ララ(1)
サファスレートに到着した。デオギニアより寒く、腕が出ているドレスだったことを後悔した。こんなにも気温が違うなんて想像していなかった。
羽織る物が欲しかったけれど、ララにはメイドがいない。専属のメイドが付いて来てるのはミユだけだ。こんなところにも、日頃の行いが出てしまうのだろう。震える体を抱きしめて、早く室内に入りたいと馬車の窓から、遠くに見え始めた王城を眺めていた。
デオギニアの皇女が到着したのだから、派手な出迎えがあると思っていたのに、到着したのは普通の貴族の邸宅で、派手な出迎えはなかった。
途中から婚約者のコーディーと乗っていた馬車に、不貞腐れたルイが乗って来て、コーディーは、ルイの婚約者のテッドの馬車に乗った。
てっきり、ララとルイは皇族だから二人とは別行動になり、二人だけ王城に向かっているのだと思っていたのだが。
コーディーたちを乗せた馬車はかなり前に道をそれて行った。
ジークハルトとヒース、ミユ、ナターシャの四人を乗せた馬車も、途中から別の方向へ離れて行った。仲のいい四人の姿を終始見せつけられてはたまらないので、これには少しほっとした。
ジークハルトとミユは同じ大学に通い、毎日一緒にご飯を食べている。それを邪魔しに行こうと言ってルイに大学まで行かされるのだが、その度にイチャイチャと戯れる姿を見せつけられてしまい、精神的に限界だった。
ジークハルトもミユもお互い無自覚だけど、どう見ても恋人同士にしか見えない。そのミユにブービーと言い続けなければならない自分が酷くみじめになる。
そんな時、シンに留学の話を聞き、思わず二つ返事で了承してしまったのだが……結局ミユたちもサファスレートに来ることになっていた。
邸宅から出てきたキツい顔立ちのライドン伯爵夫人は、ララとルイを見るなり眉を寄せて溜息を吐いた。
「わたくしを誰だと思っていて?」
よせばいいのに、ルイが声を荒げて夫人を睨みながら言った。
デオギニアでは見た目からララのほうが直情的だと思われているけれど、本質ではルイのほうが感情的で我がままだ。
デオギニアではララがルイの代わりに暴言を吐いているから目立たないだけ。たとえ本質を知られたとしても、彼女は美人だから、何をしても男性に許されてしまうけど。
美人は得だと常々思う。
「まずは挨拶からご指導いたします。ルイ皇女殿下」
威圧的な声は厳しい教師そのものだと思う。ルイと令嬢ごっこをしていたら、本物の令嬢になれるよう教師を手配したとシンに言われて会った、あの教師にそっくりだ。もちろん本物の厳しい教育に耐えられるはずもなく、一日で逃げ出したが。
留学先がここだということは、あの教育が再び待っているのだろう。
名乗ってもいないのに、ララとルイの見分けがついているという時点で警戒しなければいけないのに。
ちらりとルイをうかがってみると、怒りで顔を真っ赤に染めていた。
「そのような粗末なドレスはサファスレートではドレスとは呼びません。そして、美しい挨拶は姿勢からですよ」
「なんっなの、このおばさん! ねぇ、そこのあんた、なぜ皇女のわたくしが王宮じゃなくて、こんな古びた屋敷に滞在しなきゃいけないのよ!!」
問われた従僕は、御者と帰り支度を始めていた手を止め、頭を下げた。余談だが、この従僕も御者もみんなイケメンだ。デオギニアではイケてると思われるコーディーよりも、はるかに。
「恐れながら申し上げます。レオンハルト殿下より、シン皇太子殿下からの要望だとお聞きしております」
「ハァ? わたくしは皇女よ!?」
従僕はニッコリ笑うと、それには答えず深くお辞儀をしたあと御者と共に去って行った。
「ルイ皇女殿下」
「なによ」
「わたくし、などという一人称をお使いになられるのでしたら、そのような下品な言葉遣いは改めなくてはなりません」
「わたくしのどこが下品なのよ」
憤慨するルイに、夫人は綺麗に笑った。
「全て、と申し上げておきましょう」
「あんたね、なんの権利があってそんな」
「先ほど従僕が申し上げた通りでございます。レオンハルト殿下より教育係を任命されております」
「あんたが教育係!? 嘘でしょ、ただのおばさんじゃない。もっと若い人を寄越しなさいよ。古びた教育なんていらないのよ」
ルイはいつもの令嬢ごっこのような言葉遣いすら出せないほど憤っている。途中で婚約者のテッドと離されてから機嫌が悪い。馬車でイチャイチャしてたのを邪魔されたと思っているらしい。
二人とも節操がないのだ。ところかまわずイチャつくので、シンの秘書に何度も目撃され、注意されている。ルイはシンの目の届かないサファスレートで好き放題できると思っていたのだろう。隙あらば最後までと思っているのがありありと伝わってくる。
