースが横で絶望みたいな顔をしている。

 おそらく自分も似たり寄ったりな顔をしているだろう。

 側室や第二王妃の文化がないサファスレートでは、理解しにくい話ではある。

 

「まぁ、それは我が家の話だから、出生率とは関係なかったね。あとは……そうね、サファスレートの女性はコルセットで体を締め上げてるでしょ? あれ、よくないみたい」

「そうなのか?」

 

 ヒースはまだ絶望の顔のままだ。

 

「うん、もうこの国では使われてないよ」

「では……あ、いや、何でもない」

「ドレスの時の下着ね? ドレス自体、そんなに着ないんだけど。着たとしてもコルセットのかわりにブラジャーがあるから」

「ブラジャー?」

「うん、それこそがわたしのデザイナー第一号商品なの。ドレス用は縫い付けたりもするから違うんだけど、普通のがあるから見てみる?」

 

 返事をする前にミユに手を引かれ、作業部屋へと入ってしまった。

 角部屋の風通しのいい、明るい部屋だった。

 作業台にはたくさんの布が積まれていた。

 

「これがブラジャー第一号なの」

 

 部屋に入るなり、机の上にあった籠の中からそれを取り出した。

 コットン素材の三角の布を二つ繋げたような物を見せられる。

 

「そ、それは、」

 

 思わず顔をそむけてしまった。

 二つの三角の布は、胸の膨らみが再現されていた。

 

「これは試作品だし、未使用だから大丈夫よ」

「いや、そういう問題では」

 

 ヒースの絶望顔を眺めることで、なんとか正気を保つことにする。

 自分より焦っている人を見ると冷静になれるというアレだ。

 

「ブラジャーは最初、母のために作ったの。母の前世ではこれが当たり前だったらしいの。胸が垂れなくて済むのよ」

 

 ヒースはもう聞くのをやめたような顔をしていた。


「その、ミューの母上は……」


 亡くなっていることは知っていたが、話の流れからして、ここで聞かないわけにはいかないだろう。

 

「うん。二年前に。デオギニアの医学でも治せない病気だったの。母が元いた世界でも治すのが難しかった病気だったみたい。母はそれが自分でわかっていて、身辺整理をしてから亡くなったわ」


 ミユはそう言って、机の引き出しからノートを取り出してジークハルトに見せた。


「死ぬ前に母がくれた前世の洋服のデザインよ。デザイナーなんて言ってるけど、わたしに才能なんてないの。全部、母が教えてくれたものばかりよ」


 ミユは目を伏せて、こらえるように唇を噛んでいた。


 黙ったままノートを受け取り、パラパラと捲った。どれも簡単な絵で描かれた横に詳しく機能などが書かれていた。


 ミユは才能なんてないと言うが、ここから作り出している服や下着は紛れもなくミユの作品だろう。誰しもが簡単な絵から緻密な設計図を描き、家を建てられる訳ではない。


 母上の絵は上手とは言い難く、詳細な文章からミユが形にしていくことを喜んでいるように感じられた。


「これは母上からミューへの愛情と希望だと私は思う。ミューがそんな風に、才能などないなどと言えば、母上は悲しむのではないか?」


「……そう、かな?」


「あぁ、きっと」


 ミユは大きな瞳を見開いて、我慢の限界がきたのかポロポロと涙を零し始めた。


 あまりにも無防備な涙だった。


 不謹慎にもその涙は、サファスレートで偽り続けたジークハルトの荒んだ心を洗い流してくれた。


 その素直さに、胸を打たれたのだ。




* 




 眠るミユの頬を撫で、ナターシャが掛けてくれていたストールを巻きなおして膝の上にミユを乗せた。


「ん、ジーク?」

「あぁ。まだ眠っているといい」

「うん……」


 いつも以上に幼い顔をして、小さく頷いたミユは再び眠った。

 静かな寝息を立て始めたことを確認してから口をひらく。


「ナターシャ」

「はい」

「ミユはどうして、自分に才能がないなんて思うのだろう?」

「……どうしても、ご自分の作品がユリア様のデザインの模倣だと思ってしまうようなのです」

「ナターシャから見てもそう思うか?」

「いいえ。確かに形こそ取り入れていますが、どんな素材を使うか、どこに膨らみを持たせるか、逆にどこを削って細く見せるか、どうすれば動きやすいか、どんな飾りを着けるか、ボタンひとつとってもセンスというものが必要です。ミユ様にはそれがあり、シン皇太子殿下もお認めになられています」

「そうか」

「ミユ様は、ユリア様を亡くされたショックと、模倣ではないのかという心苦しさを混同されているようなところがあり、わたしもとても心配で……」


 ミユを心配するナターシャの肩に、ヒースがジャケットを掛けた。


「ミユの頑なな気持ちがほぐれるよう、尽力する。まずは結婚を申し込むところから始めるが……ミユのことでは、ナターシャにも何かと協力を仰ぐこともあるだろう。お願いできるだろうか?」

「もちろんです!! ミユ様をお願いいたいします」


 力強く頷くナターシャに向かって一つ頷き、窓の外を見た。もうすぐ別邸に到着する。


「功績を残した妃の娘というプレッシャーもあるのだろうな」

 

 ジークハルトの呟きに、ナターシャは小さく頷いて眉を寄せていた。


 デオギニアにはデオギニアの難しさがあるのだろう。


 あの出来過ぎているシンでさえ、排除の対象にならぬよう常に気を張っているように感じる。


 王族や皇族の難しさを感じながらミユを抱き上げると、停車した馬車から静かに降りた。



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