ジークハルト(4)
デオギニア帝国に到着し、シン・バロス・デオギニア皇太子殿下との謁見という名の、歩きながらの談笑を終えた。到着してからここまで、淑女のスカートが膝丈なことや、皇太子自身までもが襟のない服を着て現れたり、謁見がただの談笑であったりと、数々の驚きがあった。
どんなに暑くても普段はジャケットを脱がないジークハルトが、思わず脱いでしまうほど汗をかいた。想像とかけ離れた習慣に身を置くというのは、こうも緊張するものなのか。サファスレートの王宮内であれば息を吸うように物事を処理できるのに。心臓がドクドクと変な音を立てていた。
そうして案内された滞在先に、ヒースと二人で取り残された。
侍女はもちろん、部屋付きのメイドもいない。
滞在先は第二皇女の離宮だったらしく、皇女が嫁いだあと一度も使われてないからという理由で、他国の王子を女性の離宮だった場所に滞在させてしまうらしい。しかも第二皇女はレオンハルトの元恋人である。
予定になかったジークハルトの留学に間に合わせるために仕方なくだろうと思いきや、先ほどの緩い会話を思い出すと、時間があったところで滞在先は同じだったような気もして、これが文化の違いだろうかと戸惑う。
サファスレート王国であれば考えられないことだ。
ベッドや家具など、全て入れ替えられているとのことで安堵した。さすがに女性の使ったベッドをそのまま使用するのは気が引ける。
ヒースの為の部屋も、皇女付きのメイドの部屋だったらしいが、使用人の部屋とは思えないほど豪華だった。
デオギニアでは使用人の地位が高く、男女平等を目指しているとのことで、賃金も高いらしい。
留学前に習った家庭教師が、全てにおいて先進国ですよと言っていたのを思い出した。
ヒースなど、治安がいいことを理由に皇城内での帯剣が許されなかった。従わないわけにもいかず、預けてしまったものの、腰回りがどうにも落ち着かないらしい。
二人になってからもウロウロと、安全確認だと言って家具のひとつひとつをチェックし始めた。
「庭で本を読んでくる」
「わかりました。安全らしいですが気を付けて。終わり次第そちらに向かいます」
「来なくてもいいぞ」
途端にヒースが苦虫をかみつぶしたような顔をした。
機嫌が悪いらしい。ジークハルトにわかるほどの機嫌の悪さを見せたのは初めてだった。不謹慎だが、そのことが少しだけ嬉しかった。
庭に出てみると、図鑑でしか見たことのない花が咲き乱れていた。赤や黄色や水色やピンクなど、色とりどりに咲き誇っている。
離宮の周りをぐるりと歩いていたら、薔薇のアーチへと出てきた。その奥から噴水の音がしている。吸い寄せられるように足を運んだ。
「美しいな」
噴水の前に置かれたベンチに腰をおろし、水が弧を描いて落ちていく様をしばらく眺めた。
心が蝕まれ続けた日々から、ようやく解放された。
本を読みながら横になる。
水と風と空気の気配。
瞼が自然と重くなり、意識が遠ざかっていくのを感じた。
『誰だ』
ヒースとは違う気配に、思わず母国語が出てしまった。デオギニアでは母国語を封印しようとヒースと決めたというのに。
長旅で疲れていたとはいえ、うっかり寝てしまうなど、サファスレートではありえないことだ。
殺気は感じなかったため、のんびり体を起こした。
眠っていたせいで、少しぼんやりする頭を軽く振って、目の前を見る。
そこには、黒曜石の瞳を見開いている少女がいた。
凝視したまま動けなかった。
淑女を凝視するなど、紳士のすることではない。
そう思い、視線を下げたのだが、
————!!!!
なぜこのような格好を!?
疑問に思った時には立ち上がり、持っていたジャケットで腰回りを包んで抱きしめていた。
どうしていいかわからず混乱していると、ヒースの気配が近付いて来たので少し安心する。
「ジーク、何をしてるんですか!!」
「わからない……」
ヒースの眉間の皺がすごい。叱られた仔犬のような気分になった。
「どうして君はそんな格好をしているのだ?」
混乱しながら聞いてみたが、綺麗な瞳が見上げてくるだけで何の反応もない。
「淑女がなぜ下着姿なのだ?」
もう少し踏み込んで聞いてみた。
「えーーーっと、とりあえず離していただけませんか?」
ようやく反応があったが、離してしまえばジャケットが落ちて足を晒す事になる。無理だ。
「しかしだな」
「気が付いたら異世界に転移していたとか!?」
「何を言ってるのかわからないのだが」
「もうしそうだとしても驚かないわ。異世界の王子様が転移してくる物語、いつだったか読んだの。きっとそれね。こんなに美しい男性、見たことないもの」
私がデオギニア語を理解できていないのか、それともこの少女が少々アレなのか?
「ジーク、いつまでもレディに抱きつくのは如何なものかと」
「それもそうなのだが、こうしていないとあ、足、足がだな」
膝より上の太ももまでが見えているなんて、これは下着だろう?
この国は下着で外を出歩くのか?
「えーっと、とりあえず私の格好があなた方にとって不愉快なのは理解しました。あいにく、足を覆う物を持っておりません。申し訳ありませんが、ジャケットをお借りしてもよろしいですか?」
これが、私とミユの、初めての出会いだった。




