シン(1)
レオンハルトから手紙が届いた。
いつものおどけた口調とは違い、そこには弟を頼むという切なる想いが綴られていた。三回ほど読んでから、妻のカレンが淹れてくれたコーヒーに口をつけた。
「どうしたの? 溜息なんてついて」
横で本を読んでいると思って油断していたら、小さく吐いた溜息に気付かれてしまった。
「レオンの弟がこちらに留学したいそうだ」
「まぁ。それはまた……」
「ララルイが騒ぐだろうな」
「またそんな、ひとまとめに……」
カレンは呆れながらも笑ってくれた。
サファスレート人はとても美しい。
美形と美形が結婚するからまた美形がまれるのだろうか?
王族だけでなく宰相から騎士まで美形揃いだ。
サファスレートには妻を連れて行きたくないと零す外交官がいるぐらいだ。
レオンハルトが留学してきた時も、皇城が大騒ぎになった。
見事な銀髪に整った目鼻立ちは、デオギニアではお目にかかれないものだ。また剣術にも長けており、女性だけでなく男性もレオンハルトに興味津々だった。
そんな彼と恋に落ちたのは妹の中でも一番美しく、一番活発だった第二皇女のマイだった。マイはとてもデオギニア人らしい大らかな性格で、儚げな見た目に反して、あまり物事を気にしないタイプだった。
マイがララのように、見た目もデオギニアらしければ、レオンハルトが恋に落ちていたかはわからない。
現にレオンハルトと同い年だった第一皇女のリマに、彼は全く興味を示さなかった。
レオンハルトとマイの恋は、絵に描いたような美男美女の、絵に描いたような恋物語だった。
マイと出会った当時、レオンハルトは十六歳だった。大人びて見えても色恋沙汰には疎く、恋に溺れていく姿は危うかった。真面目な彼にとって、溌剌とした十五歳のマイは眩しかっただろう。前世持ちの人が広めたテニスをしている様に釘付けだった。スポーツという概念すらなかった彼は、女性でありながら活発に動きまわるマイの魅力に抗えなかった。気付けば周囲が婚約を確信するほど、二人の仲は深まっていた。
レオンハルトがマイとの婚約を願ったとき、デオギニア内も初のサファスレートとの婚約かと湧きあがった。
今思えば、あのまま順調に婚約しても、マイの性格はサファスレートには合わなかっただろう。むしろマイよりは多少控え目な性格だったリマのほうが、そういう意味では合っていたと思う。
別れる決断をした当時の二人は、痛々しいほど悲しみに暮れていたが、たかが恋の一つが終わったぐらいで大げさだな、と思っていた。レオンハルトの正式な婚約者の立場を考えれば、むしろそれで良かったのだから。
サファスレートの政略結婚を全て否定などできようもない。王族がそのように育てられるのは国益を考えれば当然だからだ。
サファスレートにマイが嫁げば、デオギニアにも国益はあった。
しかし、レオンハルトはデオギニア流の発展を厭う貴族たちを全く抑え込めず、二人の恋は成就することはなかった。
その後、婚約者が亡くなったと聞き、こちらからマイと婚約しないかと打診してみたが、レオンハルトは頑なにそれを固辞した。
王族としては、優しすぎるだろう。
感情よりも利を取るべきだ。どんなに非道に見えようとも、あの時マイと結婚していればジークハルトの婚約破棄騒動は起きなかった。
先日、詳細を密偵から聞き、心底呆れてしまった。
ジークハルトの置かれていた立場にすら気付けていなかった節まである。デオギニアの皇太子としては口など挟めない問題ではあるが、友人としては苦言を呈したいところだ。
ちなみにサファスレートでは、第二王妃や側室という制度がない代わりに妾を持つことはできる。しかし、皇女であるマイを妾にできるわけもなく、婚約者も侯爵令嬢という立場、しかもジテニラ王家の血をひく令嬢となれば、彼女にとっても無理な話だろう。
侯爵令嬢を妾にするなど、レオンハルトの性格ではできるわけがないので、この話は考えるだけ無駄なのだが。
小さな恋物語の一つが終わりを告げたところで、どうだというのだろう。
そしてそれが、悲恋の物語として売り出されようとも。
レオンハルトとマイの恋物語は他国でも翻訳され、瞬く間に広まった。それを読み、マイに興味を持ったマルーラという国の王太子が求婚してきたため、マイはマルーラ王太子妃になった。
マルーラは小さな国ではあるが資源が豊富な国だ。マルーラとの貿易はデオギニアにさらなる発展をもたらした。
王族や皇族の結婚とは、そうあるべきだろう。
どんなに自由恋愛で結ばれたかのように見えたとしても、だ。
「私は性格が悪いのでなぁ」
「今さらどうなさったの?」
「いいや?」
カレンと結婚したのは、彼女の持つ前世の知識がシンの知りたい分野だったから。それがなければ結婚していなかっただろう。
ミユの母のユリアが常々、ここまで発展しているのにどうして『自動車』がないのかしらと首を傾げていたのだが。その『自動車』の開発がようやく動き出している。マルーラにしかない貴重な材料が自動車にはかかせないらしい。らしいとしか言えないのは、前世持ちの人の言葉や技術を正しく理解するのは不可能だからだ。