溜息が出るのをなんとか堪えた。
奥手なララには理解できない。
小さいころから美人だったルイに、ララはいつも損な役割を押し付けられてきた。ルイより醜く、ルイより馬鹿な存在として。
本当は小心者のララの性格を、人を服従させることの好きなルイに見抜かれ、下僕にされた。
本当はミユのことだってブービーなんて呼びたくなかった。
ルイに強く出れず、ミユに言い続けたのだから、それはララの罪だけれど。
夫人と話すルイが、ララをいつものように応戦しろと睨んでくる。絶対に嫌だ。今は二人きりじゃないから、知らぬふりをしていればやり過ごせるかもしれない。
「王妃候補様の教育係を務めさせていただいた経験から選ばれたようです。ご不満ですか?」
「王妃候補って、ジークハルトの元カノでしょ?」
「元カノ……」
「そんな言葉も知らないの? サファスレートってほんっと遅れてるわね」
勝ち誇ったようにルイが顎を上げたが、夫人は器用に片眉を上げていた。
「こんな陰気臭いおばさんと一緒なんて絶対に嫌!!」
「左様でございますか」
ルイの言葉に夫人は頷いて、パンパンと手を叩いて邸内から使用人を呼び寄せた。
「第四皇女ルイ殿下を王宮へご案内して」
「かしこまりました」
「わかればいいのよ」
得意げに笑うルイに、ララは身体を震わせた。あのシンが、なにも手を打っていないはずがない。
ララとルイが授業をサボる度に、それ以上にキツい授業が待っていた幼少期を思い出した。わずか六歳のころで、シンは十五歳だった。あのころはまだ、ララもルイも見放されていなかったのだと、今になるとよくわかる。
「第三皇女ララ殿下」
「は……い」
「我が家で淑女教育をされますか?」
「……お願いします」
「よろしくお願いいたしますと答えていれば及第点でしたね」
「申し訳ありません。よろしくお願いいたします」
「承りました。どうぞ、お入りください」
素直に謝ったララに、小さく頷いた夫人は背筋を伸ばして歩き始めた。きつく結い上げた夫人の髪を眺めながら邸内に入る。
結っていてもわかる、夫人の艶やかな黒髪が羨ましい。どんなに手入れをしても、ララの髪は錆色だ。綺麗な赤にはならないし、いっそ茶色に振り切ったほうが綺麗だろう。
ミユのメイドのナターシャは、ふわふわの艶々の茶髪で、顔立ちも可愛いのでモテる。
ミユはそれ以上に。
愛嬌があって、分け隔てがなくて、皇女なのに性格がいい。
ララとルイの素行の悪さが、ミユの評判をぐんぐん上げた。
ルイは皇女の中でも一番美しかった第二皇女のマイに似ていると自負しているせいで、ミユの可愛さや美しさを否定して、自分が上だと示さないと気がすまないらしい。
ルイは色こそ第二皇妃のメイと同じだけれど、顔は父である皇帝似なのだ。第二皇妃似のマイには似ていない。
しかし、父も、父そっくりのシンも綺麗な顔をしているのだから、ララにしたら羨ましいのだけれど。
ララの母である皇妃のラファは大らかでふっくらした良い人だ。好い人にはなりそうもない顔立ちだし、どうして皇妃になれたのだろうと思うのだけれど、父は母をとても愛しているらしい。
父がいくら母を愛していようとも、母似のララは、もっと美人に生まれたかったと思ってしまうのだ。ルイに容姿を馬鹿にされるたび、コンプレックスは膨れ上がってしまった。
背後でルイが叫んでいたけれど無視した。デオギニアに帰ってから意地悪されるだろうけれど、頼れる人のいないサファスレートでつらい思いをするよりはずっといい。
邸内に入ると薄いドレス……というより、ただのよれたワンピースを脱がされ、生地の厚いドレスに着替えさせられた。見ただけでサイズがわかるらしい美人の侍女のマリィが、体に合うドレスを選んでくれた。ドレスの中には、あたたかい素材のドロワーズも履かせてくれた。
「女性は体を冷やしてはいけませんと、奥様からの伝言にございます」
「寒かったから、嬉しい……」
思わず零した言葉にマリィが頷いて、肩にウールのストールを掛けてくれた。なぜか心までポカポカしてきた。
ルイと共に王宮になんて行かなくてよかった。
「ララ殿下。お困りのことがございましたら、このマリィになんなりとお申し付けくださいませ」
「あ……ありがとう」
シンが見たら、こんなことで泣くララに驚いたことだろう。思ったより寒さが身に染みて、心細かったらしい。
ポロポロ涙を流すララに、マリィは黙って紅茶を淹れてくれた。
この国の人は、口ではなく態度で優しさを示してくれるのかもしれない――そう思った。




