アルフレッド(2)
「ねぇ、エミーリア」
「なぁに?」
エミーリアの私室のソファーで寝ころんだアルフレッドが声をかけても、エミーリアは机に向かったまま振り向きもしない。
「茶髪、色っぽい美男子、腹黒キャラの鉄板ってなに?」
「はっ!?」
エミーリアは、銀の綺麗な髪を乱しながら、ようやく振り向いてくれた。素のエミーリアは、普段の淑女モードからは想像できないぐらい表情豊かだ。
「ほら、この小説の作者の子が僕を見ながら言ってて」
手に持った凌辱小説をヒラヒラさせる。
フランソワのおとなしい見た目に反して、小説の内容はとても過激だ。
デオギニアから入ってくる艶本を読み慣れているアルフレッドでさえ、ちょっと変な気分になった。
「あー」
「前世持ちの人が反応するような、何かに僕が近いってことだよね?」
「うーん、まぁ、そうだけど、ちょっと品がよすぎるかなぁ」
「その腹黒って下品なの?」
「そういう訳でもないんだけど、説明しにくい」
「へぇ……」
「腹黒キャラって一見、人好きする感じなのに、お腹の中は真っ黒ってことだから」
「えぇぇぇ、それって中身はよくないって意味だよね。腹黒だもんね。普通になんかひどいこと言われてるよね?」
「うーん、でも貴族なんてみんなそうだしなぁ」
エミーリアはつまらなそうに呟いた。
「なぁ〜んだ。転生者に狙われたのかと思って、焦って損した」
今日は前世持ちのフランソワに会ったせいで、前世持ちのエミーリアにどうしても会いたくなってしまい訪れたのだけれど。
いつも以上につれない。
彼女は自分の世界に浸っている時に邪魔をされるのが嫌いなのだ。
今日はエミーリアが楽しみにしているデオギニアからの小説が届く日だったから仕方がないし、わかってはいたのだけれど。
エミーリアは、前世持ちのことを転生者と呼ぶ。
「損って、そこまで言う? ひどくない?」
「ごめんごめん」
わざと拗ねた声を出せば、なだめるような声で謝られた。
絶対に悪いと思ってないやつだこれ。
前世の記憶と合わせると、わたしは年上だからね、とよく言われるけれど解せない。
近寄って来たエミーリアを素早く抱きしめて、キスしようとしたら顔を背けられた。
困った顔をした彼女は「まだ結婚してない」と呟いてアルフレッドの頬を軽くつねった。
「そうやって弟扱いばっかりして」
「だって、前世も合わせるとすごい年齢だよ?」
「今は同い年だよ」
「そうだけどさー。でも、わたしがアルフに勝てるのなんて年齢だけだし」
アルフレッドと二人きりのときだけ前世の口調で話すエミーリアの、艶々の銀の髪を一房取って口づけた。
「ほら、そういうところ」
「どういうところ?」
「そういう仕草、手慣れてる」
「慣れてないよ、エミーリアにしかしたことない。まともなキスすらさせてくれないくせに」
「拗ねてる?」
「そりゃーね、あの堅物リアムに先を越されているのかと思うと、ガッカリするやら、焦るやら、悔しいやら」
「え、リアムくんが!? あの鉄壁のアリシアちゃんと!?」
「聞きたい?」
アルフレッドが聞くと、エミーリアはこくこく頷いた。
リアムのことをさんざん煽ったけれど、本当はアルフレッドも似たり寄ったりなのだ。わざとマクファーソン侯爵家に泊まったりして(もちろん別部屋)既成事実を装ったのは本当だけれど、それはマクファーソン侯爵家から提案されたことであり、エミーリアを王子妃にしたくない侯爵の作戦だった。エミーリアを大層気に入っている我が父もその作戦を快諾した。
リアムには色々と嘘を吹き込んだけれど、必要な嘘っていうのは世の中にはたくさんあるからね?
