ジークハルト(2)
ヴァレンティーナは二人きりになると、意外にもハキハキと話す子だった。
フルーツの香りがする紅茶と、薔薇の花が好きだと教えてくれた。人前ではにこやかな笑みだけで、自分の気持ちを一切喋らないのでわからなかったのだけれど。
よくよく見ていれば、それらを前にしたヴァレンティーナはいつもより笑みが深くなっているようだった。
「ジークはなにが好きですか?」
「好き……か」
マーガレットに好きな人を聞かれた時も困ったが、今度はもっと困ってしまった。自分から何かに関心を寄せたことはない。
いつでも手放せるよう、全てのものから距離を開けていたのだと、今ならわかるが。
「これといって、特には」
「そうですか。ではきっと、これから出会いますのね」
綺麗な顔で笑ったヴァレンティーナは、小さく頷いて紅茶を飲んだ。
その仕草はとうてい子どものそれではなかったし、同じように静かに紅茶を飲んだジークハルトもまた、似たようなものだっただろう。
自分の立場をわきまえ、出過ぎることなく勤勉であり、感情を表に出すことなく、それを当然と思っており、求められるまま、演じることができる。
どうやら自分と彼女は似ているらしい。
それに気付いてからは、ヴァレンティーナと婚約してよかったと思っていたのだけれど。
王子妃教育と呼ぶには少々行き過ぎた教育が始まり、ヴァレンティーナが再び笑顔を失い始めたのが十歳のとき。そのころからジークハルトも、勉強に励めば励むほど悪評が流れるという事態に陥っていた。
お互い精神を擦り減らしながらも、顔を合わせれば、苦笑いしながらお茶を飲むというのが常だった。何かが起きていることを肌で感じ取りながらも、何も話さず、役割を演じ続けるしかなかった。
デオギニア帝国からレオンハルトが帰国しても、極力接触を控えた。レオンハルトと仲良くして欲しくない大人が、たくさんいることに気付いてしまったからだ。
レオンハルトが、デオギニアで恋人と別れて帰ってきたことを、ジークハルトに告げ口したのはデジュネレス公爵の派閥に属するものだった。兄弟の仲を悪化させる狙いだったのだろう。
あいにく、そのような大人からの、思惑たっぷりな内緒話は聞き慣れていた。
子どもの単純さや潔癖さを狙ったようだが、むしろそれは逆効果だったといえる。
ジークハルトがもっと子どもらしく育っていたら、素直にレオンハルトを軽蔑していたかもしれない。
自分は王子教育で大変な思いをしているというのに、婚約者がいる身にもかかわらず兄は気楽なものだと――たかが王子教育ぐらいで、大変だと騒ぎ、弱音を吐いていたかもしれない。
ジークハルトは大人たちの思惑に反して、レオンハルトの心労を気遣うことはあっても、それが憎しみに変わることはなかった。
父王とレオンハルトが忙しく、家族らしい接触がなかったとしても、眼差しや仕草から、彼らの愛情をひしひしと感じ取っていたからだ。
このころのジークハルトが、愛情不足から拗らせたように見えたとするならば、デジュネレス公爵を欺くために父王やレオンハルトとの接触を控えていたせいだろう。
ほどなくして、レオンハルトの婚約者が流行り病で儚くなってしまった。
いよいよ、ヴァレンティーナをレオンハルトの婚約者にするべく、あからさまにデジュネレス公爵一派が動き出していた。
この時を待っていたとばかりに。
再びヴァレンティーナがデジュネレス公爵から虐待を受けているであろうことも予想できた。彼女はそれを、決してジークハルトに漏らすことはなかったけれど。
化粧に隠れた頬が、暑い日の肌を多く覆うドレスが、長年傍にいればわかる、僅かな表情が。これまで以上に少なくなった口数が。
儀礼的なものを装い、その実、とても心配しながらティーテーブルを囲んだ。
「ヴィー」
「……ヴァレンティーナですわ……ジークハルト殿下」
「…………ヴァレンティーナ嬢、」
「はい、何でございましょう」
――もう、愛称では、呼び合えないのだな。
わずかに揺れたヴァレンティーナの瞳に、哀しみの色が滲んでいた。
たくさんのものを諦めてきた私たちにとって、この時が一番辛かったなどと言えば、首を傾げられるだろうか?
貴族であっても、家族の仲が良ければ、仲が良いことを公にできるのであれば、当たり前にできる、親しみを込めて愛称で呼ぶ、ということが、私たちには許されない。
わかっていたはずなのに、ジークハルトの胸はひどく痛んだ。
いつもなら何時間でも小さく微笑んでいられるはずのヴァレンティーナも、この日だけは唇の端を震わせていた。
この時にはもう、ヴァレンティーナはデジュネレス公爵にレオンハルトを誘惑するよう命じられていたのだろう。
彼女の父親は、そういう人物だ。
レオンハルトが二十一歳。
ジークハルトがもうすぐ十一歳。
ヴァレンティーナが十一歳を迎えた時だった。




