三 資料紹介(一):鵞峰文集(三)
〇息子、梅洞に
去年の秋、余、瘧を患ひ、寒熱、共に甚し。汝、深更に至るまで側に侍して去らず。
余、汝が晝は館事(国史館の勤めのこと)を勤め、夜は看病に労するを慮りて、諭して曰く、
「去りて休むべし」
汝曰く、
「大人偶病めり、何ぞ力を盡さざるべけんや」
強ひて之を勧むるも退かず。
余誡めて曰く、
「余が病、苦と雖も日を経て癒ゆるべし。余が性強健なり。汝が性柔弱なり。若し労して病を成せば則ち不孝なり」
汝答えて曰く、
「假饒、労して病を成すとも、子として父の病に侍さざる者は不孝の甚だしきなり」
余、病に侵されて忽ち怒気を起こして曰く、
「余死して、汝存するは順なり、汝若し病して、余健なるは逆なり。且つ、余没して、汝在る時は、則ち家業全からん。汝若し先して、余遅る時は家業危ふからん」
汝答えて曰く、
「大人は一時の瞻仰する所なり。|某が如きは一介の書生なり。縦ひ世を早すと雖も、世の為に損益無し」
遂に退かず。相ひ議して醫を擇び、薬を改にして、月を踰へて瘧癒ゆ。
今之を思へば、悲涙袖に満つ。昔、先考(羅山)、余が輩を誡めて曰く、
「四十以上は、老境と雖も勁竿、霜雪を凌ぎて亭立するが如し。故に事に労すと雖も必ずしも恙(病)有らず。三十以下は、稚竹軟弱、霜雪の冒して則ち必ず折るが如し。故に強いて事を務むるならば則ち病を生ず」
と。
此の言、余常に服膺して、汝らをして世務に労せしめず。汝も亦た、自ら多病なるを知る。然るも、孝道虧けず、家業怠らず、斯の人にして斯の病有り。命なるかな。噫。
(鵞峰文集77巻「西風涙露上」)




