シン(2)
ジークハルトがデオギニアに来てから八ヶ月ほどが経ち、ようやくララルイを受け入れる準備が整ったとレオンハルトから手紙が届いた。自身の婚約や改革で忙しかったのだろう。幅をきかせていた派閥が瓦解したという密偵からの報告もある。
ジークハルトはこの八ヶ月で一定の成果を上げている。半年経ってから専攻を決めればよいと伝えておいたはずなのに、到着してからわずか三日ほどで教育学部への専攻を決め、一週間後には大学へ編入した。
基礎学力は申し分なく、ゆるいデオギニアの中で驚きの勤勉さをみせ、異彩を放った。教授陣はジークハルトの才能を喜び、そのままデオギニアの大学に留まって欲しいと願うようになっている。この国の生徒は勉強にあまり熱心ではない。教授陣を喜ばせるのは大半が前世持ちだというのが現状である。
教授陣の意気込みはわかるが、ジークハルト自身はサファスレートの遅れている教育を変えることを目標にしている。どうすればサファスレートの教育改革ができるか、という課題に取り組むようだ。
まずは庶民の識字率を上げることからだろうが、庶民に知恵をつけさせたくないと考えるサファスレートの貴族相手に、果たして上手くいくだろうか?
――などと、目の前に立つ美しいジークハルトを眺めながら考えていた。
「大学が長期休暇に入りますし、友人たちの結婚式もありますので、一時帰国をしようと思っています。兄上に教育改革の提案もしたいですし」
「それはいい。ちょうどララルイの留学手続きが整ったところだから、一緒に連れて行ってくれるかな」
シンの言葉に、ジークハルトがわかりやすく眉を寄せた。
随分と表情に出るようになったものだと感心した。レオンハルトよりは、多少時間がかかったものの、最初の固さから考えれば目を見張るほどの変化だろう。
「レオンの話では、ララルイの教育を、ライドン伯爵夫人が受けてくれるそうだ。滞在先も伯爵家だそうだよ」
「それは……」
ジークハルトはうっすらと笑みを浮かべた。
いい表情だ。
ライドン伯爵夫人は聞くところによると、なかなか厳しい方のようだ。
皇族だからといって甘やかすようなところへ行かせる気はないので、二つ返事で了承した。
「しかも、ご丁寧に夜会の準備までしてくれているらしい」
「夜会ですか。場所はどこでしょう?」
「王宮だそうだよ」
これには眉を寄せ、困惑していた。
「少々厄介ですね。グラント公爵家の夜会ですと、外に漏れないので都合がよかったのですが」
「なに、愚妹たちの心配をしてくれるの? ミユのことをブービーなどと呼んでいるような妹たちだよ?」
「いえ……むしろデオギニアの皇女がこんなレベルかと思われてしまうのが悔しいです。ミユとナターシャなら、一か月もあれば形になると思いますが、彼女たちでは……」
「あぁ! それはいい! ミユとナターシャも連れてってよ。ナターシャは伯爵令嬢だから身分も問題ないし、ダンスも完璧だから。ミユはジークが、ナターシャはヒースがエスコートしてくれればいい」
「では、ララ嬢とルイ嬢のエスコートはどうなさるおつもりですか?」
「ララルイの婚約者を連れて行けば問題ないよ。ジークとヒースに二人のエスコートなんて頼みたくないからね。ちなみに、ララルイの婚約者たちはセヴィニー伯爵家の別邸に滞在するらしいよ?」
「それはまた……」
セヴィニー伯爵家はごりごりの保守派だったのに、爵位を継いだ嫡男が改革派に乗り換えたせいで、前伯爵は大層ご立腹だそうだ。
そのご立腹な前伯爵が滞在している別邸での滞在となるらしい。部下からの報告が楽しみだ。
「兄上も人が悪い」
「レオンは私の希望を叶えただけだよ」
困惑するジークハルトを見ながらほくそ笑んだ。
真面目すぎてなかなか進展しないミユとジークハルトの仲が、サファスレートで深まるだろうか?
サファスレートの改革に乗じて儲ける算段はすでに立てているが、なかでもミユの作る服は、デオギニアの若い子たちだけでなく、改革後のサファスレートでも徐々に受け入れられることだろう。
そのためにもサファスレートの第二王子との結婚はうってつけだ。
ジークハルトは婚約していないのだから、遠慮することもない。
レオンハルトの手紙にも、こちらでジークハルトの婚約者が見つかるならそれでいいと遠回しに書かれていた。
謁見も終わろうかという頃、不意にジークハルトが思案顔になるので、どうしたのかと聞いてみた。
「その……ミユが、ブービーと呼ばれていることについてなのですが、ミユの鼻が低いからという意味もあるのだとか」
「うん、そうみたいだね。豚の鼻みたいな意味合いらしいね」
ジークハルトに説明しながらも、心底呆れていた。
なぜジークハルトにそれを言うのだ。
既に陰口ではなくなっている。
「申し訳ないのですが、ララ嬢やルイ嬢と比べても、私には大差がないように見えまして。お二人の鼻と、ミユの鼻がどう違うのかわからぬ、と言ったら絶句されました」
「んっ!?」
まぁ、元々ただの嫌がらせだからなぁ。
別にミユの鼻は低くはない。
たとえ低かったとしても、ミユには愛嬌があるので可愛いだけだ。
しかし、言われた二人はさぞかし悔しかっただろう。
その顔を想像すると、笑いがこみ上げてきて堪えるのが大変だった。
「サファスレート人は鼻が高いからなぁ。それと比べたら三人とも似たり寄ったりだろうな。その時のララルイの顔、見てみたかったよ、想像はつくけど」
「すみません、失礼だったでしょうか?」
「いや? 二人にはいい薬だよ。ミユ自身は自分を綺麗とも可愛いとも思ってないみたいで、ブービーって呼ばれることも、諦めてるみたいでね」
ミユに婚約者がいないのは、相手を厳選していたからなのだけれど。
ララルイはそのことも含めてブービーなどと呼んでいるようだ。馬鹿らしい。
「それもよくわからないのです。私から見れば、ミユはとても美しいのですが」
そしてその、厳選された男は、ミユに好意を持ってくれている。
実に心地いい瞬間だ。
「それ、本人に言ってあげてよ」
「婚約者でもない男から言われたら、気持ち悪くないですか?」
「いや、大丈夫だと思うよ」
「そうですか」
わかってるような、わからないような顔をしたジークハルトは、お辞儀をして部屋から出て行った。
「マックス、もう声を出して笑っていいぞ」
「ぶはっ!! ジークハルト殿下って天然なんですね!?」
息をひそめていたマックスが顔を真っ赤にして笑い出した。
「いや、真面目なだけじゃない?」
「色々ぶっちゃけてましたけど!?」
「全く気付いてないみたいだね」
「婚約の書類、用意しておいたほうがよさそうですね」
そう言って、マックスはウキウキと書類を作成し始めた。
「それは気が早いんじゃないの~?」
「いえいえ、何事も備えあれば、ですよ。殿下」
「無駄にならないといいねぇ」
「無駄にする気ないくせに、よく言いますね?」
「全く口の減らない秘書だよ。大体なんでそこまでご機嫌になったわけ?」
「日々、皇女殿下に振り回されている身ですから。美しい天然王子様の華麗なストレートパンチに敬意を表しているんです」
「あっそう。まぁいいけど、サファスレートに送る書類、大量だけど大丈夫なの?」
「ほぼ仕上がってます」
「優秀だねぇ」
本当に。
自分の秘書に感心しながら、レオンハルトへ手紙の返事を書き始めた。




