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二 林家の兄弟たち(五):付 同時代人から見た人物像

 四代将軍家綱の将軍襲職を賀すための朝鮮通信使来日の際、羅山(七十三歳)、鵞峰(三十八歳)、読耕斎(三十二歳)はその応接に当たった。家綱から朝鮮国王宛の返簡は羅山が、幕閣から礼曹(行政機関)宛の書簡は鵞峰と読耕斎が起草した。その際の従事官である南壺谷が、その応接の際の彼らの印象を書き残している。(南壺谷『聞見別録』)

【羅山評】

その為るところの詩文を観れば、則ち該博・富贍ふせん、多く古書を読む。而れども詩は全く調格無し。文も亦た猶ほ蹊径けいけいくらし。若し錬琢櫽括(いんかつ)を加ふれば、則ち(すこぶ)る観るべきもの有らん。


【鵞峰評】

能く家業を継ぎ、稍や詩文を解す。性質冥頑、挙止倨侮。


【読耕斎評】

顔面豊厚、性質純真。言語・文字、()の兄に比して頗る優る。


【梅洞評】

年十六、眉宇妍秀(けんしゅう)、亦た能く字を写し句を綴る。 ※実際には梅洞は十三歳だった。


 朝鮮通信使来日の折、当時十三歳だった梅洞は、父鵞峰から使節に同行している進士(科挙合格の文人)と会った話を聞き、自分も連れて行って欲しいと頼んだ。鵞峰は我が子の意気を喜んで羅山に許可を求め、羅山もそれでこそ私の孫だと褒めて許可を出した。梅洞は鵞峰と共に旅館に進士李明彬を訪ね、その場で一絶を作って明彬に示した。明彬は感心してそれに和したという。(林鳳岡「穎定先生事実」)


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