彼らが言うにはここは異世界であり、前世にあった物質すべてが揃うわけではないらしい。その辺りは、ユリアの欲した藍染を再現できず、ミユとレイが何年もかけて似たような素材を探していたので理解はできる。
さて、カレンの話に戻そう。
彼女は、前世で自動車の生産に携わっていた男性だった。
余談ではあるが、今は女性なので全く問題はない。彼女はいま妊娠中で、出産を経験してみたかったらしく、とても楽しみにしている。何十冊も本を読み漁っており、興味津々だ。好奇心旺盛というのはシンにとって好ましい資質なので微笑ましく思っている。
「わたしは貴方を愛していますが、たとえ性格がよかろうとも国を傾けるような方でしたら離婚します」
「それは困るな。私は恋愛というものに向いていないからな。カレン以外と上手くやれる気がしない。父上のように分け隔てなく皇妃を愛したりだとか、世の優男のように常に愛を囁くだの、膝に乗せるだの……そういった面倒なやりとりは遠慮したいからなぁ」
「それは確かに面倒くさそうですねぇ。でもそれ、本当に女性は喜んでます?」
「さあ? 試しに、膝に乗ってみるか?」
妊娠初期の大事な時期なのでかなり抵抗されたが、首に手を巻きつけて掴まるといいと説き伏せ、膝に乗せた。
カレンが元男性であるというのが大きいのだろうが、一度も甘えてきたことがない。仕事の邪魔をしないどころか、もっと働けと尻を叩かれる。
「なるほど、悪くはないな。柔らかくていい」
「座り心地が悪くてちっとも嬉しくありません」
「それは残念だな。しかし、私はもうしばらく優男の気分というのを味わっておきたいから大人しくしてくれ」
「それ、ただのエロ男では?」
「確かに。そう思えば逆に悪くはないな」
「まぁ……その気持ちはわかります。では五分だけ」
そんなやりとりをしていた途中で、秘書のマックスが入って来たのだが、それはそれは嫌そうな顔をしてこちらを見ていたので、大笑いしてしまった。
五分経ってもカレンを乗せたままにしていたら「いい加減にして」と言われたので渋々膝から降ろした。自分でも驚いたが、妻を膝に乗せるというのは案外いいものだった。
呆れながら見ていたマックスには「急になにがどうしてそうなったんです?」と聞かれたので「妻が可愛い」と言ってみたら、さらに嫌な顔をされた。普段のさっぱりした皇太子夫婦との違いに戸惑っているらしい。面白い。
「レオンハルトよりも美しいと評判のジークハルトをデオギニアに留学させたいらしい」
「それはまた騒ぎになりますね」
マックスは疲れたような顔をした。普段、ララルイの素行調査をさせているので、面倒ごとが増えそうだという意味だろう。
その美しいサファスレートの王族が、婚約を解消して来るのだから余計だ。普段そんなことは気にしないシンでさえ流石に気を揉むというもの。もっとも、レオンハルトとは心配の方向性が違うのだが。
「そうだ。こちらからはララルイを留学させたいと返事を書こう。マックス、紙とペンを」
「それは妙案ですね。二十一歳で留学も糞もありませんが。かしこまりました」
常日頃から令嬢ごっこをしている二人ならきっと喜ぶだろう。それ以上にマックスが喜んでいる。多忙な業務の中で一番くだらない仕事が一定期間なくなるのだからそれはそうだろう。
「コルセットひとつで音をあげるでしょう。それを狙ってるの?」
カレンが呆れたように言う。
カレンは前世、男性であったにもかかわらずサファスレートの令嬢について異様に詳しい。興味があり過ぎてたくさん調べたのだと語っていたが、どうも前世の書物の影響のようだ。詳しい内容は恥ずかしいと言って教えてくれなかった。こういう時、男性の気持ちで言ってるのか女性の気持ちで言ってるのか判断がつかないのだが――まぁ、そのあたりもカレンの面白さだろう。
「本物のご令嬢の苦労など経験できるわけがない。しかもそれがサファスレートならなおさら。それでも多少なりとも二人には薬になるだろう」
「あら、放置じゃなく、珍しく教育なさるので?」
「教育ではない。見合いに邪魔なだけだ」
「見合い? ミユさんですか?」
さすがはカレン。カンがいい。
嬉しくなって口元をゆるめながら頷けば、溜息を吐かれてしまった。
「ミユさんが可愛いのはわかりますけど。いい加減、ララさん、ルイさんの教育もするべきでしょう」
「やる気のない人間に手間はかけない。継承権をもつ皇族は腐るほどいるからな。能力のある者もだ。私でさえ悪政を敷けば排除の対象だろう。この国の民意は重い……逆に」
「才能のある人を守らなければ皇族が衰退する、ですね。わかってはおりますけれど二十一歳ですよ? 十八歳の成人から三つも超えた大人だというのにフラフラなさってるんですからね?」
カレンの小言は綺麗に無視して、レオンハルトへの返事を書いた。
ずっと使われていなかったマイの離宮を使うときが来たようだ。早速手配に取り掛かることにしよう。