「淑女なら、こんな下世話な話に頷かないでしょ?」
「アルフの前では、ただのエミーリアだからいいの。え、っていうか、リアムくん、そんな話を親友とはいえアルフにしちゃうの? そういうのって内緒じゃないの?」
「リアムはわかりやすいから」
「なるほど?」
こんな時ばかり食い気味なのはどうかと思う。
僕が顔を近付けただけで困った顔をして逃げるくせに。
アルフの前では、なんて言われたら何もできなくなる。
わかってて言ってるのか甚だ疑問だけどね。
エミーリアの前世の記憶はあまりいいものではないらしい。
モテなかったし、お金もなかったし、前の人生に未練もないから、前世と今世の違いに苦しんだことはないと言っていた。両親も今の両親のほうがずっと尊敬できるし、なによりエミーリアは頭がよくて、するすると他国の言葉を覚えるし、色々な本が読めて楽しいのだそう。四人の中で一番タイプだったアルフとも婚約できたし、なんて、はにかみながら言われれば、こちらの恋心も爆上がりするというもの。
エミーリアから前世持ちであると打ち明けられたのは、婚約直後だった。
「面白いことや珍しいことに興味津々で、子どもとは思えないほど理解力が高くて、しかも口が堅いから、アルフになら言っても平気だと思った。両親にも打ち明けてないんだけど」
なんて言われて、それ以来、すっかりエミーリアに夢中になってしまった。彼女の前世の世界の話は面白いしね。
「早く結婚したいなぁ」
「うん、そうだね」
「……ジーク、元気かな」
ジークハルトは留学前、巻き込んでしまって申し訳ないと謝罪してきた。そもそも自分の意思でジークハルトの計画に乗ったのだから、巻き込まれたなんて思っていないのだけれど。
自分のことはどうでもよさそうに、レオンハルトやヴァレンティーナ、ヒースや、マーガレット、それとマリアの今後まで憂いていて、それがとても哀しかった。
騒動後の調査で、マリアは養子先の男爵家からジークハルトと恋仲になるよう命じられていたことがわかった。ヴァレンティーナとジークハルトが婚約を解消したことで、ある意味役目を終えたとも言えると思うのだが、男爵は本気でマリアをジークハルトの婚約者にするつもりだったようだ。いくらジークハルトの評判が悪くとも、無理があると思うのだが。
留学準備に入り、学園に来なくなったジークハルトにマリアは何度も手紙を出したらしい。しかし、手紙は検閲されたため、ジークハルトの元には届かなかった。焦れたマリアは王城まで足を運び、あろうことか王族の住まう王宮内に侵入しようとした。
一昔前であれば、即刻騎士団に連行されるところだが、騒ぎを聞きつけたジークハルトの温情により連行されずに済んだ。
そこで大人しくしてればいいものを、そのジークハルトの行動から「やっぱり、あたしは愛されているの! あたしたちを引き裂くなんて酷い!」と騒ぎ、再び王宮内へ侵入しようとした。
結果、マリアは騎士団に連行されてしまった。
そのことが学園でも問題になり、退学寸前だったのだけれど、それすらジークハルトの温情で免れたというのに、役立たずと言われたマリアは実家へ戻されてしまった。
実家は大きな商家ではあるものの、王立学園の学費はさすがに高すぎて払えず、退学になってしまった。
そしてそのことを、ジークハルトはずっと気にしていた。
ジークハルトが婚約破棄騒動にマリアを巻き込んでいなかったとしても、ジークハルトを落とせない役立たずと言われ、実家に帰されてしまえば結末は同じだったと思う。
ジークハルトの評判を落としたい勢力が一定数いるのは理解していたつもりだったけれど、アルフレッドの視点からではわからないことが多すぎた。想像以上にジークハルトを取り巻く環境は過酷だったのではないだろうか。マリアのことを含めて、一体どれほどのことがあったのだろう。
「わたしは、ヴァレンティーナを救ってくれたジークくんに、とても感謝してるの。他に手段はなかっただろうし。悪役を演じさせてしまったことには、見て見ぬフリをしていたわたしにも責任がある。アルフが一人で抱え込むことじゃないよ」
ヴァレンティーナがデジュネレス公爵に虐待されていたことを、彼女と仲が良かったエミーリアは知っていたのだという。令嬢が公爵相手に何かをできるはずもなく、エミーリアも長く悩んでいたのだと最近知った。
婚約者のくせに、何も気付いていなかった自分が本当に嫌になる。
「ジークくんにはヒースくんがついてるし、開放的なデオギニアで癒されて、素敵な人たちと楽しく過ごせるよ。大丈夫、きっと、大丈夫」
「……そうだと……いいな」
小さく呟いたアルフレッドの頬に、エミーリアがぷちゅんと、小さなキスを贈ってくれた。
「うそ、もう一回」
「もう駄目」
「なんで!? あっという間すぎて噛みしめられなかった!!」
「またそのうち、いつかね?」
「それって、結婚後とかだよね?」
呆れながら銀髪を撫でていたら、猫のようにごろごろと擦り寄ってくれた。
いつもこれで騙されて終わるんだよね。
猫みたいで可愛いし、ズルい。
「アルフ、大好きだよ」
「それ以上煽らないでね? 僕が紳士だからいいようなものだからね!?」
「うん、わかってる。ありがとう」
軽口を叩いてみたけれど、泣きそうだった顔を見ないようにしてくれたのだと、ちゃんとわかってるから、もう少しだけ、このままでいさせてね。




