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三 資料紹介(一):鵞峰文集(一)
鵞峰は多くの家族に先立たれた人だった。次兄、長兄を失い、母を送り父を送り、弟を送り、息子を送った。甥も娘も彼に先立って逝った。鵞峰は折に触れて彼らの事を文章に綴った。
息子梅洞を二十四歳で亡くした際には、門弟に長文の追悼記を口述筆記させている。
汝没する時、余、見る所聞く所皆憂ひなり。余が心狂せるが如し。以為らく、生きて恥有らんよりは、寧ろ死せるが愈れりと。若し頓死せば幸いなりと。既にして又謂はく、戇(春常)と憲(弟読耕斎の遺児)と、余無くんば誰にか憑ん。苟も存せば其の業を成すを見ん。また謂はく、韓文公、欧陽公、朱文公、皆幼にして孤なり。然も大名宇宙に垂るれば、その成すと成さざるとは彼に在るのみ。何ぞ必ずしも我が存・不存に係らんや。(鵞峰文集77巻「西風涙露上」)
鵞峰の家族への思いを、文集から少しご紹介したい。気持ちがストレートに出ているので、つい哀悼文ばかりになってしまったが、勿論それだけではないので、興味のある方は原本にあたって頂ければと思う。素人の拙い訓読文だが、どうかご寛恕頂きたく。




